岩本勉のイップス克服&記録に残るホームラン。甲子園に出場?解説者になった現在の年収は

「ガンちゃん」の愛称で他球団のファンからも親しまれた岩本勉(いわもと つとむ)さん。
明るいキャラクターで知られますが実は壮絶ともいえる過去を乗り越えてきたんです。

岩本勉がイップスを克服

18番を背負い日本ハムファイターズのエースとして活躍した岩本勉さん。
昔から「人気のセ、実力のパ」と言われますが岩本勉さんは明るいキャラクターで球界を代表する人気者でした。

1989年にドラフト2位で日本ハムファイターズに入団した岩本勉さん。
2年目の1991年に1軍での初登板を果たし、5試合に登板するも勝ち星を挙げる事は出来ず。


1軍戦を経験した事で更なる活躍が期待された岩本勉さん。
ですが1992年にイップスを発症してしまいます。

イップスの原因となったのがバント時のフォーメーション練習でした。
練習で投手陣がミスをするたびに調整のため1軍から2軍にきた内野手が度々舌打ち。

そのせいで多くのピッチャーが制球難に苦しむように。
岩本勉さんはその症状が特に酷くイップスとなってしまったそうです。

イップスでまともな投球が出来なくなった岩本勉さんは1992年は1軍での登板無しに終わってしまいます。
1993年になり1日1000球のスローイングなどで投球感覚を取り戻す事に専念したおかげで2軍戦ではありますがシーズンの終盤にマウンドに復帰。

その翌年にフォームをサイドスローにした事で制球難を克服。
2軍戦で月間MVPを獲得し1軍戦で9試合に登板。

1軍で勝ち星を挙げる事は出来ませんでしたが確かな手ごたえを掴んだ岩本勉さん。
1995年にフォームをスリークォーターに変更すると同年7月14日に1軍戦で初勝利。

その後も中継ぎで結果を残し続けた岩本勉さんは先発ローテーションに定着。
1996年には10勝をあげる活躍を見せパ・リーグを代表するピッチャーとなりました。

岩本勉さんはイップスにならなければもっと活躍出来たのかもしれません。
ですがイップスになりイップスを克服したからエースになれたのだと思いたいですね。

岩本勉は記録的なホームランを打った?

前年のプロ野球再編問題をきっかけに2005年から始まったプロ野球のセ・パ交流戦。

これまでは日本シリーズでしか見られなかったセ・リーグとパ・リーグの本気の戦いに多くのプロ野球ファンが熱狂。
今では交流戦の結果がペナントレースを左右するとも言われています。

このセ・パ交流戦で岩本勉さん記録に残る活躍を見せているんです。

それはセ・パ交流戦が初めて開催された年の5月21日、対巨人戦のこと。
4回途中から2番手としてマウンドに上がった岩本勉さん。

5回表の攻撃で打席に立つと何とホームランを打ってしまいます。
このホームランがセ・パ交流戦でピッチャーが打った初めてのホームラン。

パ・リーグではDH制が採用されているためピッチャーが打席に立つことはまずありません。
そのためこれが岩本勉さんにとっても初ホームランでした。

バッティングでチームに貢献した岩本勉さん。
残念ながら試合には負け岩本勉さんに2敗目が付いてしまいました。

これで試合に勝っていれば言う事なしだったのですが。
ちゃっかりオチが付いているところが岩本勉さんらしいと言えばらしいですね。

岩本勉は甲子園に出場していない?

高校球児の夢の舞台である甲子園。
多くの選手が甲子園で活躍しプロへの切符を手にしてきました。

1989年にドラフト2位で指名された岩本勉さんも当然、甲子園で活躍していると思いますよね。
ところが岩本勉さんは甲子園には出場していないんです。

阪南大学高校3年生の時にドラフト指名候補に名前を挙げられていた岩本勉さん。
甲子園の予選大会が目前に迫った1989年7月7日に大会への出場辞退を告げられます。
その理由は2年生部員による傷害事件でした。

野球に関わらず部員による問題が発覚したことで学校が大会への出場を辞退するという報道は今も少なくありません。
岩本勉さんはそれを当事者という立場で経験しているんです。

出場辞退を告げられた岩本勉さんは放心状態に。
ですがドラフトで指名される可能性があった岩本勉さんは両親の励ましもあって練習を続けたそうです。

この一件により野球を続ける事を諦めた選手もいたそうです。
大学や社会人で野球を続けようとセレクションを受けた選手達も甲子園出場や地方大会で勝ち進んだ、という経歴がないため不合格に。

雰囲気が決して良いとは言えない状況で見届ける事となったドラフト会議。
岩本勉さんが指名されると部員達は笑顔で胴上げをしてくれたそうです。

前述の通り岩本勉さんはプロ入りから2年後にイップスを発症。
それでも歯を食いしばって頑張れたのは野球を続けたくても続けられなかった仲間の思いがあったからなんだとか。


野球を通じて甲子園出場という名誉よりももっと素晴らしい仲間を手に入れた岩本勉さん。
そんな仲間がいる限り岩本勉さんはこれからも野球界に貢献し続ける事でしょう。

解説者になった岩本勉の年収はどれくらい?

活躍すれば年俸が1億円を超える事も珍しくないプロ野球選手。
現役時の岩本勉さんの最高年俸は推定で1億8000万円。
日本ハムのエースであり球界の人気者だっただけあってやはり年俸は1億円を超えていました。

そこから徐々に年俸は下がってしまいますが、現役最終年の年俸は4800万円。
プロ野球選手としては安い方ですが一般人にすればかなりの高給と言える金額です。

現役を引退後、岩本勉さんはタレント性を買われてホリプロと契約。
現在は野球解説者やタレントとして活動しています。

現役時代は数千万円を稼ぎ出していた岩本勉さんですが現在の年収はどれくらいなのでしょうか。

まず、主な収入源となっているのが野球解説者としての仕事。
解説者の収入は1試合あたり5〜10万円と言われています。

ですがこれは地上波のテレビで解説を行った場合の金額。
これがCSやラジオだと3〜5万円になってしまうそうです。

2019年のプロ野球の試合数は合計で143試合でした。
1試合5万円とすると、その半分で解説を務めたとしても約360万円にしかなりません。
ですがその他にもシーズンオフや開幕前のキャンプの取材もあるでしょう。

岩本勉さんは野球解説者のほかにも情報番組のコメンテーターやラジオパーソナリティとしても活躍しています。
また、新聞にコラムを掲載し、著書も何冊か出版しています。


これらの事から現在も岩本勉さんは年収が1千万円を超えているのではないでしょうか。
現役の頃から考えると大分下がっていますが、普通に生活するには十分すぎる金額です。

現役を引退後、第二の人生で苦しむスポーツ選手は少なくありません。
そう考えると仕事に恵まれている岩本勉さんは本当に幸せ者ですよね。

岩本勉の家族は韓国出身。いまだに独身?彼女の噂について

コメント