大浦龍宇一、息子の子育て論が話題に?祖父が名優&母はだれ?父とは不仲?

シングルファザーとして芸能活動と育児を両立している大浦龍宇一(おおうら りゅういち)さん。
一人親だからと頑張り過ぎないことが両立の秘訣のようです。

大浦龍宇一の息子の関係

立命館大学卒業という知性と整ったルックスを備え持つ大浦龍宇一さん。
俳優や歌手として活躍中ですが最近ではイクメンとしても注目を集めています。

2000年11月に一般人の女性と結婚した大浦龍宇一さん。
その3年後に長男が誕生しますが2007年に価値観の違いにより離婚しています。


大浦龍宇一さんの息子の名前は主之和(すのわ)。
かなり珍しい名前ですよね。

離婚後、息子の親権を持っていたのは大浦龍宇一さんですが息子は母親と生活をしていました。
多忙な大浦龍宇一さんが一人で子供を育てるのは大変なことなのでこれが自然な形だったのでしょう。

ですが2011年の東日本大震災がきっかけとなり大浦龍宇一さんは息子を引き取っています。
当時の大浦龍宇一さんは仕事のトラブルにより借金をかかえており六畳一間のアパートで暮らしていたそうです。

また、俳優という職業はスケジュールの変更が日常茶飯事で撮影が深夜になることも多いですよね。
今では立派なイクメンとなった大浦龍宇一さんですが当時はそんな状態で息子を育てるなんて最初は想像も出来なかったことでしょう。
大浦龍宇一さんはアパートの大家さんや周囲の方々など優しい人達に恵まれたことで子育てが出来たと語っています。

離婚をすると元夫や元妻に子供を合わせないというケースは珍しくありません。
とはいえ離婚したとしても子供にとってはただ一人の父親であり母親です。

大浦龍宇一さんはそのことを良くわかっているようで2018年7月30日のブログで次のように綴っています。

夏休み。今日からお盆まで、
息子は遠くにいる母親の所に、
遊びに行きました。
実は、7年ぶりのことです。
息子を僕が引き取った2011年。
彼にとってはあの日以来の
母親との夏休みの生活です。

離婚していることから大浦龍宇一さんが元妻と顔を合わせづらいことは容易に想像できます。
子供が一人で母親の元に行けるまで待っていたために7年ぶりの再会となってしまったのだと思います。

最初はぎこちないかもしれませんが親子なのですぐに打ち解けることでしょう。

大浦龍宇一が語る子育て

以前、自民党の国会議員である萩生田光一さんが次のような発言をしたことが話題となりました。

どう考えたってママがいいに決まっているんですよ

『男も育児だ』といっても、子供にとっては迷惑な話

これは育児に協力的な男性を否定する発言と言えるでしょう。
こんな否定的な発言に対しても大浦龍宇一さんは大人の対応をしています。

やってみるとわかりますけど、ひとりで育てるのは大変ですよ

ぼくは男手ひとつで子育てしてきましたが、萩生田さんの発言に“ひどいこと言いやがって”とは思わないし、むしろ頷ける部分もありますよ

息子のことを考え、俳優を引退して安定した職に就くことも考えたという大浦龍宇一さん。
地方でのロケや舞台など長時間家を空けるような仕事は全て断ったと言います。

明らかに俳優としての活動に支障が出ていることから周囲からは育児と俳優活動の両立に反対の声もあったんだとか。
ですが大浦龍宇一さんは

主之和が20才になった時、絶対に後悔しない選択をしたかったんです

と周囲の力を借りながらも育児と仕事の両立を決意。
子供も成長した今では以前よりも受けられる仕事が増えたことは間違いありません。

見事に育児と仕事を両立している大浦龍宇一さんは子育てについて次のように語っています。

主之和も、もう中学3年生。思春期だし、強く反抗することも多々あります。そんな時思うのが、子育てって、大自然と向き合うようなものだなと。今日は晴れだと思っても、急に雨が降ることもある。決してコントロールできないもの。それをわかったうえで、子供と向き合うことが大切だと思います

子供が自分の思い通りにならないと腹を立ててしまうことは親ならば誰しも経験していることでしょう。
大浦龍宇一さんのように「子供はコントロールできないもの」という考えで育児をすれば子供に腹を立てる回数は減らせそうです。

怒る回数が減れば親子ともにストレスが溜まらずに良い関係を継続できると思います。
子育て中の親御さんに是非とも聞かせたい名言と言えるかもしれません。

大浦龍宇一の祖父は大物歌手

二世タレントが飽和状態と言えるほど増えている芸能界。
ですがメディアでよく見かけるのは親の威光を感じさせない程の実力を備えた一部の人だけ。

実は大浦龍宇一さんも祖父が大物俳優という二世ならぬ三世タレント。
大浦龍宇一さんの祖父は戦前を代表する時代劇スターの高田浩吉さん。
高田浩吉さんは歌う映画スターの第一号としても知られています。

娯楽映画のスターは、常に最も美しく、颯爽としていなければならない。そのためには、コンディションを維持し、私生活でも好き勝手は許されない

と語った通り高田浩吉さんは酒も飲まずタバコも吸わずに芝居と歌一筋。
芸に真摯に向き合う姿勢は今の芸能人に見習わせたいですね。

高田浩吉さんは1988年に京都市文化功労者として表彰され、1990年には勲四等瑞宝章を受章。
1998年5月19日に肺炎のため86歳で亡くなっています。

おじいちゃん子だったという大浦龍宇一さん。
遊んでもらう事も多く高田浩吉さんのことを「お父さん」と呼んでいたそうです。
大浦龍宇一さんの真摯な人柄や子供を可愛がる所は祖父譲りなんですね。

大浦龍宇一は父が反面教師


昭和の大スター高田浩吉さんを祖父に持つ大浦龍宇一さん。
実は父親の高田由紀夫さんもかつては俳優をしていたそうです。

祖父が偉大過ぎることもあり大浦龍宇一が相談をしたり頼りにしたのは常に祖父。
父親に関しては

普通の家庭のお父さんらしいことをされた記憶はあまりないですね

反面教師でした

と語っています。

父の高田由紀夫さんは祖父の高田浩吉さんのマネージャーをしていた時期もあるそうです。
「祖父の身の回りをする父親」を常に見ていたことも父親よりも祖父を尊敬する要因かもしれません。

若い頃は父親に対して良い印象が無かった大浦龍宇一さん。
ですが、息子と2人暮らしをするようになったことで父親を頼るようになったそうです。
今では父の高田由紀夫さんは月に1度上京して息子と一緒にいてくれるんだとか。

仲が良さそうなスリーショットを披露しています。

「子は鎹」という言葉がある通り、大浦龍宇一さんの息子は大浦龍宇一さんと父親の鎹となったようです。

大浦龍宇一の母はどんな人?

父が元俳優で祖父は昭和の大スターという家系に生まれ育った大浦龍宇一さん。
父方の祖母が元女優の宏橋照子さんで母方の祖母が毛利峰子さんと何とも芸能一家。

そんな大浦龍宇一さんの母親も元女優だそうです。
母親は女優だった頃の話をすることはなかったようで大浦龍宇一さんもあまり詳しくは知らないそうです。


分かっているのはOSK日本歌劇団が全盛期に女優として活躍していたということ。
OSK日本歌劇団とは宝塚歌劇団、松竹歌劇団と並んぶ三大少女歌劇の一つ。

大浦龍宇一さんが俳優や歌手として活躍しているのは血筋による影響が大きそうです。
いずれ大浦龍宇一さんの息子も芸能界に進む日がくるかもしれませんね。

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