青江三奈の死因。結婚した夫と家族の遺産相続争いを経て現在は?

『伊勢佐木町ブルース』に代表されるハスキーな歌声と妖艶なルックスで、ムード歌謡の女王として昭和歌謡史に一時代を築いた青江三奈(あおえみな)さん。

59歳という早すぎる死は衝撃的でしたが、死因はいったい何だったのでしょうか。

最晩年に結婚した夫と家族の遺産騒動にスポットを当てながら、青江三奈さんをめぐる現在の状況についてまとめます。

青江三奈の死因は?

1941年5月7日生まれの青江三奈さんは、かつてはクラブ歌手として活躍した芸能人でした。


東京都江東区砂町出身で、本名を井原静子さんといいます。

成徳学園高等部在学時から銀座のシャンソン喫茶・銀巴里でステージに立ち、卒業後は百貨店の美容部員を経て、人気クラブ歌手として花開きました。

時はナイトクラブ全盛期。

一晩にいくつものステージをかけもちする売れっ子だったそうです。

芸能界デビューは1966年の『恍惚のブルース』。

デビュー曲なのに、なにやらすごいタイトルです。

初のミリオンセラーは2年後の『伊勢佐木町ブルース』。

『伊勢佐木町ブルース』というと、イントロの「アーン」というセクシーな吐息と、曲中の「ドゥドゥピ ドゥピドゥピ ドビィドゥバァ~」という官能的なスキャットを思い出します。

子供が聴いてはいけない楽曲ランキングがあったら、余裕で上位に食い込んでくる強者ですね。


日本レコード大賞歌唱賞を2年連続で受賞した魅力的なハスキーボイスと、大人の色気たっぷりの艶やかな容姿には今も根強いファンが多いようです。

1999年1月まではコンスタントに歌手活動を続けていた青江三奈さん。

わずか1年半後の翌2000年7月2日に59歳で死去しています。

死因はすい臓がんでした。

死去の2年前、57歳の時に背中に激痛を覚えて検査を受けたところ、すい臓がんと診断されたそうです。

ステージは不明ですが、青江三奈さんは病気を伏せて歌手活動を続けていたのですね。

最後の公演となった1999年1月23日のコンサートのあとに入院した際は、病名をすい炎と発表していました。

大手術を経て4月に退院し、活動の再開を目指していましたが、翌年2月に体調が悪化。

すい臓がんの転移が見つかり、闘病生活を送るも叶わず、力尽きてしまったとのことです。

ワイドショーで報じられた葬儀・告別式では、弔辞を読んだ親友・水前寺清子さんの痛ましいほどの憔悴ぶりが印象的でした。

青江三奈が結婚した夫・花礼二&現在(2023)は?

世間的には独身と認知されていた青江三奈さん。

ところが、死のわずか2か月前に花礼二さんと入籍していました。

花礼二さんは高校を卒業したばかりの青江三奈さんの才能を見いだし、歌手として育てた人物。

持ち歌『国際線待合室』や『昭和おんなブルース』などの作曲者でもあります。

青江三奈さんは10代の頃、歌の世界に進むことを家族に反対されて実家を出てしまい、花礼二さんのもとで同棲生活をはじめました。

しかし出会いから20年後、二人は破局。

そして19年後、病魔が再び二人を結びつけます。

すい臓がんの転移を告げられた青江三奈さんは、最期の時間を花礼二さんと過ごすことを望んで連絡をとったそうです。

病床で婚姻届に署名したのは5月頃とされていますが、のちにこの一件が花礼二さんと青江三奈さんの家族との間で遺産をめぐる騒動に発展。

花礼二さんの本姓は鈴木なので、青江三奈さんの本名は「鈴木静子」に変わりました。

青江三奈さんが眠る鎌倉霊園の鈴木家の墓の墓誌にも「鈴木静子」の名が刻まれています。


一方、遺産目当てとバッシングされた花礼二さんは、2010年の時点の情報では熱海の一軒家に一人暮らし。

青江三奈さんの遺品や写真に囲まれて、静かに余生を過ごしているとのことです。

青江三奈の遺産をめぐり夫と家族がトラブル!

青江三奈さんの入籍が死後に発覚したことから、花礼二さんと青江三奈さんの家族の間で婚姻の虚実をめぐる争いが起こり、遺産相続トラブルが勃発。

不可解なのは入籍を家族が知らなかったことです。

花礼二さんが意識の朦朧としたがん患者に無理やり署名・捺印をさせたと疑われてもしかたありませんね。

3億円以上といわれた青江三奈さんの遺産の法定相続人は配偶者ときょうだいであり、配偶者が受け取る権利は4分の3、残りをきょうだいが分ける形でした。

相続人は姉と兄とみられていたところに配偶者が登場したことになります。

婚姻届の筆跡鑑定の結果、筆跡は青江三奈さん本人のものと判明したことから、遺産分割協議を経て、花礼二さんが姉と兄それぞれに法定相続分に近い遺産を支払うことで和解したようです。

メディアには「臨終婚」と例えられた青江三奈さんの結婚をめぐる遺産相続騒動。


親族で争わないためにはどうすればいいのかを考えさせてくれる出来事でした。

青江三奈さんは天国でため息をついていたかもしれません。

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コメント

  1. 遺産相続、大変だね

  2. 私は今ろ4歳に成ります^_^青江三奈さん

  3. 私は、昭和22年の生まれです。昭和の時代、不幸な出来事もたくさんありましたが多くの国民は働くことことで明日は今日よりもきっとよい生活を迎えられると信じて額に汗し、歯を食いしばって小さな娯楽に癒されつつ暮らしてまいりました。大都会の薄暗いホールで色とりどりのネオンに輝くドレスに身を包んだが歌手の生のショーなど夢のまた夢でした。仕事帰りに、駅前の飲み屋で青江さんのまどろむようなハスキーな歌声にまだ見ぬキャバレーで妖艶な雰囲気を一人想像してきっと一度は訪れたいと淡い希望を夢見たものです。最近、ユーチュブで当時の青江さんの名曲を何度も何度も聴きながら懐かしく過ぎし日々を想いだしております。若くしてご病気で亡くなられ悔やまれますと同時にご冥福をお祈りいたします。