小松左京の家族。娘、息子と孫について。宅間守との関係&箕面在住だった

星新一さん、筒井康隆さんと「SF御三家」に数えられた、SF小説の大家である小松左京(こまつ さきょう)さん。

『日本沈没』や『復活の日』で知られていますが、作家自身はどんな私生活を送っていたのでしょう。

今回は左京さんの家族情報について、娘、息子、孫を中心に迫ります。

さらに池田小事件の犯人宅間守との関係、箕面に住んでいたという情報を確認します。

小松左京のプロフィール

本名:小松実

生年月日:1931年1月28日

死没:2011年7月26日

身長:不明

出身地:兵庫県西宮市

最終学歴:京都大学大学院文学研究科

小松左京の家族。娘、息子、孫

まず左京さんの家族情報に迫ります。

妻は克美さんという名前で、1958年に結婚しました。


左京さんが所属していたアマチュア劇団のオーディションに、克美さんが参加したことが出会いのきっかけ。

若き日の夫婦は、兵庫県西宮市にあるアパートで貧しい生活を送っていたそうです。

娘については情報がありませんが、息子は2人いることが明らかになっています。

次男は小松実盛さんという名前です。

父の小説について、文庫版の解説を担当してきました。

左京さんの孫について情報はありませんが、長男、次男共に中年ですから、子供をもうけ成人まで育て上げた可能性が高いです。

孫は一般人のため、個人情報が公表されていないのでしょう。

池田小事件の宅間守との関係

次に池田小事件の犯人宅間守との関係です。

実は宅間の元妻が、左京さんの妹だったそうです。

宅間は2001年6月8日、大阪教育大学附属池田小学校の生徒と教員に襲い掛かり、23人を死傷させました。

2003年に死刑が確定すると、わずか1年後に執行されています。

宅間は生涯で5回結婚しました。

最初は1990年で、名簿を見ながら病院の看護師に電話をかけ、身分を医者と偽って結婚します。

しかしすぐに身分詐称がわかり、数日で離婚しました。

そして2人目の妻が、左京さんの妹だったのです。

彼女は宅間にとって、小学校時代の恩師でした。

とても面倒見がよく、強姦事件で捕まっていた宅間の元に通い、彼のために尽くしています。

大阪教育大学を卒業したインテリ女性で、しかも心優しかった点に惹かれたのでしょう。

2人は結婚しますが、その後も宅間は強姦事件を起こします。

妻のおかげで示談になるものの、翌年離婚しました。

その後も3度結婚した宅間。

しかし左京さんの妹である女性は、とくに思いやり深かったため、彼女へ未練があったのかもしれません。

彼女は池田小学校の教師だったため、執着心から同小学校を犯行現場にしたともいわれています。


いずれにせよ、左京さんは妹が宅間の元妻であるという事実に心を痛めたでしょう。

公に事実を語ろうとしなかったため、事実関係はネット上の情報でしか確認できません。

左京さんにとって認めたくない事実だったのかもしれませんね。

小松左京は箕面在住だった?

最後に左京さんが箕面在住だったという情報についてです。

大阪府箕面市は、かつて修験道の道場として知られたスポットです。

そのため勝尾寺、瀧安寺や阿比太神社など、寺社仏閣の多い土地として知られています。

左京さんの眠る瀧安寺も、修験道の一派である本山修験宗の寺院です。

生前、箕面市に自宅を構えていた左京さん。

弟の小松伸也さんによると、ターミナルへのアクセスが便利で、同時に自然豊かであるため気に入ったのではということでした。

執筆に疲れると、書斎の窓をのぞいて、山の緑を眺めることでリラックスしていたそうです。

伸也さんと両親も共に箕面市に移り住んだそうで、家族そろって箕面市を気に入っていたことがわかります。


自然が多く、交通の便もいいという、かなり理想的な土地といえますね。

SF界の巨匠である左京さんの仕事を支えたのは、箕面市の豊かな自然だったのでしょう。

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