2015年、四度目のノミネートとなった「九年前の祈り」で芥川賞を受賞した小野正嗣(おのまさつぐ)さん。
故郷である大分県の漁師町を舞台にした小説が多いことは知られていますが、なんと登場人物も故郷の家族や近所の人々から着想を得ているそうです。
もはや小野作品に欠かせない存在になっている父や母はどんな人たちなのでしょう。
また兄に捧げた作品である「九年前の祈り」や、結婚した奥さんについてもみていきます。
小野正嗣の父・母は創作に欠かせない家族
芥川賞作家であり、フランス文学研究者でもある小野正嗣さん。
まずは華やかな学歴と経歴に注目です。
東京大学教養学部卒業後に同大学大学院へ進み、博士課程単位取得退学。
26歳からフランスのパリ第8大学に8年間留学。
最終学歴はパリ第8大学Ph.D、文学博士です。
34歳まで学生だったというところがいかにも学者という感じですね。
これまで明治学院大学の准教授や立教大学の教授を務め、2019年からは早稲田大学文化構想学部の教授として教鞭をとっています。
創作意欲が頭をもたげたのは大学院生の時でした。
大江健三郎さんや中上健次さんらの作品に親しむうちに自分も書いてみたいと思い、1996年に新潮学生小説コンクールで奨励賞を受賞。
作風が変わったのはフランス留学時代で、自分の生まれ故郷から遠く離れて初めて故郷との接し方や小説の書き方を見つけたと語っています。
その時期に書いた「水に埋もれる墓」は朝日新人文学賞を受賞。
15時になると東京で楽しめる“大人のアート”について、
芥川賞を受賞されている小説家でアートにも
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1970年11月27日、大分県蒲江町(現・佐伯市)に生まれた小野正嗣さん。
生まれ育った海辺の小さな漁師町と創作活動は切り離して考えられないと折に触れて述べてきました。
どうやら故郷と家族が小説家としての核になっているようです。
少年時代、父・紘さんは建設業、母・正子さんは養殖真珠の核入れ職人として働いていたため、小野さんは共働き家庭で育ちました。
今でも「おかあ」と呼ぶ母・正子さんはとにかく働き者。
家事は一切しない父親に対して、フルタイムで働きながら家事を完璧にこなしていたそうです。
そんな母親の姿を見て育った小野さんは、兄と二人で家事を手伝い、母に協力するように。
共働き家庭にありがちなさびしさを感じることはあったものの、一緒にいる時は父も母もよく話をしてくれたそうです。
家の中で言葉が循環していることが大事と語る小野正嗣さん。
たとえ反抗期に親子の会話が激減しても、小さい頃に会話を積み重ねていれば、それが「コミュニケーションの貯金」となって自然と会話が戻ってくるはずと語っています。
兄に捧げた「九年前の祈り」で芥川賞を受賞
芥川賞受賞作品「九年前の祈り」を巻頭においた同タイトルの書籍には、長年描き続けてきた生まれ故郷を舞台にした4編が収録されています。
巻頭の献辞に「兄、史敬に」とあることからわかるように、受賞の前年に46歳で他界した兄に捧げる作品集です。
地元に残り、ずっと独身で、肉体労働をしながら弟を応援してきた史敬さん。
つまり、長い学生生活を送った正嗣さんを経済的に援助してくれたのが史敬さんだったわけです。
これはもう、一生頭が上がりませんね。
しかし史敬さんは2013年6月に脳腫瘍が発覚し、余命1年の運命に。
同作品は、刻々と近づく兄の死を思いながらの執筆となりました。
迫りくる恐怖を払いのけたいとという祈りにも似た思いがあったそうです。
審査員の作家に「土地の力」が高く評価されましたが、小野さんにとって故郷と兄は強く結びついたもの。
ある意味では兄に対する評価のように感じたとのことです。
講演会でサイン本をゲット。こんな風に万年筆で書くのに憧れる。
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小野正嗣が結婚した奥さんは?
芸能人ではないため、ほとんど個人的な情報が出ていない小野正嗣さん。
結婚した奥さんについては不明でした。
芥川賞受賞時は1男3女の父親でしたが、その後も子宝に恵まれ、今は1人の息子と4人の娘の父親だそうです。
過去のインタビュー記事をみていくと、結婚して子供が生まれたのは30歳を過ぎた頃とのこと。
小野さんはまだ学生でした。
自分の小説が商業的に成功するとは思えなかったものの、小説は書きたい。
そのためには執筆の時間を確保できる仕事に就きたい。
それにいちばん合っている仕事が研究者だったそうです。
候補四度目での受賞と知った小学生の娘に、「じゃあ三回も落ちたの?」と突っ込まれたという小野正嗣さん。
毎年夏には大分県の実家に帰省するそうですが、結婚してからは妻の実家がある大阪に立ち寄るようになったそうです。
この時間は、この秋、オススメの大人のアートについて#小野正嗣 さんに詳しく伺いました🎨
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受賞決定後の会見では、「お兄(おにい)が喜んでくれたら、とてもうれしい」と兄への思いがあふれた小野正嗣さん。
令和の時代とはいえ、まだまだ地方特有の考え方や行動様式が息づく町もありますから、読者は自分の土地にある土着的なものと作品を重ねて親近感を感じているのかもしれませんね。
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