俳優でグルメリポーターとしても知られた阿藤快(あとう かい)さん。
2015年、自身の誕生日に亡くなりましたが、死因は何だったのでしょうか。
今回は阿藤さんについて、死因がラーメンの食べ過ぎという噂、死の直前に背中が痛かったという情報に迫ります。
また、息子との絶縁、妻との離婚など晩年は孤独だったと言われています。
阿藤快のプロフィール
本名:阿藤公一
生年月日: 1946年11月14日
死没:2015年11月14日
身長:183cm
出身地:神奈川県小田原市
最終学歴:東京都立大学法学部法律学科
阿藤快の死因はラーメン食べ過ぎ?
まず阿藤さんの死因がラーメンの食べ過ぎという情報を見ていきます。
グルメリポーターとして様々なご馳走を食していた阿藤さん。
しかし最も愛しする食事はラーメンという、庶民的な嗜好の人でした。
ラーメンは割とリスキーな食物やよね。阿藤快さんもラーメン好きだったような…
— みしマン (@mishimangn) May 18, 2018
亡くなる前月に放送されたテレビ番組でも、ラーメン評論家として知られる大崎裕史さんと対談していたようです。
ラーメンは塩分が多く、スープを飲み干すだけで、成人男性に推奨される1日の摂取量8グラムを超えかねません。
さらに脂も多く、野菜が少ない点で、食べ過ぎると病気の原因になりかねない食事ですね。
脂と塩分の取り過ぎが、阿藤さんの死を早めたのでしょうか。
直接的な死因は大動脈瘤破裂胸腔内出血でした。
血管に老廃物が溜まった結果、瘤ができて破裂することで、最悪の場合死に至る病気です。
阿藤さんの大動脈瘤破裂の原因がラーメンだったと証明することはできません。
しかし塩分過多によって発症し得る病気ですから、ラーメンが悪影響をもたらした可能性は十分あるでしょう。
阿藤さんのみならず、ラーメン愛好家の多くが若くして亡くなっています。
ラーメン評論家の武内伸さんは、年600食近くを摂取していましたが、48歳で肝硬変により逝去。
「支那そばや」を創業した佐野実さんは多臓器不全により63歳で亡くなりました。
ラーメンと病気に因果関係があるとは断定できないにせよ、過剰摂取が健康に害をもたらすことは否定できないでしょう。
阿藤さんのようなラーメン好きの方には耳が痛い情報ですね。
我慢し過ぎてもストレスになるため、スープは飲み切らない、週に1回しか食べないなど注意しながら食べると良いでしょう。
死の直前、背中が痛かった?
次に阿藤さんは死の直前、背中が痛かったという情報を見ていきます。
亡くなる数週間前から仕事の際、「背中が痛い」と周囲に訴えていたそうです。
大動脈瘤破裂の場合、瘤が大きくなってくると、やや離れた部位に痛みが生じるのが特徴。
瘤が血管の組織を圧迫する結果、胸部だと背中に痛みが生じ、腹部だと腰に痛みが生じるようです。
阿藤快さんが訴えていた背中の痛み
言われてみれば心臓の真後ろ
胸は痛くならず背中に出る。背中の痛みがある場合心臓疾患の疑いがある。覚えておこう— Ciel (@DaisukiCiel) November 17, 2015
阿藤さんの場合は胸部疾患だったため、病巣から離れた背中に痛みが走ったのでしょう。
どんなに安静にしていても痛みが治まらない場合、大動脈瘤の可能性があるため、病院を受診することが大切です。
また夜中に突然痛みが生じる場合や、姿勢に関係なく痛みがある場合、どんどん痛みがひどくなる場合も受診が必要。
しかし阿藤さんは単なる身体の痛みだと考え、マッサージを受けていたそうです。
2015年11月14日の誕生日、家族がお祝いのメールを送っても返信がなく、翌日に部屋で倒れている阿藤さんを発見します。
一人暮らしだったため発見が遅れたのが、致命的だったのでしょう。
大切な命を守り、家族を悲しませないためにも、自覚症状がある場合は病院の受診が重要ですね。
阿藤快の息子との絶縁、妻との離婚と再婚
最後に阿藤さんの息子、妻を見ていき、家族情報をまとめます。
阿藤さんには基(もとい)さんという息子がいます。
外見は父親そっくりで、トラック運転手を経験したのち、工場で働いているそうです。
小学5年の時に両親が離婚してからは、母親の下で育ちました。
阿藤さんの最初の妻で、基さんの母にあたる女性は一般の方です。
女子美術短大に通っていた時、大学1年の阿藤さんと交際を始め、1973年に結婚。
下積み役者の夫のために働いて、生活を支えました。
しかし阿藤さんが売れてきたことで、逆に生活面ではすれ違いが生じ始めたようです。
結果的に93年、2人は離婚します。
2年後に阿藤さんが年下女性と2度目に結婚して以来、父子の関係は完全に断絶状態になりました。
しかし再婚相手とも離婚し、その後は実質一人暮らしだったようです。
基さんが酔った父からの電話に「いい加減にしろよ」と怒鳴ったことが、断絶の決定打になったといいます。
徐々に芸能人としての父に関心を抱き始めますが、結果的に最後まで父子が語り合うことはありませんでした。
突然死した父の葬儀では喪主を務めた基さん。
あたたかい人柄を偲ぶ芸能関係者たちの証言を聞き、ようやく父に対して抱いていたわだかまりを解消できたのでしょう。
温厚な人柄で知られた阿藤さん。
家族をないがしろにしてしまった罪をあがなうため、周囲の人や後輩には優しく接していたのかもしれませんね。
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