児玉清(こだま きよし)さんと言えば「パネルクイズ アタック25」の決め台詞”アタックチャンス”イメージが強い
ですよね!
今回は児玉清さんを支えて見守って来た妻や娘さん、息子さんなどの家族について見て行こうと思います!
児玉清のプロフィール
本名:北川 清
生年月日:1933年12月26日
没年月日:2011年5月16日(77歳没)
身長:179cm
血液型:O
出身地:東京都北区
児玉清の妻はどんな人?
児玉清さんの奥さんは北川町子(本名・北川好子)さんという女優さんで、児玉清さんの1歳年上の姉さん女房でした。
児玉清さんは当時の男性芸能人としては珍しく”婿入り”した事でも話題になりました。
婿入りした経緯は北川町子さんの実家が事務用品を取り扱う「株式会社チカダ」の創業家であり、1人いた兄が戦争で亡くなったという経緯があったそうです。
昨夜は予定通り、【密輸船】をみたが、途中で撃沈!/谷口千吉監督の【霧笛】が最初に入っていたので、2本続け様に見たわけだがきついな。/明るい内に再度見よう。/北川町子と三船敏郎/昭和29年・東宝・杉江敏男監督 pic.twitter.com/8gIRw4KKJb
— ガンちゃん (@aoisanmyaku1949) 2018年7月15日
日本人離れしたルックスで数多くの映画に出演し、男を魅了する役で世の男性から人気を集めました。
児玉清さんと知り合ったきっかけは1964年のテレビドラマ「サラリーマン義経君奮戦記」と言われています。
ふたりは同じ東宝に所属していましたが、事務所の人から「京都(ロケ先)に1人で行けない女優がいるので一緒に行って欲しい」と頼まれて同行した事が縁となりました。
児玉清さんは北川町子さんを作品を通してしか知らなかったので、役柄と違う「真面目で控えめ」という素の様子を大変気に入ったそうです。
意気投合したふたりは知り合って4ヶ月後の1964年8月に結婚し、北川町子さんは女優を引退して家庭に入りました。
その後は1966年頃に長女、1969年に長男の一男一女を授かりました。
北川町子さんは2023年現在も元気に過ごしていると言われています。
児玉清の娘との感動の秘話とは?
児玉清さんには1966年頃に生まれた奈央子さんという娘さんがいました。
芸能活動はしておらず、児玉清さんが立ち上げた個人事務所のマネージャーとして働いていました。
その後、奈央子さんは34歳の時に「スキルス胃癌」と宣告されてしまいます。
同じ頃に児玉清さんへ木村拓哉さん主演のテレビドラマ「HERO」の出演依頼が来ますが、奈央子さん病気やテレビドラマに対して乗り気ではない事から断ろうとします。
それを聞いた奈央子さんはマネージャーとして厳しく父を説得しました。
泣く子が黙るようなキムタクさんが出るんだから。彼の目の前を歩くだけで良いから、出なさい
結果として児玉清さんは「HERO」に出演し、その後は多くのテレビドラマに再び出演するようになりました。
2002年に奈央子さんは夫と4歳の息子を遺して亡くなりますが、一連のエピソードについて児玉清さんは次のように語っていました。
こんな僕でも、人さまに元気を与える部分があることを知ってね。それからですね。自分のためだけではなく、人のために何かすることに意義を感じ始めたのは。大切な娘を亡くして、そのことが初めてわかった……
娘としては不運も重なって親より先に旅立ちましたが、マネージャーとしては完璧な仕事をしたと思います。
児玉清の息子は社長をしている?
児玉清さんには1969年に生まれた大祐さんという息子さんがいます。
当初は父の事務所に所属してタレントやモデルとして活動していました(後にアダムスモデルス事務所へ移籍)
芸能人としては目立った活躍なく、現在は芸能界を引退して母の実家「株式会社チカダ」の社長と「児玉清事務所」の代表を務めています。
現在も児玉さんの切り絵を使ったイベントやカレンダーの出版などに携わる一方、会社社長としても多忙な日々を過ごされている様子が伺えました。
コメント