「世界のキタノ」も認める名優だった神山繁(こうやま しげる)さん。
英語が堪能だったことが名俳優の仲間入りをすることが出来た要因だったようです。
英語が流暢だった神山繁
「ザ・ガードマン」や「アウトレイジ ビヨンド」で知られる神山繁さん。
英語力を認められてハリウッド映画「ブラック・レイン」にも出演。
また、「英語でしゃべらナイト」の最高齢出演という記録も持っています。
神山繁さんは帰国子女でも留学経験もありませんがGHQの通訳をするほど英語が堪能。
その秘密は神山繁さんが通っていた海軍経理学校にあります。
海軍経理学校とは旧日本海軍の庶務や会計を担当する将校を育成する軍学校でした。
軍の学校ということで海外に駐在しても困ることのないように英語を徹底的に叩き込まれたそうです。
日本の海軍はイギリス海軍の影響を受けていたこともあり英語だけでなく英国紳士とはかくあるべきという理念も学んだそうです。
紳士的な振舞いを学んでいたこともGHQの通訳に採用された理由かもしれませんね。
神山繁さんはGHQの通訳を通してアメリカの文化に触れたことがその後の俳優人生に役立ったことを明かしています。
当時の日本人にとっては見る者全てが新しく珍しかったであろうアメリカ文化。
他の人ではする事が出来ない経験を出来たことはその後のアドバンテージになるのは今も昔も同じですね。
神山繁の妻は女優
GHQの通訳を経て文学座に入団した神山繁さん。
そこで出会った女優の文野朋子さんと結婚しています。
文野朋子さんは大映に入社し女優として活躍した後で文学座に入団。
当時の看板女優だった杉村春子さんの後継者として期待される程の女優でした。
結婚後はおしどり夫婦として神山繁さんを陰で支えながら女優としての活動は継続。
第9回芸術祭賞の奨励賞を受賞するなどその演技は高く評価されていました。
ところが1987年に出演する舞台の公演中に脳内出血をおこしステージ上で倒れるとそのまま帰らぬ人となってしまいますした。
突然の別れで神山繁さんは俳優業を休むほどショックを受けてしまったそうです。
文野朋子さんが神山繁さんにとってかけがえのない存在だったことが痛いほど分かりますね。
神山繁は再婚して京都に移住
1987年に妻の文野朋子さんを亡くした神山繁さん。
一時は仕事も出来ないほど落ち込んでいましたが徐々に俳優業を再開。
仕事のために訪れた京都で新たな出会いが待っていました。
神山繁さんは京都へ旅行に訪れていたという一般女性と1992年に結婚しています。
京都という土地に運命を感じたのか神山繁さんは結婚を機に京都へ移住しました。
再婚相手の女性は一般人ということであまり情報がありませんでしたが神山繁さんより4歳下でバツイチだそうです。
神山繁の死因
2017年1月3日に肺炎のため自宅で亡くなった神山繁さん。
神山繁さんは亡くなる1年ほど前から肺炎と診断されていたそうです。
葬式無用、戒名不要
まに思い出してくれればいい。亡くなったら、ただのカルシウムだよ
という神山繁さんの遺志もあり無戒名で葬儀や告別式も行われず。
近親者による見送りだけという簡素なものだったようです。
有名人がなくなった時に度々行われる「お別れの会」も行われていません。
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