辺見庸の近況と再婚、娘ほか家族について。脳出血と大腸がん、病気との闘い

報道記事はもとより、ルポルタージュ、小説、詩など何を書いても一級品といわれる元記者で芥川賞作家の辺見庸(へんみよう)さん。

相模原の障害者施設殺傷事件に着想を得た小説『月』が記憶に新しいですが、ご本人も介護老人保健施設の通所者ということで、近況を追ってみたいと思います。

また、いつのまにか再婚していたことや娘ほか家族のこと、過去に患った二つの大きな病気についてもまとめます。

辺見庸の現在の近況

1944年9月27日、宮城県石巻市に生まれた辺見庸さんは、共同通信社の元編集委員にして芥川賞作家です。

本名を辺見秀逸さんといい、最終学歴は早稲田大学第二文学部社会専修卒業。


共同通信社では外信部のエースとして名をはせ、北京特派員、ハノイ支局長などを務めました。

とりわけ北京時代は特ダネを連発し、新聞協会賞を受賞。

中国共産党の機密文書をスクープして当局から国外退去処分を受けたこともあったそうです。

1991年には外信部次長を務めながら、職場での体験をもとに『自動起床装置』を書きあげ、芥川賞を受賞。

1994年には、放射能汚染の村に暮らす人や貧困にあえぐ人の「食」に着目した『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞。

同作は子供向けに漫画化され、学校図書館にも置かれています。

1996年に退職後は本格的な執筆活動に入り、もともと好きだったという詩作にも力を入れるように。

詩集『生首』で中原中也賞、詩集『眼の海』で高見順賞を受賞しました。

重いテーマの作品が多く、それなりに知的な教養がないと理解しにくいところもある作風だと思いますが、著作からは辺見庸さんの鋭い感性や深遠な哲学が垣間見えると同時に、人間への愛や絶望の中にある希望といったものを感じます。

2021年は77歳を迎える辺見庸さん。

これまで死刑制度や戦争、社会問題などについて活発な論陣を張ってきましたが、最近はあまり元気な声が聞こえてこないと近況を心配する人もいるようです。

ですが、2021年現在も新聞をはじめとするメディアのインタビューにたびたび登場しており、 2019年9月には詩文集『純粋な幸福』を発表しています。

一方で、介護老人保健施設に通所者として通い、リハビリに励む生活なのだそう。

残念ながら、脳出血の後遺症は今も残っているようです。

2021年現在の近況は定期的に更新しているブログでうかがい知ることができます。

渋くてかっこいいブログです。

新・大恐慌 撃つか、チェット・ベイカーか

ふとNBCテレビをみたら、いま少なくとも600数十万人が失業中という。

画面はシカゴだろうか、食糧配給に列をなしている。

コロナ感染者も並んでいるようだ。

(中略)こんなときにはなにをすべきか。

銃を乱射するか、それともチェット・ベイカーを聴くか・・・だな。

辺見庸の再婚&娘ほか家族について

辺見庸さんには離婚歴があります。

1996年に共同通信社を退職したあと、しばらくは日雇い労働をしていた時期があるらしく、この頃に離婚したようです。

暮らしぶりを変えたのは路上生活者を観察し、ありのままの人間の姿を見つめるためだったのではないかと言う人もいます。

離婚の理由については明らかになっていませんが、下世話な勘繰りをすれば、共同通信社の記者という身分を捨てて、わざわざ日雇い労働の仕事をする夫の生き方に妻がついていけなかったのかもしれません。

2017年3月放送のEテレ『こころの時代』に出演するにあたり、「つれあいとともにでます」と告知したことで再婚を知った友人が多かったようです。

再婚した時期や再婚相手の詳細はわかっていません。

子供についても同様で、情報はないに等しい状態です。

ですが、インタビュー等で娘がいることを時おり語っていますね。

2014年5月の時点では、娘はメディアに勤めていることを明かしていました。

1937年の南京事件に切り込んだ『1★9★3★7』は、日中戦争に将兵として従軍した父と深く結びついています。


中国中部に出征し、すっかり人が変わって帰ってきた父。

『1★9★3★7』には読み手の心を刺し貫くような場面がいくつも登場します。

子供の頃に何度も父を殺そうと思ったにもかかわらず、そうしなかったのは、すでに父が部分的に死んでいたからというくだりもそのひとつでしょう。

脳出血、大腸がんの病気と闘いながら執筆活動

2004年3月14日、新潟市での講演中に体調不良を訴えて降壇、搬送された辺見庸さん。

この時59歳でした。

脳出血をおこしており、意識はあるものの右手足が麻痺している状態だったそうで、半年間の入院を経てリハビリ生活に入ります。

キーボードを打つ速さは10分の1に落ちたそうです。

翌2005年12月には大腸がんのため都内の病院に入院。

がんを取り除く手術は4時間に及びました。


突如として二重の災厄にみまわれた辺見庸さんですが、闘病中にもかかわらず不自由な指でキーボードを押し続け、書きあげたのが2006年の『自分自身への審問』です。

残された人生はかなり短いと思うと語っている辺見庸さん。

でも自分は死にぞこないだから書き続けるしかないという言葉通り、集団の波に飲み込まれないアウトサイダーとして声高に叫び続けてほしいものです。

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