早瀬久美、ろう者の薬剤師&自転車メダリスト。夫・早瀬憲太郎と手話ボランティアで東京五輪に

早瀬 久美(はやせ くみ)さんは薬剤師とアスリートという「二刀流」の女性として有名です。

自転車競技で2大会連続の銅メダルを獲得し、東京五輪でもボランティアとして活躍しました。

今回は早瀬さんが薬剤師になるまでの苦労や自転車競技、夫との活動などを見ていきましょう。

早瀬久美のプロフィール

本名:早瀬 久美(はやせ くみ)

旧姓:後藤

出身地:大分県宇佐市

生年月日:1975年4月25日

主な学歴:明治薬科大学卒業

早瀬久美はろう者を排除する法律と闘って念願の薬剤師に

早瀬久美さんを紹介する際に「ろう者として日本初の薬剤師」という大きなフレーズが欠かせませんが、免許が交付されるまでの道のりは並大抵のものではなかったそうです。

ろう者といっても障がいの程度は人それぞれで、早瀬さんは聾(ろう)学校の幼稚部で発音を学んでからは他の人と同じように小学校から高校まで普通校に通っていました。

母親が薬剤師だったことに影響されて自らも同じ道を志すようになり、明治薬科大学に進学してからは猛勉強に猛勉強を重ね、1998年の薬剤師国家試験で見事に合格。


大学を卒業した1998年4月に大手製薬会社「大正製薬」に入社し、翌年に”薬剤師免許”を届け出をしましたが「薬剤師法の欠格条項」を理由に申請を却下されました。

※薬剤師法の欠格条項「聴覚障害者には免許を与えない」など。

大変な努力を重ねて薬剤師試験を合格したにもかかわらず、不条理な法律に阻まれて申請が却下された時のショックや悲しみは私たちの想像を遥かに超えているでしょう。

それでも腐らずにメールなどのサポート業務をしながら法律の改正を求める活動を続け、2001年7月の薬剤師法改正によって念願だった薬剤師免許を取得しました。

日々の活動を通じて集まった署名は220万人を超えたそうなので反響の大きさが伺えますね。

2023年現在は昭和大学病院に薬剤師として勤務をする傍ら、アンチドーピング活動など自らの経験や知識を活かした活動に取り組んでいるそうです。

各分野のパイオニアは様々な困難を乗り越えなければなりませんが、まさか手助けしてくれるはずの国の制度から差別されるとは思いもしなかったでしょう。

志半ばで道を諦めた方も多いと考えると、何ともいたたまれない気持ちになりますね。

早瀬久美は自転車競技のメダリスト

ここでは早瀬久美さんが自転車競技のメダリストだったことを見ていきます。

ハンディを抱えた人たちが参加するスポーツ大会と言えば「パランリピック」が有名ですが、早瀬さんが自転車競技で銅メダルを獲得したのは「デフリンピック」でした。

残念ながら日本では”デフリンピック”という大会自体の認知度が低く、障がい者スポーツとしてパラリンピックと混同されることがほとんどだそうです。

デフは「ろう者 (Deaf:でふ)」とオリンピックを掛け合わせた造語で、オリンピックやパラリンピックと同じように夏と冬の大会が開催されています。

早瀬さんがデフリンピックに興味を持ったのは夫(憲太郎さん)が経営する学習塾の生徒が出場したことで、前から趣味だった自転車でチャレンジすることを決意しました。

猛特訓を始めてから4年後の「2013年 夏季デフリンピック」(ブルガリア)に初出場し、自転車部門のマウンテンバイク女子で健闘して銅メダルを獲得。


さらに「2017年 夏季デフリンピック」(トルコ)でも連続出場を決め、今度はマウンテンバイク女子のクロスカントリー競技で2大会連続となる銅メダルを獲得しました。

2021年大会はコロナウイルスの影響もあって”2022年5月1日~15日”に延期となりましたが、早瀬さんはマウンテン女子とロード女子の2競技3種目で出場することが決まっています。

様々な苦難を乗り越えた早瀬さんにとって”3大会連続の表彰台”は夢物語ではないでしょうね。

夫(早瀬憲太郎)と東京五輪に手話ボランティアとして参加

最後に早瀬久美さんと夫の早瀬憲太郎さんが東京五輪に参加した件を見ておきましょう。

憲太郎さんはろう者向けの学習塾経営やクリエイターとして活動するだけでなく、久美さんと同じくデフリンピックの日本代表というアスリートの顔も持っています。

2021年に開催された「東京オリンピック・パラリンピック」には選手ではなく手話ボランティアとして参加し、素晴らしいパフォーマンスを目の当たりにして受けていました。

オリ・パラの選手に手話のサポートは必要ありませんが、世間の中に根強くある”障がい者は助けられる側”という意識を何とかしたかったという思いがあったそうです。

もっとも、通常であれば観客に対応する手話ボランティアとしての需要も有ったことでしょう。


健常者であれ障がい者であれ、誰かをサポートしたいという気持ちがあれば積極的に取り組むべきですし、参加している以上は周囲も分け隔てなく使ってあげることが大事です。

その点を多くの人に気付かせてくれただけでも東京大会に参加した意義はあったと言えますね。

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