日本を代表するギタリストだった柳ジョージさん。
柳ジョージさんのR&Bをベースにしたロックは数々のミュージシャンや芸能人に影響を与えました。
とくに、志村けんさんは彼の大ファンだと公言されていましたね。
2011年に亡くなられた彼ですが、果たして死因は何だったのでしょうか?
また、奥さんや子供についても調べてみました。
柳ジョージのプロフィール
芸名:柳ジョージ
本名:柳譲治
生年月日:1948年1月30日
身長:172cm
出身地:神奈川県横浜市
最終学歴:日本大学法学部
所属事務所:なし(故人)
柳ジョージの死因
ハスキーな歌声と泣きのギターで「和製クラプトン」と呼ばれた柳ジョージさん。
中学生の頃にザ・ベンチャーズに影響を受けギターを始めたそうです。
パワーハウスやザ・ゴールデン・カップス、柳ジョージ&レイニーウッドなどのグループを経てソロに。
ソウルの帝王と呼ばれたレイ・チャールズさんとジョイントコンサートを行ったこともありました。
生涯現役を宣言していた柳ジョージさん。
しかし、その裏、すなわち、亡くなるその数年前からは、肝硬変などによる入退院を繰り返していたそうです。
お酒が大好きだった影響もありそうな臓器ですね。
見た目にもやせ細り、親しい関係者に対しては、風が吹いても危険である旨を漏らしていたそうです。
それでも、一度表に出ればいつもと変わらぬパフォーマンスというのはさすがロックスターですよね。
2011年5月22日に行われた函館市芸術ホールでライブを行ってからは体調不良のために活動休止。
そのなかで14曲を熱唱されたそうです。
所属事務所も辞めてファンクラブも閉鎖してその8月からは入院とのことですから、これはまさに最後の勇姿と言うべきものだったわけですね。
そして、2011年10月10日に腎不全のため亡くなっています。
63歳というこれから円熟味が出てくる年齢での死去だけに非常に残念です。
仮にその症状を知っていれば、最期のライブには、一体どれほどのファンが詰めかけたことでしょうか。
しかし、ご本人は亡くなってしまいましたがその魂は未だ死せず、今後も人々の心に刻まれ続けられることでしょう。
というのも、没後もどんどん柳ジョージさんの映像がDVDや映像配信で復活しているからです!
2018年10月10日には、柳ジョージ「LIVE at 東京厚生年金会館1995.6.26 -完全版-」がリリースされました。
届きました‼️
柳ジョージさん
LIVE at 東京厚生年金会館
1995.6.26DVDと、Blu-ray(+CD)です。
特典のポストカードセットがまた…
凄く嬉しいです(TT)#柳ジョージ#GeorgeYanagi#後藤次利#江口信夫#浅野ブッチャー祥之#田原音彦#遠藤ケロ#東京厚生年金会館#アトス・インターナショナル pic.twitter.com/0F7vp8S6Dc— やなぎ ちや (@chiya88888) 2018年10月11日
また、その約1年後の2019年10月3日には、「祭ばやしが聞こえる」のテーマの7インチアナログ盤がタワーレコード限定で発売されています。
この「祭ばやしが聞こえる」という作品は日本テレビ系で放送されたTV映画です。
主演は、こちらも2019年に亡くなられた「ショーケン」こと、萩原健一さんでした。
ショーケンさんカバーの「祭ばやしが聞こえる」が大好きだった pic.twitter.com/u3fcNdMkQa
— リベラ (@libera_dayo) 2019年3月28日
ましてや、この曲は柳ジョージさんの実質デビュー・レコードの復刻版ということですから、世代ど真ん中という人も多そうですね!
あるいは、彼の死はあらゆる音楽業界の方々にも影響を与えていました。
「吾亦紅」などで知られる作曲家のすぎもとまさとさんは、作曲を提供したいアーティストとして名前を挙げていた矢先に、柳ジョージさんが他界されたそうです。
また、所属事務所の後輩にあたるTHE JAYWALKのリーダー・知久光康さんは1年後の柳ジョージさんの命日に、彼が愛用したギター「ストラトキャスター」で演奏したそうですね。
というのも、同グループの彼と、田切純一さん、杉田裕さんは、「柳ジョージ&ザ・バンド・オブ・ナイト」としてバックで活躍していた経験もあるといいます。
ちなみに、柳ジョージさんのことは「ジョーちゃん」と呼んでいたそうで、後輩ながら良い関係を築いていたことがうかがえますね。
これは、「柳ジョージ&レイニーウッド」時代に所属事務所とプロデューサーが同じだったという縁があるようです。
彼らが、2012年10月10日に発売した「New Born Tears」は、柳ジョージさんの曲をカバーしたものも含まれていますね。
これは、柳ジョージさんのご家族から、彼の曲を引き継いで欲しいというお願いがあってのことだそうです。
前述のご本人の映像とともに、後継者THE JAYWALKの曲の中でも、柳ジョージさんは息づいているのかもしれません!
柳ジョージの遺言が話題
2011年10月10日に柳ジョージさん亡くなったことが関係しているのか「遺言」が話題となっています。
遺言といっても柳ジョージさんが亡くなる前に残した言葉ではありません。
1975年に柳ジョージさんが中心となり結成した柳ジョージ&レイニーウッドのシングル曲の「遺言」です。
日本のロック界における損失と言える柳ジョージさんの死去。
追悼の意を込めて柳ジョージ&レイニーウッドの遺言を聞いている人が多いのでしょう。
ただ、最期の言葉も非常にロマンチックなものでした。
それは、「あの子は可愛い」だったと言われています。
一体、誰のことを指したのかというと、それは妻である浅野真弓さんのことでした。
ならば、誰にそれを伝えたのかというと、それは後述もさせていただきますが息子さんだったそうです。
このとき、すでに柳ジョージさんの意識は朦朧としていたそうで、浅野真弓さんが小さな子のように見えたのでしょうか。
しかし、最期に可愛いと言ったのが妻だったということは、柳ジョージさんにとって、彼女は心の底からタイプだったのかもしれませんね!
柳ジョージさんの死は悲しいことですが、その刹那に真実の愛を見たような気がします。
柳ジョージの妻は女優
前項目にも少し出てきましたが、柳ジョージさんは1984年に女優の浅野真弓さんと結婚しています。
中学在学中だった1972年にドラマ「タイム・トラベラー」にヒロイン役で出演した浅野真弓さん。
NHKの『タイムトラベラー』の芳山和子役の島田淳子=浅野真弓さんに憧れました。沢田研二の婚約者役で映画『パリの哀愁』等に出演し、主演ドラマ『敬礼!さわやかさん』では主題歌も歌ってました。故柳ジョージさんの奥様。 pic.twitter.com/Jg8E9aagNQ
— (旧)しずく shizuku 429カフェ (@cafe429shizuku) 2016年10月2日
この時は本名の「島田淳子」として出演し、出演料は母親にプレゼントしたそうです。
1973年に本格的に芸能活動を始めた浅野真弓さん。
「浅野真弓」という芸名を使っているのはこの時から。
その後、数々の映画やドラマに出演していた浅野真弓さん。
柳ジョージさんと結婚した翌年に発売された雑誌のインタビューに登場したのを最後に芸能界から引退。
長らく芸能関係の仕事はしていなかった浅野真弓さんですが2011年に柳ジョージさんの個人事務所の代表に就任しています。
この頃の柳ジョージさんは体調を崩しがちだったので公私ともにサポートしたいという思いがあったのかもしれません。
柳ジョージさんの訃報をマスコミ各社へ伝えたのも、この妻、浅野真弓さんでした。
ただし、名義は「柳淳子」さんだったそうですね。
柳ジョージさんの妻として、社長として、そんな思いさえ感じられる部分です。
柳ジョージに子供がいる?
あまりプライベートについて語っていない柳ジョージさん。
妻が元女優の浅野真弓さんということは分かりましたが、二人の間に子供はいるのでしょうか。
調べてみると柳ジョージさんが亡くなった時のことを浅野真弓さんが次のように語っていたことが分かりました。
女優の頃は死体の役も犯人の役も、喪主の役もたくさんやってきたのに、いざ夫の死と向き合うと声が出ず、喪主の挨拶も息子に代わってもらったくらいです。
このことから柳ジョージさんには息子がいることが分かります。
遺言の項目にも出てきました息子さんですね。
ただし、子供が息子1人だけなのか、他にもいるのかは不明です。
柳ジョージと志村けんの関係
実は飲み友達だったという柳ジョージさんと志村けんさん。
一見すると共通点がないように思える二人。
実は志村けんさんは自宅に大量のレコードやCDをコレクションするなど音楽に造詣があるんです。
またドリフターズではギターを担当しており演奏のテクニックもなかなかのもの。
柳ジョージさんと志村けんさんは音楽という共通の話題で親しくなったのでしょう。
ただ、柳ジョージさんと志村けんさんは飲み友達という関係だけではありません。
志村けんさんと加藤茶さんが出演し人気だった「カトちゃんケンちゃんごきげんテレビ」。
この番組のオープニング曲は志村けんさんが柳ジョージさんに依頼して作られた楽曲なんです。
志村けんさんは柳ジョージさんが亡くなった時に、哀悼の意を公式ブログに綴っています。
志村けん「柳ジョージさん」 https://t.co/OWqGyl92xK
— TS.works (@works_ts) 2018年9月14日
互いが互いのファンでもあったという柳ジョージさんと志村けんさん。
ファンでもあり互いに刺激しあえるような関係だったんでしょうね。
コメント
♪『むかしこの道をいつも違う女の肩に手を当て口説きながら走ったぜ・・・』
高校卒業後、初めて社会人になった通勤途中でいつも聞いていた。この曲を聴くと今もその時の心情や絵が浮かぶ。
初めて彼女ができて石川の千里浜を走った時『グルビーガール』が流れていた。
『コインランドブルース』を聞けば路地裏の街灯とそこだけ明るく照らされたコインランドリーが見える。
いい歌とは誰に言われることなく映像が浮かぶ。
柳ジョージの全ての歌に当てはまる。
45年近くのファンであるがこの後の残りの人生も変わることはないと思います。
柳ジョージさんの楽曲の素晴らしさ伝わってくるコメント、ありがとうございます。
綺麗な夕陽を見て走っていたあの日、流れてきた曲に車を止めて、号泣したあの日はずっと忘れられない。40年近くなるのに切なさが忘れられない。
Baby、居ない貴方に今は泣いてしまいます。
私は横浜南区に住んでました。蒔田という商店街に写真店があり、柳ジョージさんご家族の七五三の写真が店頭に飾られていたのを見たことがあります。柳ジョージさん、大好きでした。
時は流れて 酔って候 同じ時代に コペンハーゲン・パーク YOKOHAMA’66
・・・わが青春の日々。柳ジョージさんの歌を聴くと自然と涙がこぼれます。