塩見孝也(しおみたかや)さんといえば、昭和時代後期の社会運動家として有名です。
家族や、晩年の仕事、死因についてまとめます。
塩見孝也に家族の存在が明らかに!妻と息子がいた!
京大に在学中から、共産主義者同盟(ブント)として、活動されていました。
昭和44年には共産同赤軍派を結成しています。
そんな塩見孝也さんの家族について見ていきましょう。
これまでウィキペディアなどにも私生活に関する情報は掲載されていませんでした。
しかし、家族の存在が明らかとなり、注目を集めました。
塩見さんはご結婚されていて、子供もいたことが分かっています。
本人が明かしたところによれば、妻と息子は東京の清瀬市に住んでいました。
2014年にSNSに本人が記述していました。
ただ住んでいたと過去形となっていたので、2014年の時点で既に別居していたと考えられます。
奥さんや息子さんの名前や写真などは、公開されていません。
しかし息子さんの年齢が判明しています。
塩見孝也が駐車場管理の仕事をしていた?
塩見孝也さんは2007年から駐車場の管理人のお仕事をされていました。
これが塩見さんにとって、初めての労働だったようです。
それ以前は、革命家として政治運動に携わっていました。
若い頃から労働されたことがなかったのですね。
20年の獄中生活を終え、生計を立てていたのは仲間からのカンパや講演料などでした。
しかし心臓病を患っており、これがきっかけで駐車場の管理人の仕事を引き受けたそうです。
革命家として活動されていたので、年金も支給はされていませんでした。
死去する直前まで、年金生活ではなかったのですね。
NEWSポストセブンによると、脱獄後の塩見さんの収入は1ヶ月で10万円ほどだったそうです。
ちなみに駐車場での勤務は、シルバー人材センターにて紹介された仕事だったそうです。
年金がない生活を送っていたというのが驚きでしたね。
塩見孝也が死去。原因は心不全
若い頃から、革命家として活動されていた塩見孝也さん。
塩見さんの影響を受けた人は、沢山いたことでしょう。
妻や息子がどのような方なのか、気になる人も多いと思います。
しかし2014年の時点で別居されていたようなので、あまり深く詮索はしない方が良いのかもしれません。
さらに晩年は駐車場の管理人の仕事をしていたというのも驚きでした。
死去した原因は心不全でした。
葬儀としては「生前葬」が執り行われました。
東京の総評会館に約200名が参加され、賑やかに催されました。
塩見孝也さんのご冥福を、心よりお祈り致しております。
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