でんじろうの大学と経歴。博士ではない科学実験好き?息子について&性格はサイコパス?

科学実験の楽しさを世の中に広め続けているでんじろうさん。

次々に新しい実験を生み出す発想力は賞賛せずにはいられません。

でんじろうは三浪して大学に

誰もがあっと驚く科学実験でお馴染みの米村でんじろうさん。

「空気砲」や「静電気実験」など見るだけでなく体験できる実験がいっぱい。

子供から大人まで楽しめる実験の数々と軽快なトークが評判で冠番組を持つほど。

米村でんじろうさんがきっかけで科学が好きになった人も少なくないはず。


今でこそ華々しい世界で輝かしい活躍を見せる米村でんじろうさん。

ですが若かりし頃は大変な苦労をしていたんです。

兼業農家の家庭に4人兄弟の末っ子として誕生した米村でんじろうさん。

元々経済的に楽ではなかったそうですが高校3年生の時に父が職場の事故により死去。

そのため私立大学への進学という選択肢は無くなり志望したのは国公立のみ。

ところが成績があまり良くなかった事もあり不合格。

浪人する事になるも家庭の経済状況を気にかけて予備校にはいかず。

自宅で問題集やラジオ講座を使って勉強する宅浪をしていたそうです。

ところが問題の解き方、勉強法が分からずに挫折。

当然、大学受験も失敗し二浪することに。

浪人生活も二年目となると流石に周囲も心配し、予備校に通うように。

ところが予備校の授業についていけず再び宅浪生活に逆戻り。

その後、母親の勧めによりアルバイトで働き始めるも働くことに苦痛を感じた米村でんじろうさん。

大学進学への意思を強固なものとし、再び勉強に身を入れるようになったそうです。

そして三浪目でようやく東京学芸大学の理科B類に合格。

米村でんじろうさんはそれまでの鬱屈した生活から解放され心から安堵したそうです。

努力を見守ってきた母もきっと自分の事のように喜んでくれた事でしょうね。

でんじろうの気になる経歴

千葉県立市原高校を卒業後、三浪の末に東京学芸大学に入学した米村でんじろうさん。

その後、「働きたくない」という理由から東京学芸大学の大学院へ。

そして大学院卒業後も研究生として東京学芸大学に残り続けます。

これほどまでに働くことを避けるなんて、浪人時代のアルバイトでよっぽど辛い思いをしたのでしょう。

ですがずっと働かずにいられるほど社会は甘くありません。

米村でんじろうさんは教授の紹介により自由学園で講師を務める事に。

ただ、米村でんじろうさんにとって幸いだったのは教科書通りの授業ではなく思い通りの授業が出来たこと。

林に木を拾いに行き木炭電池を作るなど実験中心の授業を展開。

この経験で教員に興味を持った米村でんじろうさんは教員採用試験を受けて見事合格。

そして東京都立稲城高校の物理教師となりました。

決して優秀とは言えない生徒が多く、授業にならない状況だった稲城高校。

きっと真面目に授業をする事を放棄した先生もいた事でしょう。

ですが米村でんじろうさんが生徒を見放す事はありませんでした。

実験や野外観察など持前のユニークな発想の授業で生徒達に興味を持たせる事に成功しています。

ところがその後、赴任した東京都立小金井北高校では実験中心の授業が批判の的に。

稲城高校とは異なり進学校として知られる小金井北高校。

大学受験と関係のない実験中心の授業は校内だけでなく保護者からも批判されてしまったそうです。

科学に興味を持ってもらうために行っていた実験。

ですが学校では興味を持つ事よりも受験で良い点を取る事を優先しなければいけないという現実。

そこで米村でんじろうさんは一念発起して40歳にして教師を辞職。

独立してサイエンスプロデューサーとしての道を歩むことを決意します。

その後NHKで「おれは日本のガリレオだ!?」が放送された事で日本各地の学校や科学館から講演の依頼が殺到。


当初は講演が中心だったものの次第に実験の比重が大きくなりサイエンスライブショーのように。

そして1998年に「米村でんじろうサイエンスプロダクション」を立ち上げ。

現在も日本中で多くの弟子と共に科学の楽しさを広める活動を続けています。

でんじろうは厳密には博士じゃない?

物事を詳しく知っている人を「博士」と呼ぶことがありますよね。

そういった意味では科学に精通している米村でんじろうさんも「博士」と呼んでも間違いではないでしょう。

ですが、厳密に「博士」と呼べるのは大学院の博士課程で博士号を取った人達だけ。

大学卒業後、大学院に進学している米村でんじろうさん。

大学院の修士課程を終えた後、他大学の博士課程の試験を受けるも不合格となっています。

そのため米村でんじろうさんは厳密には「博士」とは言えません。

ただ、米村でんじろうさんが博士以上の知識を持っている事に違いはありません。

もし今から「博士」の肩書が必要と思えばどこの大学でも博士号を取れる事でしょう。

勉強の出来不出来や肩書よりも必要なものがある。

米村でんじろうさんを見ているとそんな気がしてきますよね。

でんじろうは幼少期から科学実験好き

実験を通して科学の楽しさを広める米村でんじろうさん。

米村でんじろうさん本人も幼少期から科学実験が大好き。

4人兄弟だったものの年が離れていた事から一人で遊ぶ時間が長かったという米村でんじろうさん。

幼い頃からラジオを分解したり、電磁石や望遠鏡を作るなど科学に触れあっていたそうです。

そして中学生の頃にハマったのは何と火縄銃作り。

山中で試し撃ちをしたところ火薬を詰めすぎて大怪我をしてしまったんだとか。

高校生の時には廃棄されたオートバイのパーツから「ろくろ」を制作。

そのろくろを使って壺や茶碗を自作したそうです。

ラジオの分解や望遠鏡づくりは可愛いもの。

ただ、火縄銃やろくろを作るなんて思いついても実行に移せる人は決して多くありません。

ましてや実行しようとしても「危ないから」と親に止められてしまうでしょう。

ですが、幼少期から試行錯誤を繰り返した事で今の米村でんじろうさんがいると言っても過言ではありません。

決して裕福とはいえない家庭ながらも好きな事はとことんやらせてもらえた家庭。

今にしてみればそんな家庭に生まれ育った事を幸運に思っているかもしれませんね。

でんじろうには息子がいる?


メディアへの露出は多いもののプライベートを語る事は多くない米村でんじろうさん。

そのため米村でんじろうさんが独身と思っている人も少なくないのではないでしょうか。

ですが、米村でんじろうさんは既婚者です。

大学院で知り合った女性と卒業後に結婚しています。

しかも米村でんじろうさんが婿入りする形での結婚でした。

米村でんじろうさんの出生名は「戸山傳治郎」ですが婿入りした事で「米村傳治郎」という名前となったんです。

なお、米村でんじろうさんの奥さんも高校の教師でした。

米村でんじろうさんが高校の教師として働くまでは妻が家計を支えてくれていたそうです。

結婚している事は明らかとなっている米村でんじろうさん。

ですが子供がいるかどうかは明かされていません。

息子がいるという情報もありますが信憑性のほどは不明。

好きな事には一直線の米村でんじろうさん。

ですので科学に夢中で子供どころではなかったのではないでしょうか。

40歳で教師を辞めるという決断が出来たのもきっと子供がいなかったから。

もし子供がいたら妻が引き留めたのでは、と思えます。

でんじろうの性格はサイコパス?

自らの性格を「真面目で落ち着いた性格」と語る米村でんじろうさん。

ですが周囲からの評価は全く異なるもの。

時には危険に思えるような実験を喜々として行う米村でんじろうさん。

静電気を流されて痛がる共演者を横目に次の実験の準備を淡々と行う事も。

そのため共演者からは「サイコパス」、「ドS」と言われています。

ただ、サイコパスやドSに見えるのはあくまでも演出。

本当にそのような危険な性格であれば長年に渡ってサイエンスプロデューサーとして活躍する事なんて出来ません。

科学実験は一歩間違えると大事故となってしまいますからね。


また、そんな危ない人の弟子になろうと思う人がいるはずもありません。

とはいえ普通の人には考え付かないような実験を次々と生み出す米村でんじろうさん。

他の人がブレーキをかける所でアクセルを踏み込むような一面がある事は否定できないでしょう。

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