山口小夜子、結婚した夫や子供は?恋人は山本寛斎?家族と生い立ちについて

「東洋の神秘」を象徴するトップモデルとして、70年代のパリコレを中心にモード界を席巻した山口小夜子(やまぐちさよこ)さん。

2007年の急逝から13年たちますが、その生涯は今なお多くの謎に包まれていますね。

この記事では彼女の私生活にフォーカスして、結婚した夫や子供はいたのか、また恋人と噂された男性について、さらには家族や生い立ちに迫ります。

山口小夜子に結婚した夫や子供はいた?

時代を超えて人々の記憶に残るモデルには、流行の移り変わりをものともしない絶対の美しさがあるものです。

山口小夜子さんには周囲の空気から隔絶されたような際立つ個性がありました。


モード風の日本人形のような切れ長の目におかっぱの黒髪、白い肌、くっきりと縁どった深紅の唇は、一度見たら忘れられない鮮烈な印象を残します。

杉野ドレスメーカー女学院を経て、パリコレクションにデビューしたのは1972年、23歳の時でした。

日本人がパリの街を歩こうものなら、頭からつま先まで冷ややかな視線を向けられた時代です。

そんな時代に山口小夜子さんは日本人らしさを強調してランウェイを歩き、東洋の神秘を体現するモデルとして脚光を浴びました。

以降は名だたる世界的デザイナーの三宅一生さん、山本寛斎さん、イヴ・サンローランさんらのミューズとして多くのファッションショーで存在感を示します。

近年は山口小夜子展『未来を着る人』やドキュメンタリー映画『氷の花火』の公開など再評価も高まっていますね。

その活躍は、メイド・イン・ジャパンの商品が世界に認知を広げていく軌跡とも重なっていました。

1973年からは資生堂と専属契約を結んでいた山口小夜子さん。

ファッションに明るくなくても、CMの美しい姿を覚えている人は多いのではないでしょうか。

プライベートは明かさず、年齢も非公表だった山口小夜子さん。

2007年8月、多くの謎を残したまま突然この世を去りました。

生涯を通して独身を貫き、また子供もいなかったと認知されていますが、事実婚の関係にある男性がいたという噂もあります。

しかし、亡くなった時は一人暮らしだったことが関係者の話から明らかになりました。

私生活をオープンにしなかったのは、ミステリアスなイメージを保つための戦略だったとも考えられますが、独身を貫いたことで同性愛疑惑や山本寛斎さんとの不倫疑惑が囁かれたのも事実です。

山口小夜子の恋人は山本寛斎だった?

2020年7月21日、急性骨髄性白血病により76歳で死去した山本寛斎さん。

恋愛についてもほとんど語ることはなかった山口小夜子さんですが、インタビューで「わたしは寛斎さんに拾われたの」と明かしたことがあります。

デビューした70年代初頭は西洋的な雰囲気のあるモデルの全盛期でした。

オーディションを受けるたびに「西洋人風」になるようにアドバイスされることが納得できなかったという山口小夜子さん。

モデルの仕事がとれず、ドレスメーキングの学校へ戻ろうかと考えていたころ、黒髪のおかっぱ頭で受けたのが寛斎さんのオーディションでした。

寛斎さんは「君は髪を染める必要はない、そのままでいい」と言い、自身のファッションショーへの出演を懇願。

のちに世界へ羽ばたき、「東洋の神秘」となるきっかけをつくった人物が山本寛斎さんだったわけですね。

以降、山口小夜子さんは寛斎さんのショーに欠かせないミューズになっていきます。

二人は公私ともにパートナーだったとみる向きもあり、山口小夜子さんが生涯独身だったのは寛斎さんが恋人だったからともいわれていますが、真相は闇の中。

少なくとも、仕事において強い信頼関係で結ばれた間柄だったことは間違いないでしょう。

山口小夜子さんの訃報を受けた寛斎さんは「日本人女性の美しさを世界に印象づけた最初の人」という言葉を残しました。

山口小夜子が独身を貫いた理由とは

山口小夜子さんが結婚せず、夫もいないことについて、もう少し詳しく見ていきましょう。

実は山口さんが無性愛者(アセクシュアル)だったのでは?とも言われています。

無性愛者は他者に対して、恋愛感情や性的欲求を抱かない性質の方という意味合いです。

結婚そのものに興味がなく、結婚しなかったという説もありました。


いずれにしても、なぜ結婚しなかったのか?ということについては、現在も謎に包まれています。

また単純に仕事が忙しくて、結婚をしなかったとも言われています。

今は働く女性は、決して珍しくはありません。

ただ当時は女性は結婚して家庭に入るといった風潮もあったでしょう。

そんな時代を先取りしていた、山口小夜子さんは、恋愛より仕事を優先させていたのでは?とも言われているようです。

山口小夜子の家族・生い立ちについて

1949年9月19日生まれ、横浜市出身の山口小夜子さん。

両親や兄弟など家族の詳細については明らかになっていません。

外人墓地の地域に家があり、外国文化が身近にある環境で育ちました。

洋裁が得意な母は、娘のためにかわいい洋服を手作りしてくれたそうです。

ファッションの世界に進んだ原点はここにあったのかもしれませんね。

小夜子さんは日本の雑誌だけでなく、アメリカで大人気の『 Seventeen 』を買うのが楽しみで、着てみたい洋服を見つけては母親に作ってもらっていたそうです。

二つの文化を行き来しながら自分のおしゃれを探すことで、自身のスタイルがつくられていったのでしょうか。

京浜女子大学横浜高校卒業後は杉野学園ドレスメーカー女学院で服飾を学び、卒業後の1971年にプロのモデルとしてデビュー。

山本寛斎さんや高田賢三さんのファッションショーで注目を集めたのち、パリコレクション、ニューヨークコレクションに進出することになります。


ハーフモデルを筆頭に欧米人風のビジュアルがもてはやされていた時代に、日本女性の美しさを国内外に知らしめたのが山口小夜子さんでした。

およそ50年も昔に独自の美意識とスタイルで世界を切り拓いたことは驚嘆に値します。

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