永井路子の近況。ゆかりの鎌倉、古河の旧宅。夫と家族について

歴史小説家で、大河ドラマ『草燃える』と『毛利元就』の原作者でもある永井路子(ながい みちこ)さん。

2021年に96歳となりましたが、近況が気になりますよね。

また長年暮らしてきた鎌倉という土地、古河の旧宅を確認します。

さらに夫と家族の情報を見ていき、永井さんの暮らしに迫りましょう。

永井路子のプロフィール

本名:黒板擴子

生年月日:1925年3月31日

身長:不明

出身地:東京都文京区本郷

最終学歴:東京女子大学国語専攻部

永井路子の近況

永井さんは最近どのように過ごしているのでしょうか。

彼女は1995年、戦後50年の節目に合わせ、歴史小説を断筆しました。


3年後には寄贈した蔵書を資料として、故郷に「古河文学館」が開館されます。

2000年に長年暮らした神奈川県鎌倉市から、東京都品川区に転居しました。

2009年には『岩倉具視』で毎日芸術賞を受賞しています。

以降は目立った活動をしていないようですが、元気に過ごしているのか気になりますね。

重い病気にかかったという情報もないため、静かな生活を楽しんでいるのかもしれません。

2015年には夫に先立たれたため、今は寂しさを感じないためにも、1人の時間を有意義に使っている可能性が高いでしょう。

また売れっ子作家として多忙な日々を送ったからこそ、そろそろ落ち着いてゆったり過ごしたいと考えたのではないでしょうか。

とはいえ研究熱心な永井さんですから、今でも膨大な歴史資料の読解を趣味として楽しんでいるのかもしれませんね。

永井路子は40年間鎌倉に暮らし転居

永井さんは1961年に小学館を退社し、作家活動に専念し始めます。

翌年に神奈川県鎌倉市に移り住み、以降は鎌倉を舞台にした作品を書き始めました。

転居から2年後に鎌倉幕府を題材とした歴史小説『炎環』で直木賞を受賞します。

鎌倉に暮らしてきたからこそ、鎌倉を舞台とする作品では奥行きある描写が可能だったのでしょう。

本作は1979年の大河ドラマ『草燃える』の原作の1つとなりました。

自身ゆかりの地を巡り、風土エッセイ『永井路子の私のかまくら道 鎌倉の歴史と陰』も書きました。

永井さんは作品にしたためるほど、鎌倉という街を愛してきたのです。

こよなく愛せる1つの街があるだけで、人生が豊かになりそうですよね。

彼女にとって鎌倉は第二の故郷と呼べる存在なのでしょう。

より便利な土地である品川に転居してからも、たまには鎌倉へ散策に出かけていたのかもしれません。

永井路子の旧宅は古河

永井さんは3歳のときに茨城県古河町(現在の古河市)に転居し、結婚するまで20年間を過ごしました。

彼女が暮らした場所は、江戸時代末期に建てられた商家の店蔵です。

2003年10月、古河文学館の別館として、「永井路子旧宅」が開館しました。

永井さんの旧宅を一部復元し、元の場所で保存したものです。

永井家では19世紀初頭、初代・永井八郎治が葉茶屋「永井屋」を開業しました。

その後は陶漆器や砂糖を売り、質屋も営んでいたそうです。

今は復元された土蔵と2階建ての店蔵が一般公開されています。

歴史的な建造物で育った永井さんは、幼少期から日本の歴史を強く意識して育ったのでしょう。

彼女は速い段階で歴史に興味を持った結果、綿密な調査を重ね、説得力ある歴史小説を書けるようになったのかもしれませんね。

夫は黒板伸夫。家族に複数の歴史学者

永井さんは1949年、歴史学者の黒板伸夫さんと結婚しました。

彼は東京大学文学部国史学科を卒業後、同大学院を修了。

平安博物館の嘱託と吉川弘文館の編集長を経て、歴史学者となりました。

清泉女子大学の教授や醍醐寺霊宝の館長も務め、2015年に92歳で亡くなっています。

伸夫さんは著名な歴史学者・黒板勝美の甥でした。

黒板勝美は『大日本古文書』の編纂やエスペラント語の普及に努めた文学博士です。

2016年に永井さんは、夫と共に編集した『黒板勝美の思い出と私たちの歴史探究』で大衆文学研究賞を受賞しました。


黒板の業績のみならず、家族の視点から世間に知られていない実像を語った貴重資料といえます。

永井さんが結婚後に優れた歴史小説の数々を残したことを考えると、研究熱心な夫に刺激を受けた可能性が高そうです。

複数の歴史学者が家族になったからこそ、歴史小説を書くモチベーションが高まったのかもしれませんね。

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