西村京太郎が死去。死因は肝臓がん。年収と脅威の売り上げ、晩年は湯河原に移住

十津川警部、左文字進といったキャラクターを生み出した、トラベルミステリー作家の西村京太郎(にしむら きょうたろう)さん。

2022年3月3日に91歳で逝去されました。

晩年の生活や年収売り上げ、湯河原との関係について探っていきましょう。

西村京太郎のプロフィール

本名:矢島喜八郎

生年月日:1930年9月6日

身長:不明

出身地:東京都品川区

最終学歴:東京府立電気工業学校(現在の東京都立鮫洲工業高等学校)

西村京太郎のがんで死去

西村さんの死因は肝臓がんで、神奈川県の病院で亡くなり、近親者のみで葬儀が執り行われました。

87歳の時に受けたインタビューでは、今でも毎日原稿用紙20枚を手書きで書いているということが明かされました。


元気で創作意欲もあった西村さんですが、晩年はがんを患っていました。

「松本清張ドラマ」のように、今は亡き小説家の名前を冠したドラマは数多く存在します。

そのため「西村京太郎サスペンス」と銘打ったドラマが次々放送された結果、歴史上の作家というイメージが定着していた西村さん。

伝説的なミステリーの大家が亡くなり、多くの著名人が訃報に哀悼の意をあらわしました。

西村京太郎の年収、売り上げ

次に西村さんの年収売り上げについて見ていきましょう。

作品が数多くサスペンスドラマや映画になっていることを考えると、印税は相当なものだったでしょう。

作家になる前は様々な職を経験し、何と私立探偵をしていた時期もあるそうです。

探偵の仕事は身上調査がメインで、報酬は1件につき1,000円程度でした。

『天使の傷痕』で江戸川乱歩賞を受賞し、ミステリー作家としてふさわしい経歴を手にしたのは1965年。


しかし、しばらくは売れない時期が続きました。

東京から京都へ移り住んだ西村さんは、京都が舞台のトラベルミステリーを執筆するようになります。

すると京都に移った途端、売れっ子作家になっていき、年収が徐々に増えていきました。

結果的には2億円の年収を手にしたということです。

今ではもっと高額になっていることが推測できます。

生涯の総売り上げ部数も2億部を超えており、名実ともに人気作家となりました。

京都への転居を機に、観光地を舞台としたミステリーを書き始めたことが、功を奏したと言えるでしょう。

湯河原に移住し熟年婚

最後に、西村さんが湯河原に住んでいるという情報について見ていきます。

西村さんは病気になった際、温泉治療の必要性を感じ、有名な湯治場を求めて湯河原に引っ越しました。

湯河原に移ってから70歳で熟年婚を果たし、以降初めて人が死なない作品を書くなど、執筆スタイルも変化していきます。

当初は伊豆に引っ越すか迷っていたそうですが、結果的に湯河原で穏やかな日々を楽しんでいたようです。

ちなみに湯河原には西村京太郎記念館があり、死体の人形が出迎えてくれるなど、ファンが喜ぶサービスが充実しています。

西村さんは湯河原の家を、理想の終の棲家だと感じていたのでしょう。

トラベルミステリーの先駆者は、よき伴侶と理想の土地に恵まれ、幸福な日々を送っていたことがわかります。


旺盛な執筆意欲で、晩年も手書き原稿を書き続けた西村さん。

最後に刊行されたのは2022年2月9日、「十津川警部 殺意は列車とともに」でした。

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コメント

  1. 西村京太郎さんの死亡説の噂などバカなことをいわないでほしい。
    九十歳過ぎた今でも尊敬すべき現役の素晴らしい作家です。

    今年の一月から始まり、七月号が最終回だった連載小説(読楽・徳間書店)の「長野鉄道殺人事件」は、十津川警部が太平洋戦争から現在に至るまでの歴史をひきづった事件の解決に挑むもので、戦争時代の歴史に詳しい者でなければおそらく書けないであろう濃厚で素晴らしい内容でした。

    読楽(旧・問題小説)は、数年前から無料配布されており、今まで数多くの京太郎先生の作品を取り上げてきました。
    ご高齢になられてからは、若い頃に発表された小説とは違い、本当に自分自身が書きたかったと思われる作品になっていると感じ、学びの中で感動させられました。