将来の日本SF界を背負って立つ事を期待されていた伊藤計劃(いとう けいかく)さん。
今も生きていれば数多くの傑作を生みだしている事は間違いないでしょう。
伊藤計劃の死因は癌だった
約2年という活動期間ながらSF作家としての地位と人気を不動のものとした伊藤計劃(いとうけいかく)さん。
八千代松陰高校を卒業後、2浪して武蔵野美術大学美術学部映像学科へ進学。
「映画に夢中になったため2浪した」と言われるほど映画や漫画が大好きだったそうです。
大学では漫画研究会に所属していたという伊藤計劃さん。
部誌に漫画や小説を発表するメンバーが多い中で伊藤計劃さんが載せたのは予告のみ。
最後まで本編を載せる事はなかったそうです。
伊藤計劃さんの妹曰く、伊藤計劃さんは「慎重で完璧主義でビビり」。
自らの作品の評価を気にするあまり本編を発表する事が出来なかったのでしょう。
そんな伊藤計劃さんなので発表した作品の全てが傑作。
Webディレクターとして勤務する傍らで書き上げたデビュー作の「虐殺器官」。
これが小松左京賞の最終候補まで残り、ハヤカワSFシリーズ Jコレクションから発売されると様々なランキングで1位を獲得。
アニメ化、コミカライズ化され、韓国語や中国語、英語に翻訳されたものも発売。
アメリカで実写映画化されることが決まるなど、国内だけでなく海外でも高い人気を誇る作品となっています。
華々しいデビューを飾り、期待の新人として注目を集めた伊藤計劃さん。
これから先の日本SF界を牽引する事が期待されていました。
ところが2009年に34歳という若さで死去。
死因となったのは肺癌でした。
大学生の頃から断続的に右太腿に痛みを感じていたという伊藤計劃さん。
2001年にその痛みが夜も寝られないほどに悪化。
すると発見されたのは癌の一種である「ユーイング肉腫」。
手術で病巣を神経ごと取り除いたものの2005年に両肺へ転移している事が明らかに。
肺の一部を除去する手術を受け、抗がん剤の治療を9か月に渡って続けた事で寛解。
ところが完治する事はなく、亡くなる直前には癌が全身の6か所に転移していたそうです。
伊藤計劃が天才と呼ばれる理由
短期間に眩いほどの輝きを残し散ってしまった伊藤計劃さん。
死後10年以上が経過した今もその評価は衰えるどころか高まるばかり。
「夭折の天才」としてSF界に燦然とその名を刻んでいます。
伊藤計劃さんを知らない人の中には「夭折した事から過大評価されているのでは」と思う人がいるかもしれません。
ですが伊藤計劃さんは間違いなく天才と呼べる数少ない作家の1人です。
伊藤計劃さんが天才と称される最大の理由は何と言っても作品のすばらしさ。
宮部みゆきさんが「3回生まれ変わってもこんなにすごいものは書けない」とその才能に嫉妬したエピソードもあるんです。
デビュー作の「虐殺器官」の評価の高さは既にご紹介した通り。
そして遺作となった「ハーモニー」は星雲賞と日本SF大賞を受賞し英訳版もフィリップ・K・ディック賞の特別賞を受賞。
たとえ1作品であっても国内外で高く評価される作品を書き上げるのは大変なこと。
ですが伊藤計劃さんは2作品も傑作を世に送り出しています。
それも癌と闘病しながら。
更に特筆すべきが執筆速度。
伊藤計劃さんが「虐殺器官」を書き上げるのに要した時間は僅か10日。
しかもWebディレクターとして働きながらの執筆活動でこのスピードです。
作家によって執筆スピードは異なりますが兼業作家で10日というのは驚異的と言わざるを得ません。
間違いなく作家が天職だった伊藤計劃さん。
その早すぎる死は日本文学界にとって大きな損失となった事は間違いないでしょう。
伊藤計劃と円城塔の関係
2012年に「道化師の蝶」で芥川賞を受賞し注目を集めた作家の円城塔さん。
東北大学理学部を卒業後、東京大学大学院総合文化研究科の博士課程へ進んだ経歴も話題となりました。
円城塔さんは芥川賞を受賞した同年に「屍者の帝国」で星雲賞と日本SF大賞の特別賞も受賞。
実はこの作品は伊藤計劃さんとの共著なんです。
「虐殺器官」を2006年の小松左京賞に応募し、最終候補に残るも落選。
その翌年にハヤカワSFシリーズ Jコレクションから刊行した伊藤計劃さん。
一方の円城塔さんも2006年の小松左京賞で最終候補の残った「Self-Reference ENGINE」を2007年ハヤカワSFシリーズ Jコレクションから刊行。
偶然にも全く同じ経緯でデビューした事で二人の親交が始まったそうです。
そんな二人が一つの作品を共に作り上げたのは必然だったのでしょう。
2009年に亡くなった伊藤計劃さんが残した30枚の原稿。
これを家族の了承を得たうえで円城塔さんが引き継ぎ書き上げたのが「屍者の帝国」でした。
円城塔さんが「屍者の帝国」を書き上げるまでに費やした年月は何と3年。
きっと「伊藤計劃さんならどうするか」という葛藤、「下手なものは書けない」というプレッシャーで頭を悩ます日々が続いたのでしょう。
伊藤計劃さんについて「友人でもあり影響を受けた作家」と語る円城塔さん。
最初で最後の共著である「屍者の帝国」は円城塔さんにとって忘れられない1冊となった事でしょう。
伊藤計劃とサイコパスのコラボが話題
「踊る大捜査線」の監督を務めた本広克行さんの「アニメを作りたい」という思いから生まれた「PSYCHO-PASS」。
2012年に放送が始まると瞬く間に人気が爆発。
2014年に第二期、2019年には第三期が放送され、劇場版も公開。
国内だけでなく海外にも熱狂的なファンが多いSFアニメとして知られています。
多くの人気キャラクターが登場するサイコパスで適役ながら高い人気を誇るのが槙島聖護。
槙島聖護のカリスマ的な人気がサイコパスを人気アニメにした、という評価もあるほど。
その槙島聖護が劇中で伊藤計劃さんの作品について語るシーンがあります。
つまり槙島聖護は伊藤計劃さんの作品の愛読者。
そのようなシーンをあえて出すという事は槙島聖護を形成するうえで伊藤計劃さんの作品が重要な役割を果たしているということ。
なお、槙島聖護と伊藤計劃さんの関わりはこれだけではありません。
伊藤計劃さんの長編小説3作を劇場アニメ化するというプロジェクト「Project Itoh」。
劇場版前売り券の特典となったのが槙島聖護が伊藤計劃さんの作品を読む姿が描かれたクリアファイルでした。
槙島聖護と伊藤計劃さんの繋がりの深さを改めて感じさせますよね。
現実世界だけでなくアニメのキャラクターにまで影響を与えた伊藤計劃さん。
改めて早すぎる死が悔やまれてなりません。
伊藤計劃はガンダムを批判していた?
日本SFアニメに燦然と輝く金字塔「機動戦士ガンダム」。
放送開始から40年を超えた今もなお、世代や性別を超えて多くの人たちに愛されています。
親子2代でガンダムファンという人も多いのではないでしょうか。
もはやSFを語るうえで避けて通る事は出来ないガンダム。
ガンダムを通じてSFの世界に興味を持った人も少なくないかもしれません。
SF作家として活躍した伊藤計劃さん。
ガンダムから少なからず影響を受けたと思いきや意外な事実が。
伊藤計劃さんはガンダムに影響を受けたどころか設定の甘さを批判。
よっぽどガンダムに興味がなかったのか、1度も見たことが無かったそうです。
それどころかガンダムの事を意図的に避けているようなそぶりも。
その事が分かるのが伊藤計劃さんの過去のブログ。
2004年にファミコンミニの新シリーズとしてディスクシステムセレクションの販売が決まった際に「ガンダム以外全部買いそう」と綴っているんです。
完璧主義者だった伊藤計劃さん。
設定に粗があるのに人気なガンダムに嫌悪感を抱いていたのでしょうか。
伊藤計劃さんが亡くなってしまった今では知る由もありません。
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