北海道出身、野口五郎さんに憧れて上京し1980年にデビューした演歌歌手・松村和子(まつむらかずこ)さん。
デビュー曲にして代表曲となった『帰ってこいよ』が68万枚以上の売り上げを記録しレコード大賞・新人賞を獲得、1981年には紅白歌合戦への出場を果たしました。
念願だった野口五郎さんとの共演も果たし、デビューしてから2年で夢がすべて叶ってしまったという松村さんにとって、それからの人生は長く続くオマケみたいなものなんだとか。
そんなオマケのはずの人生でも、ともに歩んできた家族がいるはずですよね。
そこで今回は、松村さんの息子や娘、夫など家族について調査するとともに、2024年現在の活動についてもお伝えします。
松村和子のプロフィール
愛称:和ちゃん
本名:松村和子(まつむらかずこ)
生年月日:1962年(昭和37年)3月23日
身長:157cm
出身地:北海道天塩郡遠別町
最終学歴:苫小牧市立和光中学校卒業
所属事務所:ビッグワールド
松村和子に息子や娘はいない
松村和子さんには結婚してから14年間連れ添った夫がいましたが、2人の間には息子や娘はいませんでした。
一部インターネット上で松村さんに息子がいるらしいという噂が流れたこともあったようですが、事実ではありません。
2014年に夫が病気で亡くなりましたが、これを伝えた当時の新聞記事に「2人に子供はいなかった」ことがはっきりと掲載されていたことから、息子や娘はいなかったことが分かります。
その時、松村さんはすでに52歳を迎えていましたし、亡くなった夫以外に結婚歴があるといった情報もありませんので、どこかに子供がいる可能性もないと思われます。
夫婦仲は良好だったということですが、なぜ子供を儲けなかったのかは明らかにされておりません。
このように、実の子供には恵まれなかった松村さんですが、自身が“愛娘”と呼びとても可愛がっていた愛犬がいたようです。
彼女の公式ブログ「明日げんきにな~れ!」には愛娘・マリンちゃんについての投稿も数多く、プロフィール画像もマリンちゃんの誕生日のものと思われるイラストであることから、その溺愛ぶりが見て取れます。
しかし、マリンちゃんは2020年2月15日に亡くなったそうです。
18歳7か月まで生きたそうですので、犬としてはとても長生きですね。
私の大事な大事な子 マリン 18歳と7ヵ月で2時31分に安らかに虹の橋🌈へ旅立ちました
18歳といえば人間なら高校3年生になる年です。
そこまで長い間一緒に過ごしたのですから、きっと、“母娘”の間には強い絆が生まれていたことでしょう。
松村さんは、マリンちゃんが亡くなってからも毎年のように誕生日を祝っているそうですよ。
バンドマンだった夫は肝不全でこの世を去った
詳しいプロフィールは公表されていないものの、松村和子さんの夫は10歳年上のバンドマンだったといいます。
2014年11月20日、63歳でこの世を去りました。
当日の公式ブログには、「ありがとう」の言葉が虹の絵文字付きで投稿されています。
さっき空を見上げたら 星がとてもキレイだった ありがとう
当時の新聞記事や公式ブログによれば、およそ3年半に及ぶ闘病の末に肝不全で亡くなったそうです。
夫は2011年3月に黄疸が現れ、病院で肝硬変であることが判明。
松村さんが地方の仕事で家を長期間留守にしていた間の出来事だったといいます。
その後はとくに入院することもなく、食事療法で体に良い食事を心掛けながら普通に暮らしていたそうです。
しかし、亡くなる3日前に突然ろれつが回らなくなり、救急車で病院へ運ばれ意識不明に。
結局意識が戻ることはなく、妻・松村さんをはじめ気心の知れた人たちで最期を看取ったということです。
松村さんがトランペット奏者としてバンド活動をしていたという夫と知り合ったのは、デビュー直後の1980年だったといいます。
それから10年以上にわたって仕事上の付き合いが続いたそうですが、1992年ごろから交際するようになったのだとか。
しかし、すぐに結婚には至らず、8年ほどの交際期間を経て2000年10月10日に入籍したということです。
夫婦仲はとても良く、松村さんは夫の死に大きなショックを受け食事ものどを通らないほどだったと伝えられています。
実際、高頻度で更新していたブログも夫が亡くなった11月20日から1か月間は更新がとまり、12月の記事も夫の死に対する心境を伝えた1件のみでした。
夫が亡くなる直前、10月ごろにも長期間不在にしていたという松村さん。
そんなときに風邪をこじらせた夫は近所の町医者で薬を貰ってはいたものの、事態は思っていたよりも深刻だったとブログに記されています。
公演がはじまる数日前には、松村さんが滞在していたホテルに顔を見せた夫の黄疸が酷い状態になっていたそうです。
どうにもならない事は分かっているとしながらも、留守にしていた間に栄養をしっかりと摂らなかったのが原因だったのではないか、もっと早く気づいてあげられなかったのかと悔やんでいる様子でした。
気付いてあげられなかった・・・それが今更悔やまれてなりません・・・。
5人家族で育ち父親・松村一郎は元歌手
松村和子さんは熱心にブログを更新しており、そこには自身の家族などプライベートに関する記事も見られます。
それによれば、松村さんは実家にいたころ5人家族で暮らしていたようです。
2017年6月に甥の結婚式があったそうですが、その時、デビュー以来久々に家族全員が集合したそうで、家族写真も投稿されています。
父親と5歳年下の母親、そして、姉と妹がいるそうです。
さらに、甥と姪がいるということですね。
家族の詳しいプロフィールは公表されていないものの、父親に関しては本名や職業が明かされています。
父親は松村一郎さんという方で「有限会社北海芸能プロダクション」の社長でした。
松村さん曰く、父親・一郎さんは元々歌手で司会をこなし、津軽弁で漫談を披露するなど生涯現役の芸人だったといいます。
そんな一郎さんとは、親子公演をすることもあったそうです。
生涯現役を貫いたという一郎さんは、2023年8月8日に亡くなりました。
享年92歳だったということです。
現在の活動まとめ
松村和子さんの直近にリリースされた楽曲は、2020年8月の『望郷ながれ歌/明日咲く』です。
テレビで見かける機会も減り新曲リリースの情報も聞かれませんが、松村さんは、2024年現在も引退することなく歌手として活動を続けています。
チケット予約サイトでは松村さんの個人コンサートに関する情報は表示されない状態ですが、能登半島地震のチャリティーとして6月に東京・練馬で開催の「日本歌手協会 夏まつり唄まつり」に出演しました。
3回ともに出演者、曲目をすべて変え、3回で100人以上のメンバーを集めて、東京・練馬文化センター大ホールで『日本歌手協会 夏まつり唄まつり夢まつり』を開催ます。
芸能誌のインタビューで“オマケ”みたいなものだと語った売れた後の人生ですが、最愛の夫や愛娘・マリンちゃん、そして、父親・一郎さんの死を乗り越え被災地支援と、松村さんは精一杯に生きているようですね。