エレキの神様と言われた寺内(てらうち)タケシさんには息子がおり、親子で同じバンドに所属していたそうです。
娘や「娘のような」存在の弟子がいたことについても見ていきましょう。
奥さんは一般人で、由利子(ゆりこ)さんという名前だといいます。
大学時代に専用に自宅を建ててもらうなど、寺内さんの実家は相当な資産をお持ちのようです。
寺内タケシのプロフィール
愛称:テリー・エレキの神様・寺さん
本名:寺内武(てらうちたけし)
生年月日:1939年(昭和14年)1月17日
死亡年月日:2021年(令和3年)6月18日
出身地:茨城県土浦市
最終学歴:関東学院大学工学部電気工学科卒業
寺内タケシの息子はミュージシャン&娘はいない
2021年春に誤えん性肺炎を発症した、寺内タケシさん。
一時期は回復してリハビリ中でしたが、容体が急変して亡くなりました。
結成した「寺内タケシ&ブルージーンズ」はグループサウンズの草分け的存在。
今日のバンド界に大きく貢献しています。
さて、寺内さんには息子と娘がいると言われていますので詳しく見ていきましょう。
息子はバンド歌手の寺内アキラ
寺内タケシさんの息子は寺内章(てらうちあきら)さん。
1964年生まれで、2024年には60歳を迎えます。
日本大学法学部を卒業して、ミュージシャンと俳優をしているそうです。
芸能界では、寺内アキラという名前で活動しているとのこと。
1999年に、父のバンド・寺内タケシ&ブルージーンズに加入。
3年後脱退しましたたが、15年後の2017年に再加入しています。
アキラさんが脱退した理由が、なかなか衝撃的なものでした。
覚せい剤取締法違反などの疑いで逮捕されたのです。
アキラさんが、38歳の時でした。
「父親が偉大過ぎたためプレッシャーを感じてしまい、1999年ごろから覚せい剤を使用していた」と語っていました。
素晴らしい父のように自分も頑張らないといけないが辛い、という思いを抱え込みすぎたのかもしれません。
しかし、実際のところアキラさんの音楽の才能はなかなかのもの。
歌唱力が素晴らしいと、あちこちで評判です。
娘のような弟子はいるが実の娘はいない
結論から言うと、寺内タケシさんに娘はいません。
娘に関連する話題といえば、弟子の大沢桃子(おおさわももこ)さんでしょう。
子供のように歳が離れており、「娘」のような弟子を歌手として育て上げました。
大沢さんは、1998年に「娘炎節」でデビューしています。
寺内タケシの奥さんは一般人
寺内タケシさんの奥さんに関しては、情報がほとんどありません。
名前は寺内由利子さんといい、特に芸能界で活動はしていないようです。
2022年の末に、弟子・大沢桃子さんのオフィシャルブログで奥さんのことを触れている投稿がありました。
故・寺内タケシさんの自宅に事務所の社長らと集まった時のことです。
そこで奥さんや息子のアキラさんときりたんぽ鍋をつついて楽しんだのだとか。
とても美味しそうな鍋で、思わず「今晩食べたいな」と思わされます。
寺内さんが亡くなってもこのように交流が続いていることから、絆の深さを感じさせられました。
学生時代の自宅が凄すぎた
奥さんと子供達と一緒に暮らしていた自宅がどこにあるのか、またどのような造りであったかはわかっていません。
ただし若かった頃の「自宅」に関する逸話がありますので、紹介します。
父親によって明治大学を退学させられ、関東学院大学に入学させられた寺内さん。
一体、どういう理由で大学を変えさせたいと思ったのでしょう。
実は、明治大学に入ったのは昭和を代表する作曲家兼ギタリストの古賀政男(こがまさお)さんに誘われたから。
これは寺内さんの才能を見抜いてのことだったのでしょう。
しかし父親からしてみれば「ギター目的で大物に誘われて入った明治大学だと、勉学に集中することはないだろう。辞めさせねばいけない。」という思いがあったようです。
関東学院大学に入り直した寺内さんは、「心を入れ替えてきちんと勉学に励む」と父親に言いました。
すると、それを聞いた父親はとても嬉しかったのでしょう。
何と、寺内さんのために大学の近くに家まで建ててあげたのです。
実家は茨城県で関東学院大学は横浜にあります。
毎日実家から通うには、厳しい距離でした。
となると、普通は「下宿」に住むことになるものです。
しかし、寺内さんの父親は土地を購入し、家屋も建ててあげました。
生活に必要な家電やタンス類など全てを用意しただけでなく、お手伝いさんまで雇ったのだとか。
どれほど「しっかり大学で学んで欲しい」という思いが強かったかがうかがえます。
それにしても、何という財力なのでしょう。
ちなみに寺内さんは当初の約束を全く守らず、入学後すぐにウエスタンバンドを結成するなど音楽活動に励んだそうです。
日本のバンド界の成長に、大きく貢献したのでした。
寺内タケシは実家が大金持ち
寺内タケシさんが大学時代に自分専用に建ててもらった家の話で、いかに実家に財力があるか想像がつくでしょう。
そこで、実家が具体的にどのような仕事をしているのかを見ていきます。
父親は茨城県の地方議員で、土浦市議会議長を務めた寺内龍太郎(てらうちりゅうたろう)さん。
筑波研究学園都市を推進した方だったそうです。
映画館・土浦セントラルシネマズや電気屋など幅広い事業を展開する家だったそうです。
寺内さんは芸能界に入ったため、後を継ぎませんでした。
その代わり、弟の寺内龍地(てらうちりゅうじ)さんが2024年現在も事業を引き継いでいるとのことです。
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