志茂田景樹の息子はタクシー運転手。自宅は武蔵境。現在と病気、死亡説なぜ

小説家というお堅い職業でありながら奇抜なファッションでお茶の間の人気者だった志茂田景樹(しもだかげき)さん。

その存在は、息子さんたちにも様々な影響を与えたようです。

長男とは昔は遺憾もあったようですが、昨今は一緒に仕事をするなど仲直り、次男は、お父さんに似て奇抜な活躍をされていましたが、その後は市民のために汗水かいておられるようですね。

また、武蔵境にあるご自宅では、子どもたちのためにイベントを開くこともあるようです。

ご本人は、病気を患っている2023年現在ですが、それにも負けず精力的にお仕事されていました。

志茂田景樹のプロフィール

愛称:虹色ブロッコリー(有吉弘行より)

本名: 下田 忠男

生年月日: 1940年3月25日

身長: 178㎝

出身地: 静岡県

最終学歴: 中央大学

所属事務所:ビッグ・ブッキング・エンターテインメント

志茂田景樹の息子:次男・下田大気は有名人

なかなか面白い肩書きをお持ちの志茂田景樹さんの次男・下田大気さん。

高校生時代は、俳優としても活躍しつつ、なんとフジテレビ系『笑っていいとも!』で親子共演も実現していましたね。

彼の代表作といえば、矢沢永吉さんが先生役だったTBS系『アリよさらば』でしょうか。

井ノ原快彦さんや長瀬智也さんの同級生でしたね。

ただ、俳優としてのキャリアは22歳まででした。


けれども、2020年にも彼がバラエティ番組で話題となりましたね。

それが、1月29日放送のTBS系『水曜日のダウンタウン』です。

パンサー・尾形貴弘さんに番組が7つのドッキリを仕掛けた時のことでした。

村西とおるさんがカメラマンにいたことから企画に気づいた彼は、あらゆる事象をドッキリではないかと疑いはじめます。

その結果、プライベートで入ったたまたまサウナで居合わせた下田大気さんに関しても、その一貫と誤解したことが明かされていました。

もちろん、映像ではなくエピソードとともに往年の画像だけであったものの、この放送ののちに、下田大気さんも当時を回顧するツイートをしていましたね。

このプロフィール画像を拝見すると、2023年現在、真面目で元気そうな姿の下田大気さん。

そんな大気さんですが2015年に武蔵野市議選に出馬し見事当選。

武蔵野市議会議員としてご活躍です。

ただ、ここに至るまでには失敗を糧にした数々の成功がったようですね。

志茂田景樹の息子:次男・下田大気が失敗を糧に成功

俳優を辞めた下田大気さんは、いきなり市議会議員になったわけではありません。

まず、就いた職業は経営者でした。

実は、俳優デビュー前に健康食品会社を設立も倒産した過去もあります。

その反省も踏まえてのトライだったことでしょう。

しかし、宝石販売会社や志茂田景樹さんらの所属する芸能事務所も軌道に乗せることはできませんでした。

さらには、ご自身のギャンブル癖も重なり多くの借金を背負った末、自己破産されます。

背景には、『志茂田景樹の息子』というだけあって、ビッグにならなければならないというプレッシャーもあったかもしれませんね。

そんな彼が出会った天職が、杉並交通でのタクシードライバーでした。

高校時代に、スクーターで都内23区の裏道をほぼマスターした彼は、父親の運転手を経験した時から、いつかはこの業界でと視野に入れていたといいます。


それを現実にした彼は、その才を発揮、1日に6万円稼げればトップという世界で、なんと初日にこれを達成、デイリーランキングでも2位だったそうですね。

とはいえ、ここで調子に乗らないのが、襟を正した彼の賢さでもありました。

帰宅後は、1日の仕事ぶりをノートにとって復習されます。

この結果、月別営収社内1位、3ヶ月目からはミリオンを達成にまで至りました。

その後は、ドライバーと並行して自らタクシーのコンサルティング事業なども手がけ、ついには執筆活動もと、お父さんと同じフィールドでもご活躍されます。

なんと、2000万を超える年収になったそうですね。

ここまでくれば、この中間にあったラーメン事業での失敗は、もはやご愛嬌でしょう。

そして、2015年の選挙にて武蔵野市議会議員へとなられました。

以後も、時間を見つけてドライバーを続けておられます。

こうしてみると、現場経験が足りなかっただけで、やはり彼は元からセンスの持ち主だったのかもしれませんね。

志茂田景樹の息子:長男・下田順洋はカメラマン

191cmの高身長と言われる志茂田景樹さんの長男・下田順洋さん。

ご職業はカメラマンとのことです。

小説とフィールドは違いますが、やはり芸術の才能は、父親由来なのでしょうか。

しかし、過去にはお父さんとの諍いもあったようです。

原因は、志茂田景樹さんの不倫でした。

お母さんはそのことを伝えていなかったものの、10歳にしてピンときていた順洋さんは、直木賞を『いらない』と発するほど、嫌悪感を募らせていたのです。

加えて、小説家だけではなく派手に目立ってバラエティにも進出するお父さんにも嫌気がさしていたというのですから、まさに一挙手一投足が嫌いだったのでしょう。

やがて、高校になると順洋さんはアメリカへ飛び、7年もの間帰って来なかったそうですね。

ただ、この経験が、却って自分は家族が大好きであることの気づきに繋がったといいます。

そして、帰国するとお母さん経由で志茂田景樹と和解し、お二人で取材にも出かけていました。

100歳以上の方々に話を聞く志茂田景樹さん、その姿や質問を見聞きしているうちに、順洋さんはご自身との重なりを感じ、やはり親子と自覚したそうですね。

かなり長雨にはなりましたが、地が固まったようでなによりです。

志茂田景樹の自宅は武蔵境

志茂田景樹さんの自宅は武蔵境にあります。

このことは、ご自身のツイッターでも明らかにされていますね。

また、このご自宅、お庭では時にイベントを開催して、地域の方々にも貢献したようです。

2018年6月8日には、紙芝居や大型絵本の読み聞かせをされていましたね。

公式HPに綴られた志茂田景樹さんの奥さんの活動記録によれば、この読み聞かせは、地域の親子さんに対し、力になりたいという思いから始まり、普段は全国を回りながら、当時で1200回以上行ってきたそうです。

そのなかで、ご自宅での開催はということでしょうか、年1回のペースでやれたらという意欲も志茂田景樹さんにはあるようですね。

次男さんも市議会議員とのことですが、志茂田景樹さんファミリーは、武蔵野の皆さんに対して、誠実に尽力されている模様です。

ちなみに、ごく一部で勘違いされている人が多いのが、建設時に『色彩の暴力』として地域住民と揉めた『まことちゃんハウス』ですね。

これは、志茂田景樹さんのご自宅ではなく、楳図かずおさんのご自宅です。

たしかに、年齢も近く、奇抜なイメージという点では、志茂田景樹さんと被りますが、別人ですね。

ちなみに、まことちゃんハウスは吉祥寺であり、武蔵境ではありません。

2020年には、庭木の剪定がされた旨が報じられており、こちらも健在のやうですが、志茂田景樹さん、楳図かずおさんともに長生きして頂きたいですね。

志茂田景樹の2023年現在!病気に負けず!死亡説はガセ

2017年から関節リウマチに苛まれている志茂田景樹さん。

さらに、2019年には湯治に訪れた福島の地で転倒し、腰椎を剥離骨折し、その影響で2023年現在も車椅子生活を送られています。

2023年現在、死亡説もありますが、これは全くの嘘でした。

年齢を考えると、心が折れてしまってもおかしくない状況ですね。

それでも、志茂田景樹さんのメンタルはそれに負けてはいないのです。

体と相談しながら1日6時間と決めてお仕事もこなされていますね。

SNSやブログの更新は、ライフワークと呼べるでしょう。

なんでも、コロナ禍になってからは、若者に目を向ける機会が増え、Z世代について日夜研究もしているそうです。

彼によれば、この世代の方々は自らはこうであるというものを持ち、折り合う心を持たないとの旨ですね。

また、これまでの世代間ギャップは、大人と子どもの価値観のなかで、多少重なる部分があり、分かり合えたものの、今はそれがないといいます。

だからこそ、彼らの持つ価値観の土俵を知ることに関心があり、これが小説のテーマになっていました。

その一貫が、2020年に電子書籍のスタイルで『死にたいという本当は死にたくない私』ですね。


レビューなどを拝見すると、主人公の中学生の女の子、その世代にあった文体を志茂田景樹さんが書いていることに驚く読者が多数おられました。

しかも、これで終わりではなく、ゆくゆくは啓発本の発表なども構想しているという志茂田景樹さん。

80歳を越えてもこの制作意欲は誰もが感服するのではないでしょうか。

もちろん、髪の色も鮮やかなオレンジ系を保っておられます。

元気な時は2カ月に1回のルーティーンで美容室に通っているという彼、その行動力やご自身も楽天的と語るその性格は強さの表れですね。

年齢とともに、ある意味、そのエネルギーは増している部分もあるのかもしれません。

波乱万丈の人生

今では室井佑月さんや羽田圭介さんなど、小説家がメディアに登場することも多くなりました。

ですがメディア出演の先駆けと言える小説家は志茂田景樹さんでしょう。

直木賞受賞という立派な肩書きを持つ大小説家とは思えないその奇抜なファッションでバラエティに引っ張りだこ。

あの「笑っていいとも!」に2年間に渡りレギュラーとして出演したことで広く世間に認知されることになりました。

「黄色い牙」で直木賞を受賞した志茂田景樹さん。

新婚当初は4畳一間のアパートに住み、保険のセールスをしながらの執筆作業。

かなり貧しい生活だったそうです。

そんな生活が直木賞を受賞したことで一変。

「黄色い牙」は飛ぶように売れ6000万円もの印税が入ったそうです。

多額の印税が入ったことで志茂田景樹さんは銀座の高級クラブで飲み歩くようになり、事務所用にと借りたマンションには愛人を囲っていました。
この頃の派手な遊びが志茂田景樹さんの派手なファッションにも繋がっているようです。

派手なファッションで人気を博した志茂田景樹さんはバラエティー番組に引っ張りだこ。

ですが志茂田景樹さんのテレビ出演が増えるにつれお子さん達はイジメにあっていたそうです。


イジメから逃れるために長男の順洋さんは海外へ留学し、次男の大気さんは非行に走り暴行事件で逮捕されてしまいます。

そんな中でも奥さんだけは家族が元通りになることを信じていたといいます。

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