1990年代にネットアイドルとして活躍していた南条あや(なんじょうあや)さん。
メンタルヘルス系のネットアイドル、かつフリーライターとしてご活躍されていた方です。
小学校の頃から、不登校の状態にあったという彼女は、高校3年生にして、大学付属病院精神科の閉鎖病棟へ入院されていたとのことです。
そのなかで綴る彼女の文章が、生きづらさを抱える人々の励みになっていたと言われていますね。
また、父子家庭とのことですが、生い立ちは一体どんなものなのでしょうか?
プライベートでは、Coccoさんが好きという一面もあったようですよ。
南条あやのプロフィール
芸名:南条あや
本名:鈴木純
生年月日:1980年8月13日
身長:154cm
出身地:東京都
最終学歴:成徳学園高校
南条あやは高校生で病院の閉鎖病棟へ
小学校の頃からいじめをきっかけとして不登校にあった南条あやさん。
やがて、中学1年生になるとリストカットを経験、以後、自殺未遂を何度も繰り返していたそうです。
そして、とうとう高校3年生には、大学付属病院の精神科の閉鎖病棟へと入院されました。
ただし、このときにパソコンを手に入れたことによって、彼女は日常や精神科日記を綴るようになります。
それが、「町田あかねのおクスリ研究所」上に公開されていたのですが、現在のブログに近い形ですね。
ここからは、彼女の著書『卒業式まで死にません』や、当時の日記の読者の方々の意見を参考に書かせて頂きます。
まず、内容の背景からすると、その日記の内容も非常に暗く重い雰囲気と思われるかもしれません。
しかし、実際の文体は割とポップで、女子高生らしさを感じさせるものでした。
また、彼女の高校は成徳学園高校と明らかにされているようですが、病院へは担任の先生の紹介で通われていたそうですね。
南条あやのサイト写真のセーラー服、後ろ姿の刺繍を消してたからよく見ないと分からなかったけど下北沢成徳だと思います。卒業生なんすかね。南条あや懐かしいな。
— 制服さん (@yuni_unifo) 2014年3月14日
こちらの担任の先生には、ご自身の日記が書籍化されるかもしれない旨を伝えていたと言われていましたし、ある程度の信頼感はあったのかもしれません。
かつ、彼女の女子高生らしさというのも、日記などから読み取れます。
同校のセーラー服を気に入っていてホームページにアップ、好きな教科はペン習字、国語に関しては勉強せずとも高得点だったとのことです。
文才は、やはり非凡なものがあり、入院生活のなかで人間観察も綴られていたとのことですから、洞察力も優れていたのでしょう。
もし、ご存命であれば、その後どんな文章を綴っていかれたのか、気になる点ではありますね。
南条あやは生い立ちや父親との関係が複雑
東京都世田谷区出身の南条あやさんは、3歳当時に両親が離婚されています。
一旦はお母さんに引き取られたものの、再婚した新しい父親と折り合いが悪く、実父のもとへ引き取られたとされていますね。
実父は、イタリアンレストランの経営者ですが、経営そのものは安定とはいえなかったという旨の記述も見られますね。
それもあってか、何かと忙しく、夜は南条あやさん一人で過ごすことも多かったものことです。
お二人の関係に関しては、結構行き違いも多く、一見、うまくいっていないようでしたが…。
読者の方南条には、のなかあやさんも反抗こそしながら、実父の言いつけを守り、実父も何だかんだ娘を心配していたとのことです。
根底には、愛や信頼関係はあったのでしょう。
実は、新潮社から『卒業式まで死にません』が出版されたのは実父の尽力のおかげという話もありました。
それによれば、南条あやさんの『発掘者』である町田あかねさんは、宝島社と交渉していたそうですが、結局、破断となったようです。
他方、実父は、前項目でご紹介した、担任の先生に南条あやさんが書籍化の可能性を話していたことを知って奔走したとされていましたね。
もちろん、その背景には自分の娘が生きた証を、書籍という形で残したかったというのもあるのかもしれません。
父親は彼女の死後、リタリンなどの処方薬による薬物依存症の恐ろしさや自殺で家族を失った遺族の悲しみを何度かテレビや誌面などの媒体を通して語っている。また、戒名はペンネームをそのまま使用した「南条あや信女」とされ父自身の身体を位牌とするべく、戒名が刺青によって父の身体に刻まれている。
— おの あき (@6___ph) 2014年12月12日
いずれにせよ、父と娘の絆は、その日記の表現の裏側で結ばれていたのではないでしょうか。
日記が大人気でファンクラブも結成
高校3年生の時、町田あかねさんのウエブサイトにメールを送ったところ、その文才が評価されました。
1998年から1999年までの日々を綴った日記を公開しています。
心に病を抱えた内容が書かれた日記は、多くの人たちから支持を集めました。
ファンクラブも結成されたほどです。
カラオケが趣味で、友人を誘ってカラオケによく足を運んでいたそうです。
ただ高校の卒業式を終え、一人でカラオケボックスに入店し、向精神薬を大量に服用したことにより、昏睡状態で病院に運ばれました。
蘇生措置をしたものの、そのままお亡くなりになりました。
まだ18歳の若さでした。
本人は薬物に対しての知識もあり、服用した薬も致死量ではなかったようです。
ただ日常的に繰り返していた自傷行為で、心臓の弁に穴が空いていたらしく、それが死因に結びついたようです。
20歳になったら、年上の恋人と結婚することになっていた南条あやさん。
この時に婚約者がいたことになりますが、お亡くなりになったことによりその結婚は叶わぬものとなりました。
葬儀にはファンも参列したそうです。
葬儀に行けなかったファンは、ネット葬というものを行いました。
父親は、南条あやさんがお亡くなりになった後、薬物依存症の恐ろしさなどをテレビなどの媒体を通じ、語っています。
また自殺で家族を失った遺族の悲しみも、語られていました。
南条あやさんがお亡くなりになり、悲しんだ方が大勢いました。
南条あやはCoccoが好き
カラオケ好きでも知られていた南条あやさん。
なんでも、彼女はCoccoさんのファンだそうです。
そういえば、彼女もまたセルフハームという自傷行為の経験者とされていますね。
これは、彼女のなかにある他人には理解され難い世界観、その鬱屈を自らを傷つけることで沈めるという旨が言われていますが…。
『強く儚い者たち』などの歌詞にも、その世界観の一端は見られるのでしょうか。
出版以降は、一部、生きづらさを抱える人たちのバイブルまで言われる『卒業式まで死にません』。
しかし、南条あやさんにとってのバイブルはCoccoさんの歌詞なのかもしれませんね。
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