中村天風の子孫は?結婚と妻、娘について。家族は旧柳川藩士

日本に初めてヨガを伝えたとされる思想家・実業家の中村天風(なかむら てんぷう)。

著書『運命を拓く』は大谷翔平選手も愛読しているとのことで、自己啓発本として話題になっていますね。

現代の人々の生き方にもヒントをもたらしてくれる天風ですが、今も子孫はいるのでしょうか。

また結婚して妻がいたのか確認し、娘の詳細と家族情報をまとめます。

中村天風のプロフィール

本名:中村三郎

生年月日:1876年7月30日

死没:1968年12月1日

身長:不明

出身地:豊島郡王子村(現在の東京都北区王子)

最終学歴:福岡県立修猷館高等学校中退、コロンビア大学基礎医学部で短期講習を受講

中村天風の子孫は?

まずは天風に子孫がいるのか見ていきましょう。

調べたところ、天風の子孫らしき人物は見当たりませんでした。

天風はアメリカやインドなどで学業や修行に励み、上海で孫文の革命に協力するなど、世界各国で活動していました。

そのため世界中の各地に子孫がいても不思議ではありませんね。

天風を慕う人々からは「先生はそんな節操のない人ではない」と怒られてしまうかもしれません。

ただ各国を巡っていたのですから、何らかの出会いがあって、子供をもうけていた可能性はゼロではないでしょう。

もしかすると記録には残っていないものの、今も世界のどこかで子孫が存命でいるのではないでしょうか。

中村天風の結婚と妻の詳細は不明

天風が結婚していたのか、また妻はどんな人だったのかなど、詳細は不明でした。

非常に劇的な人生を歩んだ人のため、もしかすると落ち着いて家庭を築くことはなかったのかもしれませんね。

血気盛んで武芸に秀でた天風は、軍に認められ、日清・日露戦争で諜報員として従軍しています。

危険な任務と過酷な労働に、命を懸けて邁進していたのです。

妻や子供がいなかったからこそ、諜報員の任務に専念できたのではないでしょうか。

さらに任地で、当時不治の病とされた結核を患います。

その後は病の治癒方法を知るべく、渡米してコロンビア大学へ進学するという大胆な決断をしています。

帰国途中にヨガの聖者・カリアッパ師と出会い、ヒマラヤにある山麓の村で2年半もの修行に励みました。

長期間日本から離れて、自身が希望する活動に専念できたのは、家庭を持たない独り身だったためではないでしょうか。

ヨガ修行や食事療法によって結核を完治させた後は帰国し、「時事新報」の記者となります。


退社後は実業界に転身し、東京実業貯蔵銀行の頭取などとして活動。

しかし突然仕事を辞めて、すべての財産を処分し、「統一哲医学会」を創設しました。

街頭で心身統一法を教えるようになり、団体名を「天風会」に改称。

医療従事者を含む多くの弟子に、心身を健康に保つ術を伝授しました。

破天荒な生涯を確認すると、結婚する余裕はなかったように思えますね。

仮に妻がいたとすれば、かなり苦労が多かったに違いありません。

家庭を持たなかったからこそ、天風は度々思い切った決断ができたのでしょうね。

中村天風の娘がいるかは不明

天風に娘がいたかどうか気になる人は多いようですが、子供がいたかは不明です。

ここまで見てきた通り、家庭を持たずに破天荒な人生を歩んだようですから、子供はいなかったのではないでしょうか。

まだ血気盛んな諜報員だった時代に、どこかの女性にはらませた可能性はあるかもしれません。

ただ断定はできませんし、立派なヨガ行者である天風の行動を勝手に想像しない方が良さそうですね。

きっと天風には子供がおらず、代わりに自分を慕う弟子たちに対して、あたたかい愛情を注いでいたのでしょう。

中村天風の家族は旧柳川藩士

天風は成人後、結婚しなかった様子のため、家族はいなかった可能性が高いです。

実家の家族については、非常にエリートだったことが分かっています。

父は旧柳川藩士で、後に大蔵省紙幣寮抄紙局(現在の国立印刷局)で初代局長となる中村祐興でした。

柳川藩藩主だった立花家と遠縁にあたる、由緒ある武家の出身者だったのです。

天風はまだ三郎と名乗っていた6歳のときから、立花家伝の剣術・随変流を習っていました。

雅号「天風」は、最も得意だった随変流抜刀術「天風(あまつかぜ)」が由来とされています。

東京都で幼少期を過ごした後は、福岡県福岡市の親戚の家に転居。

修猷館に進学し、すべての講義を英語で受けて、語学スキルを高めました。


文武両道のエリートだった天風。

優秀な家系の遺伝子を継いでいたからこそ、破天荒ながら多くの人に教えを伝授できる導師となり得たのでしょうね。

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コメント

  1. しっかりと天風さんの本を読んでください
    この天風会のきっかけは奥様の親族に
    天風さんの話しをしたことにより
    その親族にたいそう喜ばれ
    そこから天風会への運びとなります

    また娘さんもいらっしゃいますよ!

  2. 中村天風を語るに、これはさすがに知識が浅すぎでしょう。