林忠正とゴッホの関係、コレクションについて。加納重吉とは?パリでの活動と子孫

明治時代に活躍した美術商の林忠正(はやし ただまさ)。

パリを拠点として各国で日本美術品を販売したことで、世界的にも有名です。

今回は林について、ゴッホとのつながり、コレクション、加納重吉という人物との関係、パリでの活動をご紹介します。

さらに林の子孫がいるのかどうかも調査しました。

林忠正のプロフィール

本名:林忠正 ※幼名:長崎志芸二(しげじ)

生年月日:1853年12月7日

死没:1906年4月10日

身長:不明

出身地:越中国高岡(現在の富山県高岡市)

最終学歴:大学南校(東京大学の前身)

林忠正とゴッホとのつながり

まずは林とゴッホのつながりを見ていきましょう。


林はゴッホとパリで出会っていた可能性が高いという研究があります。

確たる証拠はないものの、同じ1880年代にパリで活動していた2人。

ゴッホの日記にも記述はありませんが、パリの街で美術作品を売りさばく日本人の姿を目撃していた可能性はありそうですね。

ゴッホは浮世絵など、日本美術に感銘を受けた画家ですから、仕事中の林に出会ったら近づいていたはず。

外国語の堪能だった林と言葉を交わし、日本美術について話し合ったかもしれないと思うと、感慨深いですね。

林忠正のコレクション

次に林のコレクションについて見ていきましょう。

林のコレクションには浮世絵と印象派のものがあります。

浮世絵コレクションは、ヨーロッパで浮世絵ブームが起きていた1880年代に林が海外で普及させたもの。

1902年(明治25年)にサミュエル・ビングという日本美術商が、林の浮世絵コレクションを販売開始します。

浮世絵コレクションの数は1,800点にも上りました。

ただ林は本当に優れた作品と判断したものは、自分のコレクションとして帰国させています。

彼の死後、浮世絵が海外から高額になって日本へ戻ると、浮世絵を海外に流出させてしまった国賊と林を非難する人もいました。

それでも浮世絵の海外普及に貢献した業績は計り知れないでしょう。

印象派コレクションについては、1890年(明治23年)頃から収集を始めています。

日本の若い画家のために印象派の絵を見せたいと考え、コレクションを開始したのです。

しかし当時、ヨーロッパでも日本でも印象派は、風景をそのまま描いただけの絵として芸術扱いされていませんでした。

林は貧しい印象派の画家たちのために経済的援助も惜しまず、コレクションを進めます。

しかし帰国後も印象派の絵は見向きもされず、結局林のコレクションはアメリカで競売に出され、散逸しました。

それでも画家の黒田清輝が絵の道に進むきっかけを作るなど、決して無駄なコレクションではなかったはず。

2000年には「林忠正コレクション」としてカタログが集成され、現在では貴重な価値ある資料となっています。

生前に印象派のすばらしさを伝えきれなかったのは、林としては心残りだったでしょう。

加納重吉とは誰?

次に林について調査すると出てくる、加納重吉という人物名について見ていきます。

林に関係する人物と思われますが、一体どんなつながりがあったのでしょうか。

実は加納重吉という人物は実在しません。

加納を生み出したのは、小説家の原田マハさんです。

ゴッホと林を題材とした美術小説『たゆたえども沈まず』の中で、林の右腕的人物として加納重吉を配しました。

同時代を生きたゴッホと林の生き様を描く上で、必要な人物だったのです。

ゴッホを支えたのが弟のテオであるのに比例するよう、林を支える加納を作り出したマハさん。


かねてよりゴッホの小説を書きたかったものの、熱い生涯に気後れしていたそうです。

そこでゴッホだけを描くのではなく、うまく林を使うことで、読者が天才画家の生涯を理解できるよう工夫したのでしょう。

代表作「星月夜」をカバーにした美しい単行本を読んだ多くの読者は、孤独な天才の悲しい物語に感動しています。

本作はゴッホのみならず、林の目線を取り入れたからこそ、普遍的に理解される構成となっているのでしょう。

林忠正のパリでの活動

ここから林のパリでの活動を具体的に見てみましょう。

1878年(明治11年)に渡仏後、日本美術品の販売に奔走した林。

しかし活動はそれだけではなく、研究者の助手的業務や、博物館の資料の整理など多岐にわたりました。

1900年(明治33年)には、パリ万国博覧会で日本事務局の事務官長を務めています。

当時理解されなかった印象派の普及という活動を通し、エドゥアール・マネと交流した唯一の日本人でもありました。

元祖グローバルビジネスマンだった林は、お金儲けの才能があったことは間違いありません。

しかし同時に、愛する芸術のために尽くしたいという、子供のように純粋な情熱を抱いていたロマンチストでもあったのでしょう。

林忠正の子孫

最後に林忠正の子孫はいるのか見ていきます。

忠正の子孫として知られているのは、美術史家の木々康子さんです。

義祖父について研究し、評伝も執筆している、林忠正研究の第一人者でもあります。

あえて「国賊」という言葉を使い、林の生涯を一般読者に広めています。


彼が成し得たことに加えて、果たせなかった夢を描いた木々さんの業績も、美術史において大きいといえるでしょう。

知られざる美術商の生涯を、小説や評伝から追ってみるのも楽しい営みでしょう。

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