演歌を中心に長年作曲家として大活躍をしている、弦哲也(げんてつや)さん。
印税収入がすごそうで、年収も毎年高額なのではないでしょうか。
中学生で歌手を目指し上京していますが、最終学歴は高校卒業しており学業もきちんと収めていたことがわかりました。
若い頃は歌手としてなかなか売れずに苦労していましたが、北島三郎(きたじまさぶろう)さんのアドバイスで作曲家に転身したそうです。
弦哲也のプロフィール
本名:田村正稔(たむら まさとし)
生年月日:1947年(昭和22年)9月25日
出身地:千葉県銚子市
最終学歴:帝京高等学校卒業
所属事務所:弦音楽企画
弦哲也は高い年収を維持し続けている
作曲家として大成し、日本作曲家協会会長や日本音楽著作権協会(JASRAC)会長を務めた弦哲也さん。
昨夜、日本音楽出版社協会(MPA)の創立50周年記念パーティが開催され、JASRACの弦哲也会長があいさつしました🎂
創立50周年、誠におめでとうございます㊗️🎉日本の音楽文化、音楽産業をさらに大きく豊かにしていくパートナーとして、JASRACも頑張ります💪 pic.twitter.com/2hj14ew7XY
— JASRAC(公式) (@JASRAC_1939) December 15, 2023
ABBAのメンバーでCISAC(著作権協会国際連合)会長を務めるビヨルン・ウルヴァース氏、ガディ・オロンCISAC事務局長、JASRAC弦哲也会長、伊澤一雅理事長らが、岸田文雄首相を表敬訪問し、クリエイターに対する対価還元の在り方について意見交換を行いました。 pic.twitter.com/z9cDuGebrH
— JASRAC(公式) (@JASRAC_1939) April 4, 2023
50年近くもの間たくさんの曲を作り出してきており、「演歌界のヒットメーカー」と言われているほど。
一体年収はいくらくらいになるのか、気になってきました。
2024年現在弦さんは77歳になっており、若い頃と比較すると仕事量をセーブしているようです。
しかし、これまでの曲作りで印税収入があります。
そのため、高額な年収を得ているのではないでしょうか。
平成31年間分の音楽印税ランキングを、JASRACが発表していました。
それによると、弦さんが作曲した「北の旅人」が全体の12位にランクイン。
また、「天城越え」は14位で「二輪草」が32位と100位以内に3曲も入っていたのです。
2024年現在、軽く見積もっても5,000万円以上の年収があるのではないでしょうか。
メディアに出ている弦さんを見ると、いつも清潔感にあふれた高級そうな生地の服を着用しているように見えます。
とても温厚であるのは元々の性格なのかもしれませんが、生活に困っていない裕福な暮らしで穏やかに見えるのではないでしょうか。
弦哲也の学歴は帝京高校卒
1947年に千葉県の農家で生まれた弦哲也さん。
小学校6年生の時に、祖母が買ってくれたギターで音楽の力を付けていきました。
歌手を目指して、中学2年生の時に上京しています。
東京では、学業にかける時間を全て音楽に費やしたのではないでしょうか。
そのため、高等学校には進学していないと思っている人も多いかもしれません。
経歴にも学歴が記載されていないことがほとんどでしたが、帝京高等学校を卒業していることがわかりました。
帝京高校出身の有名人は非常に多く、「とんねるず」の石橋貴明(いしばしたかあき)さんと木梨憲武(きなしのりたけ)さんがいます。
真の長年とんねるずの活動を待ち続けて来たワンフー(ファン)の人たち全員にチケットが当たります様に🙏🙏🙏#とんねるずTHELIVE #日本武道館 #とんねるず pic.twitter.com/aXnI7v4kuL
— 小野寺 暖😺 (@dan_onodera) July 26, 2024
他にも俳優の的場浩司(まとばこうじ)さんや、数多くのプロ野球選手・プロサッカー選手が名を連ねていました。
弦さんは、歌手を志望しながらきちんと通学しており真面目な性格がうかがえます。
若い頃の歌手活動で苦労
弦哲也さんと言えば、作曲家として大御所の存在です。
しかし、若い頃は歌手になりたいと芸能界の道を志望したそうです。
中学校の担任が、浪曲家の春日井梅鶯(かすがいばいおう)さんの下で歌を学ぶようにと紹介してくれたといいます。
春日井梅鶯ってこんなに良い男なのか❗️。何となく愛助さんと大谷翔平を足した感じ🫢。 pic.twitter.com/lB10aGfRRr
— ねこや (@REKOTETSU32) December 16, 2023
18歳の時に田村進二(たむらしんじ)名義で歌手デビューはできたものの、全く売れず苦労したそうです。
しかも、翌年には所属事務所が倒産してしまいました。
NHKで裏方の仕事をしていた弦さん。
その後、北島三郎さんから「ツアーでギターを伴奏しないか」というお声が掛かったそうです。
【与作】
1978年に発表された日本の歌謡曲。最初の歌手は弦哲也。その後北島三郎や千昌夫などの歌手によるシングルが発売されている。
特に北島氏は、1978年から放送開始された『暴れん坊将軍』出演で注目された時期という事で人気が再燃し、今日まで続く大物歌手となるきっかけになった。 pic.twitter.com/9pQ7bjxOmm— 佐伯イッテツ元ネタ解説bot🤝 (@BotSaikimeme) October 16, 2023
2年間ほど、ギタリストとしてコンサートツアーに同行していました。
そして、北島さんが「歌手はあきらめて別の道を歩んだらどうか」と作曲活動を勧めてくれたのだそう。
それがきっかけで作曲家としても活動するようになりました。
29歳だった1976年に「おゆき」という曲で作曲家デビューし、いきなり大ヒット。
初めて作った曲が、累計でミリオンセラーを達成したのです。
その後は、作曲家としては成功への道をまっしぐらに突き進んでいます。
1980年に作曲した川中美幸さんの「ふたり酒」も大ヒットし、こちらもミリオンセラーを記録しました。
実はまだ、歌手として成功する夢をあきらめたわけではありませんでした。
作曲をしながら、「全国を100箇所回ってコンサートする間に売れなければ、歌手はあきらめよう」と決意。
弦さんの夢は叶うことなく、1985年のコンサートでケジメを付けました。
1986年には石川さゆりさんが歌った「天城越え」を作曲し、2024年現在も歌い継がれる大人気曲になっています。
その他にも石原裕次郎さんの「北の旅人」やキム・ヨンジャさんの「暗夜航路」、そしてNHKみんなの歌でも流された「一円玉の旅がらす」など多くの作品を作りました。
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