渥美二郎に妻や結婚の噂。子供はいない?自宅は千住?現在も歌い続ける

16歳のころから地元・北千住の飲み屋街で「演歌師」として歌っていたことで知られる演歌歌手・渥美二郎(あつみじろう)さん。

当時は3曲200円が相場で、一日の稼ぎは5000~6000円だったといいます。

そう聞くと、「ギター片手に昭和の夜の街へと消えていく……」そんなカッコいい背中をイメージしてしまいますよね。

280万枚以上を売り上げたという代表曲『夢追い酒』も、夜の酒場のワンシーンを歌った曲です。

そんな渥美さんはどんな妻と結婚したのか?子供がいるのか?住んでいる場所は?などなど、私生活が気になる!という人も多いのではないでしょうか。

そこで今回は、気になる渥美さんの私生活に関する話題を調査するとともに、2024年現在の様子についても調べました。

渥美二郎のプロフィール

愛称:としちゃん、演歌師

本名:渥美敏夫(あつみとしお)

生年月日:1952年(昭和27年)8月15日

身長:168cm

出身地:東京都足立区

最終学歴:中学校卒業

所属事務所:-

渥美二郎、妻や結婚の噂に証拠なし&子供の情報もない

渥美二郎さんといえば、いつもスーツ姿でビシッと決めて歌うカッコいい姿が印象的ですよね。

それでいて語り口はとても丁寧で……、そう、あれはまるで昭和の時代のニュースキャスターのようです。

時折見せる笑顔がとっても素敵な渥美さんですが、そんな彼が結婚した妻はいったいどんな人なのでしょうか。

そこで調査してみたのですが、先に結論を書きますと真実はまったく分かりませんでした。


渥美さんは自身のプライベートをほとんど何も公表していないようです。

少なくとも、売れてからの私生活については明らかにしていません。

渥美さんは、37歳のころに「スキルス胃がん」を患い死を覚悟したといいます。

がんを患ったというだけでも一大事ですが、それがスキルス胃がんともなれば事態はさらに深刻です。

スキルス胃がんは早期発見が難しい上に進行が非常に早く、見つかった段階でステージ4の末期ということも珍しくありません。

その5年生存率は推定一割にも満たないという、およそ人が患うがんの中でも治療が非常に難しく恐ろしい病気なのです。

23歳という若さで亡くなったアイドル歌手・堀江しのぶさんの死因もスキルス胃がんでした。

そんな難病と闘うには、家族や周囲の人たちの助けが必要だったに違いありません。

そのときに渥美さんを支えた妻や交際相手についてなど、女性の存在を伝えるエピソードがあっても良さそうなものですが、そういったものは皆無です。

渥美さんは、昭和、平成、そして令和とコンサートで精力的に歌い続けてきたといいます。

妻がいるとすれば見に来ている可能性もありますし、目撃情報があっても良さそうです。

しかし、SNSなどを見てみても渥美さんの妻や交際相手を目撃したという投稿はありませんでした。

大手Q&Aサイトには、渥美さんが結婚しているという投稿がありました。

しかし、「おそらく結婚してる」といったふわっとした内容だけで根拠は示されていませんでした。

「親戚が渥美さんの奥さんだった」という投稿もありましたが、こちらについても事実確認ができるような証拠はありませんし、“奥さん”の名前や年齢も記載されていません。

結局のところ、渥美さんの妻がどんな人かという以前に、結婚しているのかどうかすら分からないというのが実情です。


また、子供についても同様に情報は皆無となります。

渥美さんは、“親を亡くした子供を支援したい”という一心で「人仁の会」(にんじんのかい)を立ち上げ、震災で被害を受けた人たちへ義援金を寄付してきたそうです。

このことから、苦労する子供を少しでも減らしたい、子供たちの助けになりたいという“親心”にも似た感情を抱いていることは確かです。

しかし、渥美さん自身に子供がいるのかどうかは明らかにされていません。

とはいえ、血の繋がりこそないかも知れませんが、渥美さんからの支援を受けた大勢の子供たちは確かに存在し成長しているのです。

彼らこそが渥美さんの子供たちであると言っても良いのではないでしょうか。

自宅は千住にある?

渥美二郎さんが今住んでいる自宅は公表されていませんが、彼は東京・千住の出身です。

その縁あってか、足立区の公式ホームページには渥美さんのインタビュー記事が掲載されています。

父親が流しの親方やってましたでしょ。日ノ出町の槍かけ松のあったあたり、うちが寮になってまして

それによれば、渥美さんはとても地元意識が強く、千住という地域を育ての親として愛しているようです。

住んでいた自宅は、日ノ出町にあった「槍かけ松」の近所だったといいます。

槍かけ松は無くなってしまいましたが、その木があった「清亮寺」は今でも存在しており、公開されている住所は「東京都足立区日ノ出町42-1」です。

荒川沿いでJR常磐線と東武伊勢崎線に挟まれた場所にあります。

流しの歌手「演歌師」として活動していたころ、渥美さんはこのあたりに住んでいたんですね。

売れ出してから引っ越した可能性も十分に考えられますが、以降の詳細は不明です。

現在も歌い続けチャリティー継続

渥美二郎さんは、2024年で72歳を迎えます。

テレビやネットでは見かけないものの、現在もステージで歌い続けているようです。

公式ホームページによれば、2024年も各地でコンサートを開催。

記事執筆時点で8件のイベント情報が掲載されており、その中には第26回を迎える震災チャリティーコンサート「人仁の会」も含まれています。

人仁の会は阪神淡路大震災の復興支援からはじまり、その後、東日本大震災や熊本地震など各地の震災復興のために継続してきました。

また、2024年は能登半島地震で幕開けするという辛い年となりましたが、その支援のためのスペシャルコンサートも開催しています。

渥美さんがここまで人助けに尽力する背景には、自身の闘病体験があるようです。

インタビュー記事で「歌で救われた命」「今後も復興の役に立ちたい」と語っていました。


それこそ、いつ死んでもいいようにという覚悟で歌い続けているのではないでしょうか。

そんな渥美さんは、命ある限り、全力でステージに立ち続けることでしょう。