北一輝の子孫は弁護士。思想と法華経への信奉。岸信介に対する影響

二・二六事件の指導者として処刑された思想家・北一輝(きた いっき)。

近年は二・二六事件に直接関係していなかったという説も浮上し、実は善き民主主義者だったという研究もなされています。

そんな謎多き人物である北について、子孫が弁護士という情報があったので見てみましょう。

さらに北の思想と法華経への信奉、岸信介が受けた影響についてもまとめました。

北一輝のプロフィール

本名:北輝次郎

生年月日:1883年4月3日

死没:1937年8月19日

身長:身長

出身地:新潟県佐渡郡(現在の佐渡市)

最終学歴:早稲田大学政治経済学部

北一輝の子孫は弁護士、新宗教を設立

まずは北の子孫が弁護士であるという情報について見ていきましょう。

北自身には子供がおらず、中国の革命家の息子を北大輝と名付けて養子に迎えています。


血のつながった身内として真っ先に名前の出る人物が、1885年(明治18年)生まれの実弟・北昤吉(きた れいきち)です。

思想家、教育者であり、のちに政治家にもなっています。

多摩美術大学の創立者としても知られた人物ですが、その子孫が北周士さんという弁護士でした。

教皇ノースライムという名前でTwitterを行っており、多くのフォロワーがいます。

書籍も出版するなど、現役で活動しているようです。

宗教団体を設立とのことですが、北一輝にも通じる思想の宗教になるのかどうか詳細は不明です。

北一輝の思想。法華経を信奉?

では北一輝はどんな思想の持ち主だったのでしょうか。

北は一般的に、熱心な日蓮宗の信徒で、法華経を生涯唱え続けていたとされます。

北家の宗派は浄土真宗でしたが、一説によると北の母リクが日蓮宗にゆかりのある家の出で、法華経を読んでいたそうです。

その影響もあってか、北も法華経の経文を持ち歩き、最後も獄中で経典の裏面に遺書を書いたと言われています。

彼は中国革命を始め、アジアの革命は法華経によって成功すると信じていました。

インドの独立も、日本の存続も、法華経の教えを貫くことで実現すると考えていたのです。

彼にとって法華経こそが救済の経典でした。

そもそも法華経は「南無妙法蓮華経」を唱えることで、誰もが平等に仏になれるという教えです。

中国の孔子や孟子の思想では、誰もが平等に念願を果たすことはできない。

そうであれば、法華経こそがすべての国を平等に、幸福にするものだと考えたのかもしれません。

北一輝の岸信介への影響

ここから、北一輝が岸信介へ与えた影響について見ていきましょう。

岸信介はかつて内閣総理大臣を務め「昭和の妖怪」と呼ばれ、さらに安倍晋三元首相の祖父としても知られる人物です。


北と岸はいずれも右派に属するとされる人物ですが、意外な共通点がありました。

それはいずれも、天皇制に反対だったという点です。

岸は東京大学法学部に在学中、国粋主義者である上杉慎吉教授の教えを受けていました。

しかし上杉が天皇制を絶対的に信奉している点には、疑問を抱いていたようです。

やがて天皇制に反対していた北の思想に共鳴、心酔していきます。

北は天皇という存在を国民の上に置かず、国民と一緒になって1つの公民国家を作るべき存在だと主張。

この主張に共鳴した岸は、上杉に大学へ残るようすすめられたものの拒否し、官僚への道を歩みます。

しかし優等生だったにもかかわらず、一流と扱われていた内務省に入らず、二流と言われていた農商務省に入省。

周囲からは驚かれ、その選択を非難する人物もいました。

岸はいわゆる右派ですが、決して単純な右翼思想の持ち主ではなかったのです。

天皇制を絶対視する既存の右翼に反逆する精神を持ち合わせていた点で、彼を「アカ」と呼ぶ人もいました。

岸が大物に成り得たのは、受け身ではなく、自ら情報を集めて本当に信じられる思想を取捨選択できる人物だったからでしょう。

周囲の環境に甘んじず、正しいと思う情報を信奉して、時に味方とも別れて我が道を行く。

そんな人物だからこそ、総理就任時に「汚職、貧乏、暴力」を三悪として追放すべきと語るなど右派らしからぬ発言をしたのでしょう。


岸の思想の根幹には常に、北一輝が掲げていた、天皇制を排除した国粋主義の存在があったと言えるかもしれません。

歴史の授業では二・二六事件の指導者である右翼のリーダーとして扱われる北。

実際にはもう少し複雑な感情と理想を抱いていた、魅力的な面もある人物だったのかもしれません。

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