弦哲也(げんてつや)さんは、作曲家として数々のヒット作を世に送り出しています。
中でも代表曲は、石川さゆりさんに提供した「天城越え」。
第8代日本作曲家協会会長を務めるなど、長年活躍を続けています。
そんな弦哲也さんは結婚していて、息子もいます。
過去には息子を両親に預けて共働きをするなど、苦しい時期も過ごしていたそう。
そこで今回は、弦哲也さんの家族について詳しく見て行きましょう。
弦哲也のプロフィール
愛称:田村 進二
本名:田村 正稔(たむら まさとし)
生年月日:1947年(昭和22年)9月25日
出身地:千葉県銚子市
所属事務所:弦音楽企画
弦哲也の妻は一般人&病気の噂はデマ
作曲家の弦哲也さん。
これまで作曲を手掛けた曲は、なんと2000曲以上。
第8代日本作曲家協会会長、日本音楽著作権協会会長も務めたことがあり、音楽界に大きな貢献をされている方です。
デビューをしたのは、1965年8月。
東芝レコードから「田村進二」として歌手デビューを果たしました。
1968年に現在の名前に改名をしたのですが、ギターの「弦」、徹夜で名前を考えたことから「哲也」と決まりました。
最初は自らが歌手として歌を歌っていたのですが、北島三郎さんの公演でギタリストとして帯同した際、作曲を勧められたそう。
それからは作曲活動を行い、1976年に将棋棋士の内藤國雄さんに提供した「おゆき」で作曲家としてのデビューを飾りました。
ブレイクをしたのは、1980年から。
川中美幸さんに提供した「ふたり酒」にヒットによって、ようやく風呂無しの家からお風呂のある家に引っ越すことができたんだそう。
そうした苦しい時代を支えてくれたのが、奥様だったと言われています。
妻に関しては情報がなく、恐らく一般の方かと思います。
名前や顔画像、結婚した具体的な時期も明かされていませんでした。
しかし1976年の「おゆき」を発表する前に結婚していたことが分かっていますので、結婚時期は1976年より前であると思います。
また妻について調べてみると、病気ではないかという噂がありました。
ですが病気だという情報は見当たらなかったため病気ではないと思います。
また弦哲也さん自身も、ご病気であるという情報は見当たりませんでした。
2024年で76歳になられていますが、お元気に活動をされていますよ。
2022年4月1日には、一般社団法人日本音楽著作権協会会長に就任しました。
任期は2年で、2024年3月に無事に任期も終えられています。
引き続き音楽活動はされていると思いますが、ご自身のペースで過ごされているのではないでしょうか。
公益社団法人日本作曲家協会会長も、2023年5月に退任をされています。
まだまだこれからもご活躍されると思いますが、ご夫婦でゆったりとした時間を過ごされているといいなと感じました。
結婚後は息子を両親に預けていた
順風満帆な活動をされているように思える弦哲也さん。
しかし若い頃は苦労もあり、結婚後息子を両親に預け、夫婦で共働きをされていたことが分かりました。
弦哲也さんの息子は、田村武也さん。
作詞家、作曲家、音楽プロデューサーとして活動しながら、「路地裏ナキムシ楽団」というライブパフォーマンス楽団のリーダーも務めていますよ。
弦哲也さんは自身が歌手としてデビューし、作曲家として歩み始めてからもしばらくは二足のわらじを履いて生活をしていました。
その頃に恐らく結婚をしたと思いますが、その後長男の田村武也さんが誕生。
まだ生活は苦しい時期だったようで、両親に息子を預けて夫婦はそれぞれ仕事をしていたんだそうです。
令和の時代では、夫婦共働きというのは当たり前になっています。
しかし昭和の当時では、夫婦で働いて息子を両親に預ける、というのはとても苦しい選択だったと思います。
そんな時、「おゆき」がヒットに恵まれ生活が楽になっていったんだそう。
その息子を引き取ることができ、ようやく家族3人での暮らしができるようになったそうですよ。
それから作曲活動も軌道に乗り、1986年には石川さゆりさんに提供した「天城越え」が、第28回日本レコード大賞金賞を受賞。
石原裕次郎さんに楽曲を提供するなど、作曲家として花を咲かせました。
2005年には「弦点回帰~弦哲也自作自演集~」と、音楽生活40周年を記念したアルバムを発売しました。
それが第47回日本レコード大賞企画賞を受賞するなど、高い評価を受けています。
売れてからの弦さんを知っている方は、まさかこんな苦労をされているとは知らない方が多いでしょう。
さらに息子さんも同じ音楽の道を進んでおり、本当に順風満帆な音楽生活を送っているんだなと思っていました。
若い頃にたくさんの苦労があったからこそ、その経験がさまざまな楽曲を生み出す力になっていたのかもしれませんね。
弦哲也の家族まとめ
#天城越え#石川さゆり
作詞:吉岡治
作曲:弦哲也
1986年7月21日発売誰かに盗られるくらいなら
あなたを殺していいですか pic.twitter.com/yDyByabgBj— きりぼー🍀 (@kiribo0111) October 20, 2019
それでは家族についても見て行きましょう。
出身は、千葉県の銚子市。
実家も銚子にあるようで、ご両親が今も銚子に住まわれているという情報も見かけました。
しかし学歴なども明かされておらず、銚子でどのような暮らしを送っていたかなどプライベートについては、公表されていませんでした。
最初に1965年8月、東芝レコードから「田村進二」として歌手デビューをしていますので、恐らく歌手を夢見ていたのでしょう。
1965年といえばまだ19歳。
高校を出て、何らかの形でデビューの道をつかみ取ったのかもしれませんね。
それから苦労もあり、ご両親は息子の夢を支えるためにお孫さんを引き取っていました。
楽な暮らしではなかったかもしれませんが、家族愛を感じますよね。
また弦哲也さんは、作曲家の三木たかしさんが偶然にも出身中学の先輩だったそう。
そのつながりもあって作曲家協会に入会することになり、作曲家としての道が開けて行きました。
家族、そして先輩、そして救いの手を差し伸べてくれた北島三郎さんなどさまざまな縁があり、こうして作曲家として大成されたと思います。
今後もますます、活躍を続けてほしいですね。
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