かつて日本のアイコンとして世界を魅了し、トップデザイナーたちに愛された伝説のモデル、山口小夜子(やまぐちさよこ)さん。
プライベートは非公開のまま、2007年に突然この世を去ってしまいました。
今回はモデル活動から退いていた晩年の状況や死因について、また海外の反応、そしてマツコ・デラックスさんやアンミカさんの心酔ぶりをまとめます。
山口小夜子の晩年の活動と死因について
1972年のパリコレクション以来、「切れ長の目」「黒髪のおかっぱ」というオリエンタルなビジュアルで世界を圧倒した山口小夜子さん。
日本人スーパーモデルの草分けでもあります。
モデル時代はイヴ・サンローランさん、ジャン=ポール・ゴルティエさんらトップデザイナーたちのミューズとして活躍。
全盛期にはパリコレでワンシーズンに15ブランドからオファーがきたといいますから、人気のほどがうかがえますね。
1973年から1986年までは資生堂のモデルとして日本人の美しさを世界に発信。
いかにも日本的なイメージを鮮烈に印象づけました。
血まなこなって探してた!ようやくシフォネットのパウダー手に入れた!儚くて甘い匂いする。生気なくなる、人形通り越して幽霊フェイスなる。山口小夜子、東洋の魔女。
#シフォネット pic.twitter.com/HyTO5CLoQ9— 駿 (@badendqueen) October 9, 2016
意志を秘めた瞳を感じさせるアイメイクや、きりりと結んだ赤い唇が特徴的な「小夜子メイク」は、ご本人とメイクアップアーティストの富川栄さんのアイディアによるもの。
素顔の山口さんはぱっちりした丸い目をしていたと富川さんは振り返っています。
山口小夜子のすっぴんに近い?若い頃16才の素顔の画像がこれ
素顔の目は切れ長じゃなくて丸くて可愛い。#山口小夜子 pic.twitter.com/NKvHKCL2lG
— クロスケ (@kuro_we) December 6, 2019
晩年は、自らを「ウェアリスト(着る人)」と名乗り、ファッションにとどまらない表現者としての活動を展開していました。
ダンス、音楽、朗読などさまざまな分野を融合したパフォーマンスのほか、女優として『ピストルオペラ』『馬頭琴夜想曲』などの映画にも出演。
しかし2007年8月17日、東京都港区の自宅で倒れているところを知人が発見します。
山口さんは独身で一人暮らしでした。
救急車で運ばれ、病院で死亡が確認されますが、すでに死後3日たっており、14日に死亡したとみられています。
死因は急性肺炎で、まだ57歳の若さでした。
遺作となった『馬頭琴夜想曲』のメガホンをとった木村威夫監督は、1週間ほど前に会った時のようすについて、体調が悪いようには見えなかったとコメント。
いかに突然の死だったかがうかがえます。
発見が遅れたことで「孤独死」と騒がれたりもしましたが、最後まで現役であり続けた山口小夜子さんを「あの人らしい」と称える声も。
コシノジュンコさんは「モデルを超えた人であり、いつも心の中は一人という感じの人だった」と語っています。
山口小夜子 NHK-BSシネマナビゲーション① https://t.co/2F1t3jFKNa @YouTubeより
後にも先にも、このモデルを超えられる方は現れないでしょう❗️#山口小夜子#資生堂#パリコレ#横浜#ファッションモデル pic.twitter.com/jDAjHSizyH
— 寫眞家 千田 慎二 【公式】 (@chidashinji) December 5, 2019
山口小夜子に対する海外の反応
60年代のパリコレで活躍した西洋風な顔立ちの日本人モデルとは異なり、山口小夜子さんの登場は「東洋の神秘」としてクールかつ前衛的に受け止められ、センセーションを巻き起こしました。
白人モデルのあいだではエキゾチックな小夜子メイクが流行し、本人にそっくりな「SAYOKOマネキン」が欧米のデパートのショーウインドウを席巻。
1977年には、ニューズウィーク誌が「世界のトップモデル6人」にアジア人第一号として選出しています。
欧米人にわかりやすい東洋人らしさをデフォルメしたビジュアルであり、キャラ立ちも突き抜けていたのでしょう。
個人的な主観ですが、日本人女性の黒髪パッツンの髪型はかなり欧米人にアピールする要素ではないかと思います。
コム・デ・ギャルソンのデザイナーである川久保玲さんも一貫して黒髪パッツンですね。
ともあれ、まるで日本人形に命を吹き込んだかのようなビジュアルが、彼らに強烈な日本美を印象づけたことは疑いようがありません。
山口小夜子さんは海外でリスペクトされる日本人モデルの先駆けといえるでしょう。
マツコ・デラックスとアンミカも山口小夜子信者
テレビ番組で山口小夜子さんに対する熱い思いを語ったことがあるマツコ・デラックスさんとアンミカさん。
マツコさんは子供の頃に見た資生堂のポスターに、きれいさを通り越して狂気すら感じたといいます。
どうすれば大衆に好まれるかとか、人気がでるかといったことを超越した美しさがそこにあり、「悔しかったら、このレベルまで到達してごらんなさい」と言われているような気がしたのだそう。
アンミカさんは、黒髪パッツンの女性は全員山口小夜子信奉者だと発言。
身長が同じ170cmだったことから、自分もパリコレは夢ではないと思い、19歳で渡仏したそうです。
アンミカさんが夢を叶えたのは1993年でした。
モデル以外にもクリエーター、パフォーマーとして活躍し、時代の先端を走り続けた山口小夜子さん。
その早すぎる死に、どれほど多くの人が深い喪失感に包まれたことでしょう。
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