小池一夫に妻の噂。子供の情報なし。家族は本当にいた?弟子がすごい&死去の原因は肺炎

小池一夫(こいけかずお)さんは、「子連れ狼」や「御用牙」などの漫画原作者として知られています。

2019年に亡くなりましたが、晩年はX(旧Twitter)などのSNSでの発言などが取りざたされることも多くありました。

そんな小池さんの家族についてなど、お伝えします。

小池一夫のプロフィール

本名:俵谷星舟

生年月日:1936年(昭和11年)5月8日

没年月日:2019年(令和元年)4月17日

身長:183cm

出身地:秋田県大仙市

最終学歴:中央大学法学部卒業

小池一夫、妻はいたが子供はいない?家族は実在した?

小池一夫さんには、X(旧Twitter)上で「家人」と呼ぶ女性がおり、その方が小池さんの妻だと言われています。

妻はインターネット上では「小池一子」と名乗っており「一子さん」として名は通っておりますが、「小池一夫」という名前自体がペンネームのため、「小池一子」は単に夫の名前をもじった仮名であると思われます。

一子さんは、小池さんが生前書いていたとされるSNS投稿に、よく「家人」としており、様々な名言を残しています。

一子さんとされる人物の写真も投稿されたことがあり、和服が似合う非常に美人で若々しい女性でした。


ただ、小池さんと一子さんがいつ結婚したのかなどについては全く情報がなく、本当に夫婦だったのかなどについても信憑性のある情報はないようでした。

また、小池さんのSNS投稿についても「他の誰かがゴーストライティングしていたのではないか」という疑惑さえあるようです。

というのも、実際の小池さんを知る人たちから見ると、SNSでの小池さんの投稿は本当の小池さんの性格とかなりかけ離れた性格だと言われています。

また、2019年1月には認知症の診断も受けていたそうです。

何よりも不可解なのは、小池さんは2019年4月17日に肺炎のために亡くなっていますが、同日に既に亡くなっていたという訃報が報じられた漫画家モンキー・パンチさんについて、お互いの若かりし頃のことを投稿していました。

認知症を患い肺炎で亡くなった方が、亡くなった当日にしっかりとした文章で他人の訃報についてSNS投稿することは可能なのでしょうか。

そういったことから、小池さんのSNS投稿については妻と言われている一子さんと呼ばれている人物がゴーストライティングしていたのではないか、とも言われています。

そして、その一子さんは小池さんの死後、ご自身のX(旧Twitter)を立ち上げ、投稿を行なっていましたが、2021年12月に突然アカウントを削除し、小池一夫さんのアカウントも同時に削除してしまい、それまでの投稿は一切見れなくなってしまいました。

それ以降一子さんは一切姿を見せることはなくなり、2024年現在はどうしておられるのかなどは全く明らかになっていません。

お2人の間にはお子さんがいたのかどうかについても、これまでには一切語られたことがないため不明です。

弟子は高橋留美子や堀江雄二など有名人が多い

小池一夫さんは、1977年に「小池一夫劇画村塾」を開講しました。

その教え子の中には、第1期生に「うる星やつら」「めぞん一刻」「らんま1/2」などの大ヒット作品で熱狂的なファンの多い漫画家・高橋留美子さんがいます。

また、ゲームライターで桃太郎電鉄などの桃太郎シリーズで知られるさくまあきらさんなどがいました。

第3期生には「北斗の拳」や「花の慶次ー雲のかなたにー」などで知られる漫画家・原哲夫さんや、ゲーム・ドラゴンクエストの生みの親として知られる堀井雄二さんらもいました。

小池さんは、漫画において一番大事なのはキャラクターで、いかに魅力的なキャラクターを作り、どう動かすか、という「キャラクター原論」を提唱していました。


教え子たちの後の活躍ぶりを見ると、小池さんの教えがいかに正しかったかが伺えるでしょう。

「小池一夫劇画村塾」は中断や再開を繰り返し、一時期はウェブ講座としても開催されていました。

また、2014年からは時代劇クリエイターを育てるため「時代劇画村塾」も開講していました。

ですが、小池さんの体調不良のため不定期開催のような活動になり、逝去により自然消滅しています。

ご自身の残した作品だけではなく、画村塾が輩出した日本を代表するクリエイターたちを育成したことについては、本当に素晴らしい功績だと讃えられるべきでしょう。

肺炎で死去

小池一夫さんは、2019年4月17日に肺炎のため入院していた病院で亡くなりました。

82歳でした。

2018年の夏から長期入院していたそうです。

小池さんは2019年5月から元号が令和に代わり、昭和・平成・令和の3時代を生きることを楽しみにされていたそうです.

しかし、3月ごろから食べることが困難になるほど衰弱。


点滴で栄養摂取をしていたそうです。

葬儀は小池さんの意思で、家族のみで執り行われたとのことでした。

小池さんが残した多くの作品は、これから先も多くの人を魅了し続けていくでしょう。