森博嗣、天才の所以。住まいと趣味の庭園鉄道。引退宣言、名古屋大学助教授を辞任の理由

国立大学の教員でありながら小説家デビューし、またたく間に人気作家の仲間入りを果たした森博嗣(もりひろし)さん。

作品群には魅力的な天才キャラクターが登場し、自身も天才作家と呼ばれていますが、ご本人はどうとらえているのでしょう。

またファンが気になる2021年現在の住まいや趣味の庭園鉄道のほか、執筆活動縮小宣言による半引退状態についてもみていきます。

名古屋大学の助教授(現・准教授)を退官した理由は何だったのでしょう。

森博嗣のプロフィール

生年月日:1957年12月7日

血液型:B型

出身地:愛知県

最終学歴:名古屋大学工学部大学院

天才・森博嗣が紡ぐ天才像

1996年に『すべてがFになる』でデビューして以来、大学勤務と執筆業を両立させながらハイペースで作品を発表してきた森博嗣さん。

研究者時代には日本建築学会奨励賞や日本コンクリート工学協会賞を受賞するなど、輝かしい学術業績も残しています。

学術書はもとより、小説、エッセィ、詩集、写真集など、ジャンルの枠を超えた著作からも多才ぶりがうかがえますね。


『すべてがFになる』で登場した真賀田四季をはじめ、森さんの小説には魅力的な天才たちが登場します。

そこで描かれる天才像は、天才を天才として見事に昇華したものばかり。

特徴は、知能がきわめて高く、思考や発想が常人の視点や常識を超えているところ。

天才とは、目に映っている世界が一般の人々とは異なる宇宙人のような存在なのかもしれませんね。

天才を描ききるには天才を理解することが不可欠だとすれば、このような世界を構築できる森さんの思考の深さこそ天才といえるでしょう。

ところが、ご本人は少し気になる発言をしています。

それは、天才を描く時は読者が想像できるレベルでしか描けないため、そこまで落とし込む必要があるということ。

天才を描くことには限界があり、描き方をあえて抑えていると解釈できますが、森博嗣さんが本気をだして自由に描いた天才像はどんなものになるのでしょう。

教官・研究者という本業のかたわらに片手間で書いた小説で莫大な印税を手にしたあとは、趣味の庭園鉄道を楽しむ自適の生活を送る森博嗣さん。

片手間といいますが、執筆のペースは1時間に6000文字という驚くべき早さ。

しかも頭の中に渦巻く情報量は比べものにならず、文字に起こしているのは半分以下なのだそう。

自分の才能についてはなんとなく把握してはいるものの、それを活かすためには、ひたすら地道に書き続けるしかないそうです。

しょせん「天才」という評価は周囲が下すものであり、そうした外野の評価など、天才たちにはどうでもいい話なのかもしれません。

森博嗣の住まい&趣味の庭園鉄道は本格的

海外への短期留学や三重大学に勤務していた時期を除き、長く故郷の愛知県に住まいを構えていた森博嗣さん。

庭園鉄道第一号の路線名が「弁天ヶ丘線」であることからもわかるように、以前は名古屋市守山区弁天が丘に居住していたようです。

その後は長野県に転居したとみられていますね。

なぜ長野県と判明したかというと、輸入住宅メーカーのリンダルシーダーホームズのサイトに森邸と思われる施工例が「M邸」として掲載されたことがあり、所在地が長野県だったから。

ですが、2021年現在はもうこの住まいには暮らしていないようです。

著作の記述によると、庭園鉄道用の住まいとは別にラジコンの模型飛行機用の別荘も所有しているのではないかと思われます。


森先生の住まいはどこにあるのかというのはファンの関心事のひとつなのですが、ご本人は自宅の具体的な場所についてはほのめかすにとどめることが多いよう。

いろいろとファンに考えさせるのも、森博嗣さんの作戦なのかもしれません。

さて、森博嗣さんの趣味として知られるのが「欠伸軽便鉄道」。

そもそも小説家になった理由が子供の頃からの夢である鉄道模型の資金づくりでした。

デビュー後にさっそく敷地を購入した森さんは、5インチゲージのミニチュア庭園鉄道「弁天ヶ丘線」や「梵天坂線」を敷設。

ファンの集いなどで乗車会も開いているそうです。

庭園鉄道の駅長を務めるパスカル、助役のヘクトは愛犬です。

作家デビューする前にくらべると現状は夢のようと語る森博嗣さん。

機関車の模型は何百台持っているのか、自分でも把握していないとのこと。

庭園鉄道で工作少年に戻っている森さんの姿が目に浮かぶようですね。

執筆活動縮小で半ば引退状態?

デビュー当初から、作家活動は収入を得るためのビジネスというスタンスをとっていた森博嗣さん。

2008年には、長編小説は残り15作品しか発表しないことを公言してファンを悲しませましたが、のちに心境に変化があったらしく、予定になかった単発作品も執筆しています。

趣味に使える時間・場所・資金を確保したあとは、執筆活動をビジネスから趣味に切り替えたというのがいちばん近いでしょう。

作家の仕事で得た収入が生涯生きていくための金額になったと明かしていますので、ご本人としては半ば引退のような心境なのかもしれません。

2009年は執筆活動をセーブしたおかげで自由な時間が生まれ、ストレスもなく、すばらしい1年だったと振り返っている森博嗣さん。

デビュー以来書き続けてきた作品が十分にお金を運んでくれ、このさきも運んでくれるので、働かなくてもよい状態になったことがわかります。

名古屋大学の助教授を辞めた理由

森博嗣さんは名古屋大学大学院の修士課程を修了後、三重大学工学部の助手として就職。

母校である名古屋大学の助教授に就任したのは31歳の時でした。

小説家としてデビューしたのが38歳ですから、約10年間は大学勤務と執筆活動を両立させていたことになります。

助教授を退官した理由は前述の通り、十分な蓄えができたから。

半引退のような立場になったのは47歳の時と自著で述べているので、退職とほぼ同時期に執筆活動もセーブしはじめていたことがわかります。

辞意を申し出た時は周囲に驚かれたそうです。

長年勤め上げ、学術業績も残し、人間関係も構築したのにもったいない、と誰もが思ったことでしょう。

ところが森さんはそうしたものへの執着は一切なかったとのこと。


座右の銘が「何ものにもこだわらない」という方ですから、何かを決める際の基準は常に「自分はどうしたいか」で、世間一般の常識には流されないタイプなのでしょう。

よけいな雑音に振り回されない生き方もまた、森博嗣さんから学べるところではないでしょうか。

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