宮本佳長(小泉三男)は三井不動産勤務。大学の同級生と結婚&ムロツヨシと勘違い

父は元内閣総理大臣、長男はイケメン俳優、次男は総理をめざす期待の若手議員という華麗な小泉家。

同じ父を持ちながら、兄二人とはまったく違う人生を送ることになった小泉三男の宮本佳長(みやもとよしなが)さん。

ここでは両親の離婚に端を発する兄弟の別離から、宮本佳長さんが勤務する三井不動産グループ、出身大学、結婚についてまとめます。

宮本佳長さんの画像として、ムロツヨシさんが登場する理由についても迫ります。

小泉三男の宮本佳長は一般人

小泉純一郎さんには長男の孝太郎さんと次男の進次郎さんのほか名字の違う三男がいます。

このことはたびたびメディアに取り上げられてきた事実です。


家庭の事情によって数奇な人生を送ることになった宮本佳長さんは一般人であるため、世間にはあまり知られていないかもしれません。

ここではまず三兄弟が離れ離れに暮らすことになった経緯を振り返りたいと思います。

1978年、小泉純一郎さんは新進気鋭の議員でした。

この年、エスエス製薬創業者・泰道照山さんの孫娘で、青山学院大学4年生の宮本佳代子さんとお見合い結婚。

同年7月に孝太郎さん、1981年4月には進次郎さんが誕生。

けれどもその翌年、結婚生活は破綻。

この時佳代子さんのお腹の中にいたのが佳長さんです。

政治家が三代続く小泉家は、純一郎さんの姉・信子さんを中心に、議員の弟をバックアップする結束の固い一家でした。

義母や義姉たち、義弟夫妻などが同居する中、長男の嫁である佳代子さんは何もさせてもらえず、半ば追い出されるように家を出たといいます。

離婚後は実家のある神奈川県鎌倉市へ戻り、佳長さんを出産。

「佳長」と命名したのは宮本家です。

佳代子さんは小泉家と三男の親権をめぐって争い、調停の末に勝ち取ります。

両親の離婚時に4歳だった孝太郎さん、1歳だった進次郎さんの母親は純一郎さんの姉・道子さんになりました。

これ以降、佳代子さん親子と小泉家は絶縁状態に入ります。

2001年に純一郎さんが首相に就任して小泉ブームが起こると、佳長さんは会ったことのない父への思いを募らせていきます。

しかし会いに行くたびに秘書を通じて面会を断られたのだそう。

父と息子がようやく対面を果たしたのは政界引退を表明したあとのこと。

兄弟は連絡をとるようになり、まずは息子三人の対面が実現。

2010年の末には東京・赤坂のレストランで父と息子3人がともに食事する模様を週刊誌が報じました。

宮本佳長は三井不動産の関連会社に勤務

離婚後は再婚せず、女手ひとつで佳長さんを育てあげた宮本佳代子さん。

小泉家を出てから表舞台に立つことはなく、元夫が内閣総理大臣に就任した時も、長男が俳優デビューした時も、次男が衆院議員として注目を浴びた時も取材を断りました。

そんな佳代子さんでしたが、還暦を目前にして雑誌のインタビューに応じたことで33年の歩みが明らかに。

シングルマザーとして不動産会社で働き、猛勉強の末に宅地建物取引士の資格も取り、キャリアを積み重ねてきたとのことです。

佳長さんには、「あなたの世帯主はただの会社員なのだから、父親が有名人でも勘違いしないように」と教育。

佳代子さんが入社したのは三井不動産グループの会社で、2015年の時点で三井不動産リアルティのコンサルティング営業一部営業グループに在籍していることが確認できました。

佳長さんが同じ不動産業界を希望したことについては、自分の背中を見ていてくれた気がしてうれしかったと語っています。

佳長さんは2018年に行われたスポーツコミッション関西主催のトークセッションに参加しており、その時の肩書は三井不動産レジデンシャル・市場開発部商品企画グループ となっていました。

宮本佳長が結婚した女性は大学の同級生

週刊誌によると、宮本佳長さんは中学卒業後に渡米してテネシー州の高校に留学。

帰国後は京都の私立大学に進学して中国語を学び、6年かけて卒業しました。


公式プロフィールがないため大学名は不明ですが、ネット上では京都外国語大学が有力視されています。

2013年には三兄弟のなかでトップをきって結婚。

新婦は入学時の同級生でした。

ホテルオークラで行われた結婚式には小泉純一郎さんも出席し、30年以上叶うことのなかった5人の対面が実現したそうです。

ただし、披露宴には純一郎さんは出席しなかったと報じた週刊誌もありました。

ムロツヨシは宮本佳長と勘違いされている?

小泉家とは親しい交流があり、ブレイク前は純一郎さんからお年玉までもらっていたというムロツヨシさん。

孝太郎さんや進次郎さんと一緒に写っている画像がネット上に多く出回っていることから、ムロツヨシさんが宮本佳長さんだと思い込んでいる人もいるようです。

また宮本佳長さんに関する記事によく添えられている画像として、純一郎さん、少年時代の孝太郎さん、進次郎さん、年少の男の子の4人が写っている写真もありますが、この男の子も佳長さんではないと思われます。

佳長さんが生まれる前に母は小泉家と縁が切れており、以降は没交渉だったのですから、幼少時に親子4人で仲睦まじく過ごす機会はなかったでしょう。

この男の子は従弟など親族の可能性がありますね。

宮本佳長さんは一般人ですから、おそらく画像は公開されていないのではないかと思います。

間違いなくご本人であることを示す画像は見つけられませんでした。

佳代子さんによると、三兄弟の中では佳長さんがいちばん父親に似た顔立ちであり、孝太郎さんは母親似、進次郎さんはちょうど中間なのだそう。


父親似の佳長さんが小泉家を離れ、母親似の孝太郎さんが「小泉」の姓を名乗るというのも皮肉な気がします。

三兄弟の人生は、政治家一族の闇を見るようでもありました。

コメント

  1. 闇ではなく、家族5人が自立した一人一人の確実な人生であり、黒帯のような力強さを感じました。