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70年代に時代劇を中心に活躍した文学座出身の美人女優・宇津宮雅代(うつのみやまさよ)さん。
『大岡越前』の雪絵夫人はやはり初代のこの人でなければと思う往年のファンも多いでしょう。
2000年に復帰するまで実に20年近く第一線を退いていましたが、その間の足取りをたどりながら、2023年現在の様子を追っていきたいと思います。
また夫だった西岡徳馬さん、三浦洋一さんとの離婚理由や子供についてもまとめます。
宇津宮雅代のプロフィール
本名:宇津宮 雅代
生年月日:1948年3月6日
血液型:A
出身地:東京
宇津宮雅代は休業中に渡英の現在
宇津宮雅代さんの女優としてのキャリアのスタートは文学座でした。
舞台デビューのあと、1969年にドラマ『パンとあこがれ』のヒロインに抜擢され、本格的な女優デビューをはたします。
同作では新宿中村屋の創業者・相馬黒光(そうまこっこう)さんを娘時代から晩年までを好演。
以降、70年代から80年代初頭にかけてドラマや映画にコンスタントに出演し、それらの中には『熱中時代・刑事編』など懐かしいドラマから、『新幹線大爆破』『青春の門・自立篇』といったヒット映画も。
初代雪絵役を演じた『大岡越前』には第1部から第6部まで登場しています。
ちなみに「大岡越前」雪絵夫人の写真はこちら。#宇津宮雅代(1948.3.6.〜) pic.twitter.com/Mf5pGByEn7
— ムーミン (@moomin_art78) March 5, 2020
宇津宮雅代さんは1948年3月6日、東京都生まれ。
「宇都宮雅代」で検索する人もいるようですが、正しくは「宇津宮雅代」です。
女優としてのさらなる活躍が期待された矢先の1983年に活動を休止し、復帰したのは2000年でした。
3月6日は宇津宮雅代さんの72歳のお誕生日です。🎉🎊 宇津宮さんと言えば「大岡越前」の雪絵夫人ですが映像が見当たらないので、今夜は天知さんの明智小五郎シリーズ「妖虫」から赤いさそりの美女をどうぞ。皆さまには明日も良き一日を。(^-^)/#宇津宮雅代(1948.3.6.〜) pic.twitter.com/gSIivbxfyo
— ムーミン (@moomin_art78) March 5, 2020
この間、自身の生き方を見つめ直すために2児を連れて渡英。
ウエストサリー芸術デザイン大学やウィンチェスター芸術大学で染色、デザイン、インテリアなどを学んでいたそうです。
25年ぶりの映画出演となった『呉清源〜極みの棋譜〜』が公開されたあと、2007年に『日刊ゲンダイ』のインタビューで休業や女優カムバックの経緯について語っています。
復帰のきっかけは前夫・三浦洋一さんが他界したことでした。
訃報を受けて帰国し、花を手向けた際に、「またやれよ」という三浦さんの声が聞こえた気がしたそうです。
自分には女優しかないという思いは以前からあったものの、離婚した夫二人がどちらも現役で活躍していたことから、どこか遠慮していたと述べています。
2000年の復帰以降は年に10本ほどのペースでドラマ出演していたとご本人が述べており、映画は2010年の『遠くの空』への出演が確認できました。
過去に二度の離婚歴がありますが、その後結婚したという情報はありません。
西岡徳馬・三浦洋一との離婚理由
同じ文学座に所属していた俳優・西岡徳馬さんと結婚したのは1973年。
当時西岡さんは本名の「西岡徳美」を名乗っており、まだ無名の俳優でした。
いわゆる格差婚だったようです。
二人は女児をもうけますが、わずか2年で離婚。
原因は嫁姑問題といわれています。
夫婦間の問題で離婚に至ったならまだしも、第三者である義母との関係性が離婚の原因になったのだとしたら、宇津宮雅代さんにとってはつらい選択だったことでしょう。
6歳年下の三浦洋一さんと再婚したのは1978年のことでした。
つかこうへい作品の舞台やドラマ『七人の刑事』『池中玄太80キロ』で知られていますね。
でも、私の中で『なまいき盛り』がほんの少しだけ秀でている理由が、三浦洋一さんである。石田純一さん(君恋の年上男性)より、断然三浦洋一さん!!!このシーンが決定的だったなあ。私のポリシーと%