山崎豊子の子供と結婚した夫について。新聞記者出身の経歴まとめ。生家は暖簾のモデル

累計3000万部に及ぶ数々のベストセラーを送り出し、その作品の大半が映像化されてきた山崎豊子(やまさきとよこ)さん。

この記事では、つねに第一線を走り続けた国民的作家の私生活にスポットをあて、子供や結婚した夫についてまとめます。

また新聞記者出身の小説家ならではの経歴や、デビュー作『暖簾』のモデルとなった生家の老舗昆布店にも注目します。

山崎豊子の子供と結婚した夫について

「取材の鬼」と呼ばれた徹底した取材と、「小説の鬼」と呼ばれた作家魂で、89歳の生涯を筆一本で勝負してきた山崎豊子さん。

社会派小説の巨匠というと、松本清張さんら男性作家を真っ先に思い浮かべがちですが、女性の巨匠といえばこの方を挙げないわけにはいきません。


山崎豊子さんは「女性だから恋愛を書く」「女性だからジェンダーを書く」という価値観ではなく、社会の暗部に目を凝らし、汚濁や不条理に満ちた生身の人間を描き続けた作家でした。

壮大なスケールで世の中の膿をえぐりだす作風は物議を醸すこともありましたが、作品は絶大な支持を得て軒並みベストセラーに。

「女の年齢は実力」「書く勇気を忘れた作家は死んだも同じ」という心憎い言葉を残しています。

『白い巨塔』『華麗なる一族』『大地の子』『沈まぬ太陽』などドラマ化、映画化された作品が多く、どれかひとつは見たことのある人がほとんどでしょう。

ちなみに『白い巨塔』を調べてみたところ、確認できたかぎりでは韓国ドラマ版も含めて7回映像化されています。

山崎豊子さんは誰が演じた財前五郎がお気に入りだったのか気になるところです。

山崎豊子さんの子供に関する情報はありません。

新潮社が刊行した書籍の年譜にも、結婚の記載はあるものの、出産または養子縁組といった子供に関する記載はなし。

54歳までの年譜なのですが、これ以降の出産は年齢的にみて可能性が低く、また子供の存在を秘匿するのも不自然に思えますので、おそらく子供はいないのではないでしょうか。

夫である杉本亀久雄さんのプロフィールにも子供の情報はありませんでした。

洋画家の杉本亀久雄さんは、もともとは毎日新聞社の同僚であり、結婚したのは1961年。

当時杉本さんは学芸部の美術記者、山崎さんはすでに退社して執筆業に専念していました。

山崎豊子さんの恋愛観は、意外なことに仕事の鬼らしからぬもので、「恋愛だけは思いきりロマンティックに燃え上がりたい」と語ったことがあります。

好きな男性のタイプは、逆境のなかでも卑屈にならない芯のある男性。「

そういう気骨のある男なら、不細工でもお金がなくてもけっこう」と言いきっています。

杉本亀久雄さんは1992年、敗血症により71歳で死去。

ベッドの上にスケッチブックとクレパスを置き、息をひきとる間際まで描き続けていたそうです。

そうした姿を見ていた山崎豊子さんは、自身も「生涯作家」を貫くことになります。

新聞記者出身の小説家・山崎豊子の経歴まとめ

山崎豊子さんは1924年1月2日、大阪府大阪市の老舗昆布商の家に生まれました。

1944年、旧制京都女子専門学校(現・京都女子大学)国文学科卒業後、毎日新聞社に入社。

やがて学芸部に配属されますが、当時の学芸副部長がのちの大文豪・井上靖さんでした。

小説がボツになり、しょげる井上さんに「見る目がないのよ、その編集者!」と激励したこともあったそう。

というよりも、のちの国民的作家を二人も抱えていた毎日新聞大阪本社学芸部が恐ろしいです。

事実をおろそかにしない取材姿勢、社会や人間の本質をとらえる観察眼が養われたのは新聞記者時代だったのかもしれません。

井上靖さんに作家としての資質を見いだされた山崎豊子さんは、生家をモデルに描いた『暖簾』で1957年に作家デビュー。

翌年の『花のれん』が直木賞を受賞したあと、退社して作家活動に専念します。

1963年 、『花紋』で婦人公論読者賞。

1990年には中国残留孤児の波乱万丈の人生を描いた『大地の子』で文藝春秋読者賞。

1991年、菊池寛賞。

2009年、『運命の人』で毎日出版文化賞特別賞。

2013年8月に週刊新潮で『約束の海』の連載を開始しましたが、20話を脱稿したあと体調を崩して緊急入院。

2013年9月29日、呼吸不全のため89歳で死去しました。

没後3年の2016年、大阪市天王寺区の藤次寺に墓所があることが公表され、この年から山崎豊子文化財団により命日が「豊子忌」と名付けられることになりました。

『暖簾』のモデルは生家の老舗昆布店


社会派作家として知られる山崎豊子さんですが、初期は生まれ育った大阪の人々や風俗を描いた小説を多く発表していました。

デビュー作『暖簾』に登場する昆布屋のモデルは生家の老舗昆布店・小倉屋山本です。

本店は大阪府大阪市中央区南船場にあり、創業は嘉永元年(1848年)。

山崎豊子さんは三代目・山本利助さんの妹にあたります。

『暖簾』で描かれていたのは、無我夢中で働き、店の暖簾を守り続けた大阪商人の生きざまでした。

暖簾を守るために時には採算を度外視して信義を貫くという心意気もありました。

小倉屋山本は昆布以外の海産物の展開をあえて行わず、昆布一筋の姿勢を貫いています。

1949年には看板商品の高級塩昆布「えびすめ」を発売。

やがて『暖簾』が映画化されると、お店の名前は全国的に知られるようになりました。

全身を襲う痛みと闘いながら、亡くなる直前まで原稿用紙に向かっていたという山崎豊子さん。


衰えていく指先の力をカバーするため筆ペンに持ち替えていたそうです。

ふだん私たちが目を背けがちな社会のいびつさを暴き出し、直視することを読み手に要求する数々の名作は、そうした作家の矜持から生まれたものだったのかもしれません。

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