高石ともやの妻や家族まとめ。現在も元気&若い頃はフォークの草分け

元祖フォークシンガーの高石(たかいし)ともやさんの妻はマネージャーをしていましたが、2011年に大腸がんのため他界しています。

娘と息子が1人ずついますがそれぞれ独立しており、一緒に住む家族はいないようです。

83歳になる2024年現在も変わらず元気で、コンサートを開くなど芸能活動を続けているのだそう。

高石さんは若い頃、ギター1つで全国を飛び回っていたようです。

高石ともやのプロフィール

本名:高石友也(たかいしともや)

生年月日:1941年(昭和16年)12月9日

出身地:北海道雨竜郡

最終学歴:立教大学文学部日本文学科卒業

高石ともやの妻や家族まとめ

高石ともやさんは、26歳だった1967年に結婚しています。

妻は2歳ほど年下だったそうで、高石さんのマネージャーをしていました。

しかし結婚して40年後の2007年頃に妻が大腸がんと診断。


「余命半年」と医師に告げられるほど、病が体をむしばんでいたようです。

しかし妻の頑張りと家族の支えにより、それから4年間生き抜きました。

2011年8月に妻が亡くなった後、高石さんは精神的に辛い時期が続いたそうです。

「虚しくて、ただ生きてるだけでした」という言葉からも、その辛さがひしひしと伝わってきます。

加えて高石さんは脊柱管狭窄症になってしまい、歩くこともままならなかったそうです。

心身ともに辛い状況にあったところを支えてくれたのは、周囲の友人たちでした。

おかげで元気になることができたといいます。

娘と息子が1人ずついますがすでに独立しており、高石さんは2024年現在一人で暮らしているそうです。

高石ともやは現在も元気で歌っている

 

2024年現在83歳になる高石ともやさんは、京都市内に住んでいます。

さすがに若い頃ほど精力的ではありませんが、元気にコンサート活動を行っているそうです。

できる範囲で長く現役生活を続けることができており、健康を維持する良いお手本になっています。

2024年3月10日には、滋賀県近江八幡市で「高石ともやコンサート・陽気に行こう2024」を行いました。

白鳥町の自治会館で行われ、会場は満員御礼だったとか。


高齢にもかかわらず、2時間も歌ったり話をしたりして観客を楽しませたそうです。

フォーク歌手の草分け的存在な高石さんは、フォークソングの歴史を教えてくれました。

とても気さくな方で、スタッフも大満足だったそうです。

歌手活動と並行してマラソンもしていた高石さんは、なんとホノルルマラソンを46回も完走。

日本国内でも何度も走っており、わかっている範囲では直近で出場したのは2022年。

81歳という年齢でも走り抜いており、その体力に驚かされてしまいます。

さて、兵庫県香美町で2024年6月9日にみかた残酷マラソン全国大会があります。

高石さんが走るかどうかは不明ですが、その前夜祭に出演予定。

6月8日土曜日午後4時スタートで、入場料は無料なのだそう。

素敵な歌声を聴かせてくれるようですので、楽しみですね。

若い頃は人気のフォークで全国を行脚

元祖フォーク歌手の高石ともやさんは、若い頃どのような芸能生活を送っていたのか見ていきましょう。

立教大学を卒業後、25歳だった1966年からギターを抱えて日本中を歌って回り始めました。

代表曲は「受験生ブルース」で、90万枚も売れた大ヒット作となっています。

しかし、「ギターで歌うだけで何になるのか」と考えるようになりアメリカに渡ったそうです。


2024年現在ほど気軽に外国に行ける状況ではありませんでしたので、高石さんは相当な覚悟を必要としたのではないでしょうか。

帰国後、1972年からフォークバンド「ザ・ナターシャー・セブン」の一員になりました。

アメリカに滞在中に、長距離走やフィットネス運動の重要性を学んだ高石さん。

30歳の頃からランナー人生がスタートし、1981年にはトライアスロン大会で優勝。

このトライアスロンは日本で最初に行われた「第1回皆生トライアスロン大会」でした。

トライアスロン界にとっても記念すべき大会で第一位になった高石さんは、相当な実力の持ち主だったことがうかがえます。

過酷な競技を勝ち抜いた後に、さらにハードなマラソンに挑戦しました。

それは、1011kmもの長距離を走り抜くという人間の限界を超えるようなマラソン。

1989年に行われたオーストラリアのウルトラマラソンを8日と10時間52分かけて完走したのです。

1993年には、アメリカ大陸横断マラソンにも挑戦して完走しています。


また38歳で走った京都マラソンでは、2時間45分07秒という記録を作ったのです。

高石さんは、若い頃からエネルギッシュに人生を歩んでいたことがわかりました。