工藤公康の自宅は横浜から山梨へ。家族(兄弟や母)は7人&出身地と実家は愛知県

工藤公康(くどう きみやす)さんは名投手だけでなく名監督としても歩み出していますよね。

多くの球団を渡り歩いた経歴の持ち主なので自宅がどこにあるのか気になるところですよね。

今回は工藤公康さんの自宅や出身地、兄弟や母親など家族についてチェックして行きます。

工藤公康のプロフィール

生年月日:1963年5月5日

出身地:愛知県名古屋市昭和区

身長:176cm

血液型:O型

最終学歴:名古屋電気高校

工藤公康、現在(2023)の自宅は横浜から山梨県へ

まずは工藤公康さんの”自宅がどこにあるのか”について見て行こうと思います。

西武(所沢市)からスタートして当時の福岡ダイエーホークス(福岡市)へ移籍し、その後は読売ジャイアンツ(東京都)や当時の横浜ベイスターズ(横浜市)に在籍してます。

工藤公康さんは成績が悪いと奥さんの勧めもあって何度も引っ越しをしていたそうです。


大手メディアが工藤公康さんの自宅について触れているツイートがありました。

これは日刊スポーツ記事を引用したツイートですが、具体的に「横浜市内」と掲載しています。

横浜市内の自宅を購入した時期は明らかになっていませんが、自宅以外にも”仕事部屋”と呼ばれる野球を研究するためのマンションを借りているそうです。

そこには6台のモニターがあって12球団の全試合(6試合)を録画して研究しているそうです。

ちなみに、シーズン中は福岡市内のマンションで生活しているそうですが、キャンプや遠征などを含めると年の半分以上は留守なので賃貸で充分だと思います。

他にもニッポン放送「高嶋ひでたけのあさラジ!」では、横浜DeNAとの試合に向かうバスの中でマイクを持って自宅を紹介するエピソードも公開されていました(笑)

と言うことは、比較的大きな道路に面した場所に位置しているのかも知れませんね。

所沢説も間違いではない

工藤公康さんの自宅については、「埼玉県所沢市のはず」という意見もあるのだとか。

これは、長男の阿須加さんや長女の遥加さんが、所沢市出身という情報から生まれたものでしょう。

確かに、子供たちの出身地が所沢なら、父親の自宅も同じはず。

ですが、公康さんのファンなら、所沢の噂が出た理由にはすぐ気づいたのではないでしょうか。

前述のとおり、公康さんは何度も引っ越しをしており、最初に住んでいたのが所沢でした。


子どもが生まれたのは最初の家だったため、阿須加さんや遥加さんのプロフィールは所沢出身となったのでしょう。

つまり、かつては確かに所沢在住だったわけですから、噂も間違いではないということです。

ただ、子供たちを入り口として最近公康さんを知った人は、勘違いしてしまうのかもしれませんね。

現在は山梨で農業

一時期は横浜在住だった工藤公康さんですが、2023年現在は、また違う土地に住んでいるようです。

こちらの動画の9:25あたりから現在の住まいの話になり、山梨県に家を借りていることを明かしていました。

引っ越した理由は、農業のため。

阿須加さんが2021年から山梨で農業を始め、公康さんもそれを手伝うことになったのです。

現在、山梨県北杜市で農場の畑、一区画を担当。今は冬野菜の大根や春菊などを育てる。

高校時代から農業に興味を抱き、東京農業大学で勉強したという阿須加さん。

俳優として芸能活動を始めたものの、「いつかは農業をやりたい」という夢を持ち続けていたようです。


思い切って決断した息子のことを、公康さんは応援しているのだとか。

農業を始めたことについて、父は「いいじゃないか、おれも手伝いに行く」と背中を押してくれているという。

2021年は、親子2人で畑仕事をする映像も公開されました。

野菜を育てている公康さんの姿を見て、驚いた野球ファンも多いかもしれません。

ですが、この様子を見ると、山梨での暮らしはとても充実しているのではないでしょうか。

ちなみに、いつかは自分の家を建てることも考えているのだとか。

現在は山梨県で知人から土地と廃校になった建物を借りて野菜作りやDIYに勤しんでおり、「将来は自分で家を建てたい」との夢も語った工藤氏。

引用元:工藤公康、「引っ越しの回数は20回」驚きの現役時代“渡り鳥生活”と“いま” | エキサイトニュース

確かに、この先もずっと親子で農業をやっていくなら、自分の家があった方がよさそうですね。

2023年現在はまだ借りている状態ですが、いつかはしっかりした家を建て、より落ち着いた環境で農業に取り組んでいくのでしょう。

工藤公康の家族(兄弟や母)はどんな人?

次は工藤公康さんの母親や兄弟など家族について見て行きましょう。

生まれ育った家庭について調べると、三男として生まれたことがわかりました。

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2019.11.3 宮崎アイビースタジアム : #工藤公康

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しかし2歳の時に両親は離婚してしまったらしく、離婚後は父・光義さんが子供たちの親権を持っていたので”男4人”で生活をしていたそうです。

しばらくして父親は再婚し、新しい奥さんとの間に子供をひとり授かったそうです。


父親の再婚相手には連れ子がいたそうなので、全部含めると7人家族という事になりますね。

ただ、工藤公康さんについては三男と四男の説がありますが、再婚相手の子供が年上で三男から四男になった可能性もあるので何とも言いきれません。

兄弟や実の母親、再婚相手の母親について工藤公康さん自身が触れる事はほとんどなく、名前や大人になって何をしているかなど明らかになっていませんでした。

父親は熱狂的な巨人ファンだったので息子たちにも野球のスパルタ教育をしたそうですが、工藤公康さん以外は付いて行けずに野球の道を辞めてしまったそうです。

工藤公康の出身地や実家はどこ?

最後に工藤公康さんの出身地や実家について見て行きます。

生まれた出身地は愛知県豊明(とよあけ)市ですが、しばらくして名古屋市に引っ越しています。

名古屋電気高校(今の愛知工業大学名電高校)卒業後に西武と熊谷組のどちらに進むか注目されていましたが、当時の新聞記事に住んでいた住所が載っていました。

番地こそ隠されているものの「名古屋市天白区高坂町」と具体的に掲載されていました。

父・光義さんは子供たちが独立した後に生まれ故郷の宮崎県(延岡市)に転居しており、新聞に掲載されていた住所に工藤家の方が今も住んでいるのかは不明です。

それにしても、工藤公康さんからはあまり名古屋っぽさを感じないのは何故でしょうか(笑)


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コメント

  1. 工藤監督は父である光義さんが亡くなられた時
    葬式には来てませんでした。
    よく他の兄弟の方々は帰省してらした様でしたが
    工藤監督はとんと見る事は無かったです。

  2. 上の方。
    その当時、横浜での監督就任の件でゴタゴタしていたから
    葬儀に間に合わなかったという内容が載った記事が当時ありましたよ。
    お父様が入院されていた病院へのお見舞いは行かれていたとも書かれていました。