ユザーン(ゆざーん)さんはインドの民族楽器・タブラの演奏者として様々なアーティストとコラボレーションをしています。
そんなユザーンさんのプライベートについて調べてみました。
また、タブラとの出会いについてもお伝えします。
ユザーンのプロフィール
本名:湯沢啓紀
生年月日:1977年(昭和52年)10月14日
出身地:埼玉県川越市
ユザーンに結婚情報や嫁なし&彼女は過去にいた
ユザーンさんは2024年のお誕生日には47歳を迎えられます。
結婚をしていても全く不思議ではない年齢ですが、これまでにユザーンさんが結婚を発表したことはありません。
もちろん公表していないだけですでに結婚をしているという可能性もありますが、2011年5月15日にX(旧Twitter)に独身で実家住まいと公表されていました。
僕は33歳独身実家住まいですよ RT @tanakashintaro: ザルーンwww RT @pokitokido: 父「なんか知り合いの姪がタブラ奏者と結婚したらしくてさ〜」 自分「なんて名前?」 父「ザルーンだっけな」 ユ…ユザーン!!!!!
— U-zhaan(ユザーン) (@u_zhaan) May 14, 2011
それから約半年後の2011年末ごろに引越しをしたという投稿があり、すでに実家からは出られているようです。
もしかしたらそのタイミングで結婚をされたという可能性もありますが、結婚の発表もなく、結婚の噂もないようなので、そのまま独身を貫いておられるのではないかと思われます。
有名人が結婚の噂をされる際によく見られているのが薬指の結婚指輪の有無ですが、ユザーンさんの演奏する楽器・タブラは指で皮の表面を叩いて音を出す打楽器ですので、もしも結婚されていても結婚指輪はつけないのではないでしょうか。
これまでにユザーンさんに関して「熱愛」や「彼女」といった報道が上がったこともなく、彼女の存在についてもまったく明らかになっていません。
ユザーンさんは音楽ツウの人だけが知っているようなミュージシャンで、あまりプライベートなことなどについて詮索したがるようなファンもいないため、週刊誌なども取り上げる対象にはなっていないのでしょう。
もちろんこれまでに彼女がいた時期もあったでしょうが、情報はありませんでした。
タブラというかなり変わった楽器を職業としておられるので、彼女になるような方もインドの文化などがお好きな方だったりするのでしょうか。
ユザーンさんの初恋に関しては坂本美雨さんのラジオにゲスト出演した際に坂本さんに質問されており、初めての彼女は中学生の時にできたと答えていました。
地元川越とのつながり
ユザーンさんは埼玉県川越市生まれ、川越市育ちです。
ミュジーシャンとして名が広まっても川越に住んでおられましたが、2011年末ごろに東京へ引越しされました。
川越市には丸広百貨店という百貨店があり、ユザーンさんがタブラと出会ったのも丸広百貨店の催事場だったそうです。
そんなユザーンさんは2011年9月10日にはrei harakamiさんとのコーラボレーションで「川越ランデヴーの世界」というアルバムもリリースしています。
収録されている「川越ランデヴー」という楽曲は、川越にある斉藤牛蒡店というゴボウ屋を舞台に作られました。
きんぴらを作り続けて70年という斉藤牛蒡店ですが、ユザーンさんは子供の頃から目にしていて不思議に思っていた店だったそうです。
たしかに子供にしてみると、「蒡」という時は難しすぎて何を売っている店なのかわからないでしょう。
東京に引っ越しても川越には頻繁に帰っているというユザーンさん。
商店街を歩くと小学校や中学校の同級生などによくばったり出くわすそうです。
そんなユザーンさんは雑誌やメディアなどで川崎市が特集される時には、よく案内人として登場されています。
大学時代インドへタブラ修行
ユザーンさんが演奏しているタブラはインドの民族楽器です。
ユザーンさんが初めてタブラを知ったのは地元川崎市の丸広百貨店の催事場で行われていた民芸品店だったそうです。
当時はタブラの見た目が気に入り、インテリアとして買ったそうです。
音楽自体は小学校の時に地元の合唱団に入っていたり、中学校で吹奏楽部に所属していたりなど、全く経験がないわけではなかったそうです。
また、父親がジャズがお好きだったそうで、その影響で中学の頃からジャズを好んで聴いていたそうです。
ジャズは様々な音楽の要素を持っていますので、若い頃からジャズを聴いていたおかげでインド音楽へもすんなり入ることができたのではないでしょうか。
インテリア目的として買ったタブラですが、叩いてみると良い音がするので、東京のインド音楽の教室に通うことにしました。
それからはタブラの魅力の虜になり、大学1年生の時にはタブラ教室の先生についてタブラの買い付けのためにインドを訪れたそうです。
その時は慣れないインドの気候や街の雰囲気が合わないと思ったそうですが、大学3年生の時には1年間大学を休学し、単身でタブラの修行のためにインドへ渡ったそうです。
インドでは「タブラの神様」と呼ばれているオニンド・チャタルジーさんの弟子となり、タブラの修行をしたそうです。
タブラの練習は楽しかったそうですが、インドでの生活はやはり辛いことも多かったそうです。
それでも日本では珍しいタブラ奏者として、第一人者に教わったことはその後のタブラ奏者としての活動の役に立っているでしょう。
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