山本 智大(やまもと ともひろ)さんは世界トップクラスのレシーブ技術で何度もチームの危機を救い、その活躍ぶりから守護神と呼ばれるほどになりました。
意外にも中学3年生まではアタッカーとしてプレーをしていたそうですが、リベロに転向した背景には有名な指導者である父のアドバイスがあったそうです。
今回の記事では山本さんの兄や父、性格や中学・高校などの経歴について見ていきましょう。
山本智大のプロフィール
出生名:山本 智大(やまもと ともひろ)
出身地:北海道江別市
生年月日:1994年11月5日
身長・体重:171cm / 69kg
所属チーム:パナソニックパンサーズ(2023-)
山本智大の兄・貴大はバレー経験者で中学校教師
まず最初の項目では山本智大さんの兄について見ていくことにしましょう。
兄の名前は貴大(たかひろ)さんといい、年齢は智大さんの2つほど年上です。
東海大学札幌校舎:山本貴大くん(2年)
日本体育大学:山本智大くん(1年)
兄弟でのショットいただきました!
この大会二組目(笑) pic.twitter.com/1HVzsiVZJR— じゅんや(N.Junya) (@junxxya) December 13, 2013
左が兄の貴大さんですが、兄弟だけあってよく似ていますね。
智大さんは小学校1年のときに貴大さんの姿に影響されてバレーボールを始め、それ以後は兄弟だけでなく同じ競技に携わる仲間として切磋琢磨をしました。
貴大さんも同じセッターとして東海大学・札幌キャンパス卒業までプレーし、大学3年次には北海道大学バレーボールリーグ秋季大会(1部リーグ)でセッター賞を受賞した実力者。
大学を卒業後はプロの道へは進まず地元の恵庭市立恵庭中学校で教師になり、教科だけでなくバレーボール部の監督として生徒の指導に当たっているそうです。
また、兄弟の仲は大人になってからも良好で、智大さんが帰省した際には貴大さんの中学(自分にとっては母校)を訪れて子供たちの指導をしていました。
さすがに結婚や子供などプライベートなことは分かりませんでしたが、もしかすると智大さんのSNSなどによって何か分かる日が来るかもしれませんね。
山本智大の父・忠文もバレー経験者で中学校教師
この項目では山本智大さんの父親について見ていくことにします。
父親の名前は忠文(ただふみ)さんといい、1960年に北海道で誕生をしました。
岩手大学を卒業後は北海道に戻って中学校教員をするかたわら、北海道バレーボール協会指導普及委員を務めるなど様々な分野ですそ野の拡大に取り組んでいます。
指導者としては、基礎トレーニングを大事にしながら独自のトレーニング法も実践し、開校9年目のチームを全国優勝に導くなど数々の実績を残していました。
また、中学3年になった智大さんにレシーブ力を生かしたリベロに挑戦すること勧めています。
智大さんも身長の面からアタッカーに限界を感じていたこともあり、忠文さんの提案を受け入れて守備のスペシャリスト・リベロに転向。
リベロに転向後は秘めていた才能が一気に開花し、2024年では日本代表の常連に成長しました。
忠文さんからすると、素晴らしい息子であり、最高の教え子だったと言えるかもしれませんね。
山本智大の性格は明るい&負けず嫌い
こちらの項目では山本智大さんの性格について見ていくことにします。
山本さんは自分の性格を「負けず嫌い」としていますが、これはトップアスリートに共通する点なので取り立てて珍しいものではありません。
負けず嫌い以外の言動や性格で注目を集めているのは、常に笑顔で明るいという点です。
笑顔や明るい言動は山本さんもこだわっており、悪いプレーがあったとしても引きづらず、前向きに何事も楽しむことが大事と考えるようになったからでした。
これにより、ミスをした仲間も気持ちをリセットしてプレーを再開できるようになったそうです。
負けず嫌いは個人的に成事になりがちですが、笑顔で明るく振舞うことは自分だけでなくチーム全体の気分を上げ、ひいては勝利に繋がるという効果もあるでしょう。
つらい時こそ明るく振舞う姿勢は、「笑う門には福来る」の実践と言えるかもしれませんね。
山本智大は高校・中学の頃から活躍
最後の項目では山本智大さんの中学や高校時代について見ておきましょう。
智大さんは元々、出身地の江別市にある中学校へ通っていたそうですが、父親の忠文さんが恵庭市立・恵庭中学校へ転勤することになり、それに付いていく形で転校をしました。
忠文さんの項目でも紹介しました通り、恵庭中学時代はアタッカーからリベロに転向したというバレーボール人生の一大転機となった時期です。
中学3年生のときにJOC杯(全国都道府県対抗中学大会)の北海道選抜選手に選ばれるなど、小柄ながらも抜群の才能で関係者から注目される存在になりました。
指導を受けるために転校したエピソードからは、忠文さんに対する絶大な信頼がうかがえますね。
高校は地元の江別市にある酪農学園大学附属・とわの森三愛高校に進学。
とわの森三愛高校はバレーボールの強豪校としても有名で、智大さんが1年生と3年生のときに「全日本バレーボール高等学校選手権大会」(春高バレー)に出場をしました。
また、高校時代にはのちに代表チームで一緒になる石川祐希さんと対戦したこともあるそうです。
高校卒業後は道外の大学へ進む予定はなかったそうですが、高校の恩師である山田和弘さんの勧めもあって日本体育大学に入学し、リベロとして注目をされるようになりました。
改めて智大さんの中学から高校を振り返ると、人に恵まれたことが大きかったように見えます。
仮にリベロに転向しなかったら、また日本大学へ進学しなかったとしたら「リベロ・山本智大」は誕生しなかったかもしれません。
その点からも、天性の才能に加え、運と縁にも恵まれた素晴らしいバレー人生と言えるでしょう。