AKBグループや坂道シリーズのように大人数が主流となっている最近の女性アイドルグループ。
その「はしり」と言えるアイドルグループがおニャン子クラブです。
おニャン子クラブは人気の裏で大変な苦労
1985年に放送が始まった「夕やけニャンニャン」のアシスタントとしてデビューしたおニャン子クラブ。
放送開始から3か月後に「セーラー服を脱がさないで」でCDデビューすると大ブレイク。
その後、発売した楽曲8曲のうち6曲がオリコンで首位となり残る2曲も2位を獲得。
普通の女の子たちが瞬く間に人気アイドルになるというシンデレラストーリーを実現させました。
おニャン子クラブがデビューする前のアイドルは殆どがソロばかり。
少し前にデビューした「花の82年組」が良い例と言えるでしょう。
そんなソロアイドル全盛期にデビューしたおニャン子クラブは当時の中高生を中心に圧倒的な人気を獲得。
現在、芸能界の第一線で活躍するタレントの中にも、おニャン子クラブのファンだった事を公言する人が多数。
木村拓哉さんもおニャン子クラブのメンバーだった工藤静香さんのファンだった事は有名ですよね。
また、おニャン子クラブはグループとしての活動だけでなくソロやグループ内ユニットでも活動。
その手法は今のアイドルグループにも取り入れられていますよね。
おニャン子クラブが現在の女性アイドルグループの礎を作ったと言っても過言ではないでしょう。
「夕やけニャンニャン」が放課後をコンセプトにしていた事からおニャン子クラブのメンバーの多くが高校生。
芸能コースではなく、ごく普通の高校に通っていたメンバーも少なくなかったそうです。
共学であれば男子学生の注目の的だった事は間違いありません。
ですが、女子高に通うメンバーの多くは酷いイジメを受けていたんだとか。
そのため楽屋では常にメンバーの1、2人が泣いていたそうです。
まさかアイドルとして華々しい活躍をする裏でそんな辛い日々を過ごしていたなんて。
当時のファンは思いもしなかった事でしょう。
そんな素振りを見せる事なく明るく振る舞い続けるメンバー達こそ本当のアイドルと言えますね。
おニャン子クラブの喫煙事件
今も昔もアイドルにとって致命的となるのがスキャンダル。
ただ、スキャンダルといっても恋愛だけではありません。
未成年で喫煙や飲酒した事で芸能界に居場所が無くなったアイドルも多いですよね。
約2年半という活動期間の短さからスキャンダルが殆どなかったおニャン子クラブ。
唯一、起こしたスキャンダルが喫煙事件でした。
この喫煙事件が起きたのはおニャン子クラブ結成から2週間余り経った頃。
当時、未成年だった6人のメンバーが「夕焼けニャンニャン」の放送終了後に喫茶店で喫煙している姿が週刊文春に掲載されてしまったのです。
この記事が原因となり6人のうち5人がおニャン子クラブを解雇。
残る1人は報道直後に番組を降板したものの暫くして番組に復帰。
その後は何事もなかったかのようにおニャン子クラブのメンバーとして活動していました。
なお、不問となった理由は現在も明かされていません。
この時、解雇されたメンバー曰く、番組終わりにメンバーが集まって喫煙したのはこの時が最初。
番組が始まったばかりという事もあって、これほど自分たちが注目されているとは思わなかったのかもしれませんね。
解雇されたメンバー達はその後のおニャン子クラブの活躍を見て後悔した事でしょう。
おニャン子クラブのメンバーが死亡?
おニャン子クラブ解散後、それぞれの道を歩み始めたメンバー達。
歌手や女優、タレントとして芸能活動を続けるメンバーがいれば一般人に戻ったメンバーも。
その一方で解散後の消息が不明なため、死亡説が流れたメンバーもいるようです。
ですが、2020年5月時点でおニャン子クラブの元メンバーが死亡したという情報はありません。
かつて活躍した芸能人が暫く姿を見せないと死亡説が出てしまう事が多々あります。
おニャン子クラブの元メンバーにも同様の事が起こってしまったのでしょう。
ただ、死亡説が流れるのは一世を風靡した限られた人達だけ。
死亡説が流れるという事はそれだけおニャン子クラブの人気の裏返しと言えます。
最近、元アイドルグループのメンバーが大麻取締法違反で逮捕された事が話題となりました。
このように元芸能人が不祥事でニュースになる事も少なくありません。
「便りが無いのは良い便り」という言葉の通り情報が無いという事は必ずしも悪いことではありません。
きっと一般人に戻ったおニャン子クラブの元メンバー達は晩節を汚す事なく日々を過ごしていく事でしょう。
おニャン子クラブのメンバーが乳がんを告白
癌の中でも日本の女性の罹患率がトップと言われる乳がん。
罹患率は年々、増加の一途で現在では14人に1人が乳がんになると言われています。
また、乳がんは罹患率だけでなく死亡率も増加。
発症者の30%にあたる1万3千人が毎年、乳がんで亡くなっているそうです。
北斗晶さんや南果歩さんなど乳がんになった事を公表する芸能人も多いですよね。
元おニャン子クラブの生稲晃子さんも乳がんを告白した1人。
2011年に早期の乳がんが見つかったため手術を受けました。
進行具合によっては乳房を切除する事もありますが、生稲晃子さんが受けたのは乳房温存手術。
その後、放射線や投薬治療を続けるも2012年と2013年に再発。
このままだとまた再発の恐れがあったのでしょうか。
2013年の手術では乳房を全摘出し、2015年に乳房の再建手術を受けています。
女性にとって乳房を摘出するというのは大変な覚悟がいること。
同じように苦しむ女性のため、乳癌について知ってもらうために生稲晃子さんは乳癌との闘いを本にして出版。
また、癌についての公演活動も行っているそうです。
乳房を全摘出したおかげか、その後は幸いにも癌が再発していない生稲晃子さん。
これからも健康で穏やかな日々を過ごせる事を祈らずにはいられません。
おニャン子クラブは秋元康プロデュースではなかった?
AKBグループに坂道シリーズなど現在のアイドル業界を牽引する秋元康さん。
CDに握手券を付けて販売する手法が「秋元康商法」と揶揄される事もあります。
ですが、現在の音楽業界並びにアイドル業界を支える名プロデューサーである事は間違いありません。
そんな秋元康さんはおニャン子クラブの活躍にも多大なる貢献を果たしています。
結成のきっかけとなった番組「夕焼けニャンニャン」にも構成として参加。
そして、おニャン子クラブのメンバーを発掘するコーナーでも審査員を担当していました。
更にはグループだけでなくソロ、ユニットの楽曲のほぼ全てで作詞を担当。
こうした貢献から秋元康さんがおニャン子クラブのプロデューサーと思っている人も多いのではないでしょうか。
過去に「プロデュースは、教え子と結婚してこそ完結だから」という旨の発言をしている秋元康さん。
実際に元おニャン子クラブの高井麻巳子さんと結婚しています。
ですが、秋元康さんはおニャン子クラブのプロデューサーである事は否定しています。
また、おニャン子クラブの元メンバー国生さゆりさんも「秋元康さんはスタッフの一人」、「他のスタッフと同列」と語っています。
とはいえ秋元康さんがおニャン子クラブでアイドルを育てるノウハウを得た事は確か。
もしおニャン子クラブに携わっていなければAKBグループ、坂道シリーズの成功は成しえなかったかも知れません。
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