長妻昭、病気の人の救世主。家族愛がすごい&息子が芸能人。経歴は?事務所は議員を多数輩出

野党の議員ながら与党議員に負けない存在を示し続ける長妻昭(ながつまあきら)さん。

長妻昭さんのような議員ばかりであれば日本の未来は明るいと感じる人はきっと多いはず。

長妻昭は今も病気の人が頼りにしている?

衆議院議員を7期務め、厚生労働大臣や民主党代表代行、民主党幹事長代行などの要職を歴任する長妻昭さん。

現在も立憲民主党代表代行、選挙対策委員長など党の運営に重要や役割を担っています。


かつて政治家になるために必須と言われた「地盤」、「看板(知名度)」、「カバン(お金)」の三バン。

現在、要職に就いている政治家の多くがこの三バンを持っています。

ですが、長妻昭さんはそれらを全て持たずに議員となった非情に稀有な政治家なんです。

三バンを持たないという事はそれだけ庶民の感覚に近い政治家ということ。

困ったときに頼りにしたいのは長妻昭さんのような政治家。

過去に厚生労働大臣を務めた事もあり難病に苦しむ人々も長妻昭さんの所へ陳情に訪れています。

ここで注目すべきなのが現職ではなく過去の厚生労働大臣を頼っているということ。

厚生労働大臣時代に子ども手当の推進や失われていた年金記録の復活など、目に見える成果を残している長妻昭さん。

また、参議院厚生労働委員会で初めて慢性疲労症候群を取り上げたのも長妻昭さんでした。

その一方、指示の細かさと多さから厚生労働省職員の業務量が増えたという記録も残っています。

長妻昭さんが厚生労働省の仕事量を増やしたという見方もあるでしょう。

ですが、厚生労働省がこれまですべき事をしていなかっただけ、という可能性もあります。

溜まった作業を推進するように長妻昭さんが指示をしたため業務量が増えただけかもしれません。

かつて民主党に政権を取らせた事は失敗と考える人は少なくないでしょう。

ですが、長妻昭さんの実績と今も病気の人から頼られる姿を見れば全てが失敗だったわけではないとお分かり頂けるはず。

きっと長妻昭さんが再び与党として要職に就く事を願っている人も多い事でしょう。

家族を大切にする政治家

長妻昭さんのFacebookを見ると「平成は結婚、転職、バブル崩壊から始まった・・・」という投稿がありました。

そのため長妻昭さんが結婚したのはおそらく平成元年。

政治家の中には政略結婚のように大物政治家の娘と結婚する事もあります。

ですが長妻昭さんの妻に関する情報はありませんので一般の方なのでしょう。

過去に趣味が「妻と散歩」と語っている長妻昭さん。

結婚から数十年が経っても夫婦仲が良い様子が伝わってきますね。

きっと夫婦仲が良好な秘訣は長妻昭さんが家族を大切にしているから。

仕事に専念し、家庭を顧みないのは過去の話。

男性議員の育児休暇取得やイクメン議員連盟の発足など家庭を大事にする国会議員も増えてきています。

なお、イクメン議員連盟の顧問を務めるのは長妻昭さん。

きっと議員の間でも長妻昭さんは家族思いで有名なのでしょうね。

権威を保つ事ばかり考え近寄りがたい政治家も少なくありません。

特に当選回数の多い議員にはそのような議員が多いですよね。

ですが、どこか親しみやすさを感じられる長妻昭さん。

家族思いの一面が人柄に反映されているのかもしれません。

息子が芸能界で活躍中

愛する妻との間に3人の息子がいる長妻昭さん。

息子達の詳細な情報は明かしていませんが、そのうちの1人が芸能人という噂があるんです。


長妻昭さんの息子と噂されているのは長妻怜央さん。

かつてジャニーズ事務所に所属し「Love-tune」というグループで活躍。

個性豊かなメンバーで結成され、エンターテインメント性に定評があった「Lobe-tune」。

更なる活躍が期待されていましたが、長妻怜央さんは2018年にジャニーズ事務所を退所。

その後、「Love-tune」のメンバーは全員ジャニーズ事務所を退所。

そして2019年5月22日にメンバーが再集結し「7ORDER project」というプロジェクトを始動させています。

今後の活躍が期待される怜央さん。

姓が同じ事から長妻昭さんの息子では、と言われているようです。

ですが、長妻昭さんと長妻怜央さんは親子ではありません。

長妻昭さんが東京在住なのに対して怜央さんの出身地は茨城県という事からも明らか。

いつか2人が共演する姿を見てみたいですね。

そんな日が来たら再び「親子では?」と噂になってしまうかも。

長妻昭の輝かしい経歴

政治家に必須と言われた「三バン」を持たずに国会議員となった長妻昭さん。

1984年に慶応義塾大学の法学部を卒業後、NECに入社。

NECでは大型コンピュータの営業をしていたそうです。

そして1989年に出版社でも有数の大手である日経BP社に転職。

元NECという経歴もあり、当初は電機メーカーを担当。

その後、金融と行政、政治の担当となり金融危機に関する記事を作成するため政治家や官僚を取材するように。

この取材を通して得た経験が政治家を目指すきっかけとなったそうです。

バブルが崩壊して不良債権問題が大きな話題となっていた当時。

ですが、政治家や官僚はこの事態を特に深刻な事態とは考えておらず。

その結果、対応が後手後手となり「失われた20年」と呼ばれる経済の低迷を引き起こしてしまいました。

今の政治家や官僚は頼りにならないと感じた長妻昭さん。

自分が世の中を変えようと政治家になる事を決意。

政治の勉強をするため1992年に平成維新の会に入会。

そして3年後の1995年に参議院議員選挙に出馬するも残念ながら落選。

その翌年、衆議院議員選挙に臨むも小選挙区では大敗し比例での復活も果たせず。

二度の落選にも国会議員になるという志を変えなかった長妻昭さん。


その思いが実を結んだのは2000年の衆議院議員選挙。

この選挙で北海道開発庁長官、沖縄開発庁長官など要職を歴任した前職の自民党、粕谷茂さんに圧倒的な大差をつけて当選。

「日本を変えたい」という強い思いで国会議員になった長妻昭さん。

その後、党内はもちろん政界でもその名を知られる存在に。

知名度だけでなく実績も残し続けた長妻昭さんはその後、国会議員の職を失う事なく2017年には7選。

民主党に強い逆風が吹いた時期も長妻昭さんにはなんのその。

2014年の衆議院議員選挙では東京都内の選挙区で唯一、民主党に勝利をもたらしています。

有権者の中には党名で投票する人は多いでしょう。

ですが、長妻昭さんは党名ではなく自分の名前で票を集められる数少ない政治家。

長妻昭さんは今後ますます政界で存在感を示し続けていくことでしょう。

長妻昭の事務所は議員を多数輩出

地盤、知名度、資金が無ければ議員になる事が難しい日本。

そのためか先進国の中でも日本は政治家を志望する若者が少ないとも言われています。

このような状況を憂いている長妻昭さん。

自身が「三バン」がない状況から議員になった経験を伝えるべく、若い政治志望者を募集。

ただし、政治を志す人であれば誰でも良いという事ではありません。

長妻昭さんが求めるのは明確で説得力がある理由を持っている人。

日本をより良くするために国会議員となった長妻昭さん。

一緒に働くのであれば明確な理由を求めるのは当然ですよね。

そんな長妻昭さんの事務所からはざっと調べただけでも6名の地方議員が誕生。

議員となった今でも長妻昭さんの秘書だった事をアピールする議員も少なくありません。


それだけ長妻昭さんが多くの人々に頼りにされているという事ですよね。

これから先も多くの議員が長妻昭さんの事務所から誕生するのは間違いないでしょう。

いずれ長妻昭さんが政党のトップに立つ日もそう遠くないかもしれません。

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