松原のぶえ、病気と闘病。元夫との離婚と結婚、家族について

北島三郎さんを師匠に持ち、デビューの年には日本レコード大賞新人賞ほか各新人賞を総なめにした松原のぶえ(まつばらのぶえ)さん。

クセのない安定した歌唱力を誇る実力派の一人です。

持病の大手術の報道には驚いた人も多かったようですが、ここでは松原のぶえさんが患っていた病気や闘病について詳しくみていきます。

また、元夫との結婚と離婚、家族についてもお送りします。

松原のぶえの病気は腎不全。幼少時から闘病していた!

幼い頃から腎臓が悪く、排尿が順調ではなかったため、利尿剤に頼りながら芸能活動をしていた松原のぶえさん。


しかし投薬治療では病状は改善せず、悪化する一方でした。

そこで46歳の時に週3回の人工透析を始めることに。

腎臓には、血液をろ過して老廃物を排出する働きがありますが、腎不全になると、老廃物を尿として排泄することができなくなります。

松原のぶえさんの腎臓は二つとも2%しか機能しておらず、医師からは、放置すれば命にかかわると宣告されていました。

地方公演をこなしながらの人工透析は困難をきわめたことでしょう。

透析を受け始めて1年ほどたった頃、そんな松原のぶえさんの姿を見ていたのぶえオフィスの社長で弟の廣原伸輝さんから腎臓提供の申し出が。

当初は弟の身体にメスを入れることに大きな抵抗があったそうですが、デビュー30周年という大きな節目を迎えた2009年、慢性腎不全治療のための生体腎臓移植手術に踏み切ります。

適合検査や、血液型の違いによる抗体づくりを経て、8時間に及ぶ大手術に耐え抜いた松原のぶえさん。

手術後に尿意を覚えた時は、そのありがたさを身にしみて感じたそうです。

退院後は死への恐怖や透析の苦痛から解放され、健康を実感する毎日とのこと。

レギュラー番組でも元気な姿を見せていますね。

この先は定期的な検診や拒絶反応を予防する免疫抑制剤を一生飲み続ける必要はあるものの、健康管理に気を配れば問題はないそうです。

松原のぶえの家族まとめ。歌手生命を救った家族愛!

1961年7月18日に今の大分県中津市で生まれた松原のぶえさん。

兄と弟にはさまれて育ったせいか、男まさりの性格でした。

中学時代からタレントを志し、福岡のタレント養成所で歌のレッスンを受けていたそうです。

父親は2002年に交通事故で他界したため、家族は母と兄と弟になります。

デビュー曲『おんなの出船』は作詞が山田孝雄さん、作曲が船村徹さんという期待度の高さがうかがえる作家陣。

ですが、生まれ育ったのが大分県の内陸部で、海を見たことがなかったため、歌詞にある「出船」「桟橋」「波止場」などのイメージがつかみにくかったといいます。

腎不全による体調の悪化で、一時は引退も頭をよぎったという松原のぶえさん。

自ら第二の人生のスタートと呼ぶ新たな一歩を踏み出せたのは家族愛のおかげでしょう。

ドナーになった弟の廣原伸輝さんは、北島音楽事務所独立以降ずっとマネージャーを務め、姉の闘病を間近で見てきた人でした。

また母親も、自分がドナーになると言って聞かなかったそうです。

姉として、または娘としては複雑な思いもあったでしょうね。

元夫との結婚と離婚について

松原のぶえさんは1992年に当時のマネージャー・棚瀬直樹さんと結婚。

婿養子として入籍したようです。

のぶえオフィス設立後、直樹さんは社長に就任しますが、税金の滞納や多額の借金に加え、新人歌手の発掘という名目で中国の大連に長期にわたって滞在。

負債がありながら、事実上は行方をくらませた状態になってしまいます。

こうした行動に対して松原のぶえさんは、自分を妻としてではなく歌手としてみているだけではないかと不信感を募らせるように。

一方の直樹さんはインタビューで借金問題について説明。

その言い分は、税金の未払い以外はビジネス上のことなので借金とはとらえていないというものでした。

オレ流理論が炸裂していますが、「ビジネスで借りたお金も借金なんだよ」と教えてあげた債権者はいたのでしょうか。

二人の離婚は2003年に成立しています。


多額の借金は松原のぶえさんが返済したそうです。

離婚、大病、大手術と、人生の苦しい局面に何度もさらされた松原のぶえさん。

今後はどうか無理をせずに、健康管理を最優先して歌い続けてほしいと思います。

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コメント

  1. テレビでこの前また人工透析に戻つたという‼️

  2. 今また人工透析に戻つたと聞いたがそこらを書いて下さい❗️