これぞマルチタレントという多彩な活躍を見せる湯原昌幸(ゆはら まさゆき)さん。
明るく優しい笑顔が印象的ですが実は壮絶な私生活を送っていたんです。
湯原昌幸のプロフィール
本名: 桜井昌幸
生年月日: 1947年3月5日
血液型: B型
出身地: 茨城県牛久市
最終学歴: 日本大学 芸術学部放送学科(中退)
所属事務所: ハブ・マーシー
湯原昌幸、現在の活動
1946年生まれで70歳を過ぎた今でも湯原昌幸さんは現役。
毎年のように新曲を発表しテレビやラジオ、コンサートなど精力的に活動しています。
これぞマルチタレントといった活躍ぶりですね。
また、妻の荒木由美子さんとは結婚から30年以上経った今も大変仲良し。
夫婦揃って番組やイベントに出演する事も少なくありません。
公私ともに満たされた日々を送る湯原昌幸さん。
まだまだ元気な姿を我々に見せてくれそうですね。
YouTubeチャンネルでも歌を披露
近年の活動では、YouTubeの動画も見逃せません。
2020年から始めた「湯原昌幸チャンネル」で、素敵な歌声を響かせています。
新曲の発表やカバー曲など、いろいろな動画が楽しめるようです。
歌っている姿をいつでも手軽に見られるので、ファンにはたまらないチャンネルでしょうね。
新曲も聴けるなら、最近の活動をチェックしたいときも役立ちそうです。
しばらく離れていたファンが動画で近年の活動を知り、また応援し始めることもあるかもしれません。
また、動画で初めて湯原昌幸さんの歌を聴き、新しくファンになる人もいることでしょう。
YouTubeという新たなフィールドでの活動には迷ったかもしれませんが、いろいろとメリットはありそうですね。
ちなみに、奥さんとの仲良しっぷりはこのチャンネルでもしっかり見ることができます。
繰り返し動画を見て、おしどり夫婦の和やかな雰囲気に癒されているファンも多いのではないでしょうか。
今後も一緒に出演する動画が発表されると思われるので、「最新の仲良し夫婦が見たい」という人も、YouTubeチャンネルを要チェックです。
湯原昌幸と荒木由美子は再婚だった?
湯原昌幸さんが結婚したのは1983年。
相手は女優の荒木由美子さんです。
当時36歳の湯原さんが13歳年下の荒木さんと結婚したことは大きな話題となりました。
これから幸せな結婚生活が待っているはずでしたが、結婚から僅か2週間後、湯原昌幸さんの母が入院することに。
そのため二人は新婚旅行に行くことが出来ませんでした。
2人が新婚旅行に行ったのは結婚から23年後の2006年。
行先はオーストラリアのパースであり、そこで2人は2回目の結婚式を挙げました。
結婚式が2回目という事で湯原昌幸さんが再婚と勘違いしている人もいるようですが、違います。
2回結婚式をしたのは確かですが、結婚自体は1回です。
荒木由美子の過去にも結婚はない
再婚の噂を耳にした人は、荒木由美子さんの方が再婚である可能性も想像したかもしれません。
奥さんの過去に結婚や離婚があれば、1983年の結婚は2回目。
それなら、夫の方が初婚でも再婚の話題は出てきますよね。
しかし、過去の結婚や離婚についての情報はありません。
すでに結婚していたなら、湯原昌幸さんとの結婚が発表されたとき、再婚であることも報道されていそうなものです。
ところが、そんな情報はまったくなし。
離婚や元夫の男性についても、それらしい噂は出ていません。
これは、荒木由美子さんも間違いなく初婚ということでしょう。
噂が出てきたのは、やはり2回の結婚式による勘違いが原因であり、本当に再婚というわけではなさそうです。
それにしても、最初に結婚した相手と相性がばっちりで、ずっと仲良く暮らせるというは素敵なことですね。
これからも、仲睦まじい様子をたっぷり見せてくれることでしょう。
湯原昌幸は離婚したの?
結婚から2週間後に母が入院してしまった湯原昌幸さん。
しかし、仕事があるため介護をする事が出来ません。
介護をしていたのは、妻の荒木由美子さんでした。
荒木さんは結婚を機に芸能界を引退。
これから主婦として新しい生活が始まると思った矢先に介護生活が始まってしまう事になりました。
嫁姑関係が病院で始まった荒木由美子さん。
毎日のように病院に通ったため2か月ほどで姑の好みを全て把握出来たそうです。
ですがその後、姑は認知症を発症。
症状は次第に酷くなり荒木さんはストレスのため髪が抜け手足の震えが止まらないことも。
介護による重苦しい空気は家庭内にも蔓延。
もはや気力が限界を超えてしまい、母の首に手をかけてしまったこともあったんだとか。
このままでは家庭が壊れると考えた湯原昌幸さんは母を介護施設に。
その後も荒木さんは毎日のように介護施設に通い母の世話を続けたそうです。
母親が亡くなったのは、2002年1月3日のこと。
荒木由美子さんの約20年にも及ぶ介護生活はこうして幕を閉じました。
「これは私に科せられたハードルなんだと思いました。認知症になった母とはけんかをしないと、嫁としての覚悟を決めて我慢しました」
あまりにも壮絶な生活を送っていた2人。
いつ夫婦関係に亀裂が生じてもおかしくなかったことでしょう。
実際に「介護離婚」という言葉があるほど介護が原因で離婚する夫婦は少なくありません。
ですが湯原昌幸さんと荒木由美子さんは離婚する事なく介護生活を終えています。
きっと互いが互いを思いやる気持ちを忘れなかったため離婚という結末を迎えずに済んだのだと思います。
高齢化社会が進み介護の問題はこれからどんどん報道されていくはず。
そんな時には改めて湯原昌幸さんと荒木由美子さんの介護が話題となる事でしょう。
湯原昌幸には子供がいる?
結婚とほぼ同時に介護生活が始まった湯原昌幸さん。
それから1年後には息子が誕生し介護と育児で多忙な日々を過ごすこととなります。
母の認知症が始まったのは息子が5歳の頃。
まだまだ甘えたい年頃ですが介護が大変だったためあまり構ってあげる事が出来なかったそうです。
ようやく息子とちゃんと関わる時間を取る事が出来るようになったのはそれから20年後のこと。
介護中は義母に付きっきりだった荒木由美子さんはそれまでの時間を取り戻すかのように息子を溺愛。
そのため子離れできていないと感じる事があるんだとか。
ちなみに息子は30歳を過ぎた今も実家で暮らしているそうです。
荒木さんだけでなく湯原さんも子離れが出来ていないのかもしれませんね。
そんな息子ですが、芸能界には進まなかったようで詳細な情報は不明です。
ただ現在は医師になっている、と噂されているようです。
息子は物心ついた時から介護が必要な祖母と生活しています。
そのため医師を目指したのでは、と言われているようです。
ですが、息子が医師という事実は確認できず。
もし本当に医師になっていたら美談として取り上げられていてもおかしくありませんよね。
そのため、医師になったというのは誤りではないかと思われます。
湯原昌幸の身長はどれくらい?
非常に小柄な事で知られる湯原昌幸さん。
共演者と並ぶと小柄な体型がひときわ目立ってしまう事も少なくありません
湯原昌幸さんの身長がどれくらいなのか気になりますよね。
ですが公式プロフィールを見ても公表されていません。
そこで妻の荒木由美子さんと身長を比較してみたいと思います。
荒木さんの身長は153cm。
夫婦で並んで立つ姿を見る限りでは湯原昌幸さんは160cmも無さそうです。
身長を公表していないのは小柄である事を気にしているのかもしれません。
ですがステージに立ってしまえば身長なんて関係ありません。
ステージで素晴らしい歌声を披露する湯原昌幸さんはきっと実際の身長よりも大きく見えることでしょう。
湯原昌幸の経歴まとめ
歌手に俳優、リポーターにパネラーとマルチな活躍をみせる湯原昌幸さん。
早くから歌手を目指していたそうで銀座ACBの新人コンクールに合格後、本格的にボーカルレッスンを開始。
1964年にオーディション番組の「ホイホイ・ミュージック・スクール」に出演したことで東洋企画に入社するとボーカルとして「スウィング・ウエスト」というバンドに加入する事に。
バンドではボーカルに加えてMCも担当していたそうです。
「スウィング・ウエスト」が1970年に解散すると湯原昌幸さんはソロ歌手としてデビュー。
ところが売れ行きはいま一つでジャズ喫茶への出演や家業の手伝いで生計を立てていたそうです。
そのような境遇を変えようとしたのか湯原昌幸さんは1971年にカワハラ企画へ移籍。
「スウィング・ウエスト」の楽曲をリメイクした「雨のバラード」をリリースすると累計で120万枚を超える大ヒット。
一躍、人気歌手の仲間入りを果たすこととなります。
この勢いに乗ってその後も多くの楽曲をリリースした湯原昌幸さん。
ですが「雨のバラード」に続くヒット曲は生まれず。
そのため、バンドでMCを担当していた経験を活かしてバラエティに挑戦。
するとコメディアンのせんだみつおさんとの掛け合いが話題となりお茶の間の人気者となりました。
お茶の間に顔と名前がすっかり浸透した湯原昌幸さん。
その後は俳優やレポーターなどでも活躍。
2003年には「冬桜」が有線放送をきっかけに話題となり出荷枚数が10万枚超の大ヒット。
本業である歌手として再び脚光を浴びるようになりました。
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