デーモン閣下の姉は局アナ、父親は銀行員。若い頃のノーメイク&帰国子女で海外生活の過去

2024年に「幸運にも早期のがんを発見できて手術も成功した」というデーモン閣下(かっか)。

姉は元TBSのキャスター・記者で父親は銀行員だったそうです。

デーモンさんは、若い頃はノーメイクでテレビに出演したこともあったのだとか。

父親の仕事の都合で幼少期にニューヨークに住んでおり、帰国子女だったとは知りませんでした。

デーモン閣下のプロフィール

愛称:デーモン・閣下

本名:小暮隆(こぐれたかし)

生年月日:1962年(昭和37年)11月10日

身長:168cm

出身地:

最終学歴:早稲田大学社会科学部卒業

所属事務所:POWERPLAY

デーモン閣下、姉は女子アナの小暮裕美子

アーティストとしてだけでなく、コメンテーターとしても活躍しているデーモン閣下。

2024年2月に行った検査で、たまたまステージ1のがんが見つかりました。


自覚症状も無いのに検査部位と異なる位置のがんを発見できたとは、なんと運が良かったのでしょうか。

手術後も順調に回復しているとのことで、一安心です。

さて、デーモンさんには姉が一人いてテレビ局のアナウンサーを務めたことがあったのだそう。

小暮裕美子(こぐれゆみこ)さんといい、慶應義塾大学経済学部を卒業した才女です。

1984年にTBSに入社して、社会部の記者として働いていました。

その後、1987年「JNNニュース22プライムタイム」ではレポーターを務めるように。

1989年朝の報道番組「JNNおはようニュース&スポーツ」でスタジオキャスターに就任。

1992年になると、「JNNニュース1130」では五味陸仁さんと初代スタジオキャスターを担当しました。

1994年頃にTBSのディレクターと結婚しています。

その頃から再び記者となり、科学技術庁の担当記者に。

すると1995年に、「高速増殖炉もんじゅのナトリウム漏洩」という大事故が発生しました。

動力炉・核燃料開発事業団が事故のビデオ映像を公開したところ、小暮記者は「映像がおかしい」と指摘。

そのおかげで、ビデオを改ざんしていたことがわかったのです。

もし小暮記者が気づいていなかったら、真実は闇の中のままだったかもしれません。


2006年には昇進して、次長になっていたそうです。

ただ、職場で全てが順調だったわけではありませんでした。

2010年ごろから、部下にセクハラ・ストーカー行為を受けていたとのこと。

トラウマになる程辛い思いをしていたそうです。

さて、デーモンさんと小暮記者には共通点がありました。

それは「歌」で、デーモンさんに大きな影響を与えています。

小暮記者は学生時代に、学園祭でロックを歌っていたそうです。

それを見たデーモンさんが、自分もやってみようということでバンドの世界へ。

姉弟そろって歌が上手かったのでしょう。

さらに、デーモンさんは姉に対して他にも一目置いていることがありました。

口ゲンカをしても、一度も勝ったことがないらしいのです。

鋭い着眼点と意見を貫き通せる力は、記者時代に大いに役に立ったことでしょう。

デーモン閣下の父親は銀行員

デーモン閣下の父親は、銀行で働くサラリーマンだったそうです。

わかっているだけで2回もニューヨーク勤務を経験していました。

1回目はデーモンさんが幼稚園の頃で、2回目はデーモンさんが高校2年生の頃。

他にもカナダで働いたこともあったという噂もありました。

おそらく、大手の都銀に就職したということは一流大学を卒業していたのでしょう。


さらに海外勤務という辞令が下りているということは、仕事もできたに違いありません。

子供達に関して、勉強面ではかなり厳しかったようです。

デーモンさんが大学の進路選択の際に、受けるならハイレベルなところしかダメだったと語っていたことがありました。

そのような兼ね合いから現役時は、滑り止めは受けず全滅したそうです。

それでも、一年浪人した後早稲田大学に合格していますからデーモンさんも地頭が良くて努力もしたのでしょう。

若い頃はノーメイクの仕事もあった

デーモン閣下は、聖飢魔IIとしてデビューする前からテレビに出演していました。

ほとんどの人は「歌番組に出ていたのかな」と想像するかもしれません。

しかし、デーモンさんが大学生の時に出たのは「お笑い番組」でした。

どんな時でもメディアに出演する時は独特のメイクをしていますが、この時はノーメイクで出場。

非常に貴重な映像が残されていたものです。

「早稲田ウルトラ警備隊」というコンビ名で出たデーモンさんは、ゴジラの鳴き真似コンテストのコーナーで優勝しています。

音楽だけでなく、お笑いの才能もあったとは驚かされました。


正直なところ、ノーメイクのデーモンさんを見ても「本当にデーモン小暮かわからない」とも言えます。

そこで声に注目すると確かにそっくりで、体型も同じに見えるため本人なのでしょう。

いくつもの奇妙なグループ名で活動しており、「生老婆(ナマローバ)」「紫馬肥(むらさきうまごやし)」など名前を付けるところから楽しんでいたように感じられます。

アメリカに住んでいたことがある帰国子女

デーモン閣下が早稲田出身で、トークの上手さからも頭の回転が速いことは周知の事実でしょう。

しかし、帰国子女だったとは知りませんでした。

どの時期で海外に住んでいたかというと、幼稚園から小学校1年生の途中まで。

幼少期をニューヨークでいたのだそう。

父親が銀行員であることから、マンハッタンに住んでいたのではないでしょうか。


異文化交流に関してのコメントも多く、バンドでは純邦楽や能と共演したりもするデーモンさん。

外国から日本を見た経験があるからこそ、より日本文化に親しみを感じているのかもしれません。

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