岩倉具視の子孫に芸能人・加山雄三。娘たちと華麗な家系図まとめ

明治維新期に活躍した政治家の岩倉具視(いわくら ともみ)。

朝廷に仕えたのち、明治新政府の重鎮として、明治維新を推進した人物です。

岩倉の家系図を調べると、子孫に芸能人の加山雄三さんがいるとわかりました。

今回は岩倉と加山雄三さんの関係に迫りましょう。

また加山さんと岩倉の娘たちをご紹介し、家系図をまとめます。

岩倉具視のプロフィール

幼名:周丸(かねまる)

生年月日:1825年10月26日(文政8年9月15日)

死没:1883年7月20日

身長:約160cm

出身地:山城国京都(現在の京都府京都市)

岩倉具視の子孫に芸能人の加山雄三

岩倉具視には子供が10人いました。

正室の誠子が2女、のちに正室となる槇子が2男4女、2人の妾がそれぞれ1人ずつ息子をもうけます。

岩倉の次男・岩倉具定(いわくら ともさだ)は、公爵であると同時に学習院の院長を歴任した人物です。

アメリカのラトガース大学に留学し、帰国すると政府に出仕。

伊藤博文に随行し、憲法調査のため欧州に渡りました。

1884年(明治17年)に義兄・岩倉具綱(いわくら ともつな)の家督を相続しています。

具定の五男である岩倉具顕(いわくら ともあき)の娘が、「日本のエリザベス・テイラー」と呼ばれた女優・小桜葉子さんです。

小桜さんは子役デビューしたのち、令嬢の娘ということもあり、主演級スターとして活躍。

1936年に二枚目スター上原謙さんと結婚し、翌年に長男の加山雄三さんを産みました。

つまり加山さんは岩倉のひ孫です。

さらに加山さんの次男で俳優の加山徹(かやま てつ)さんは、岩倉の玄孫にあたります。

明治の偉人から現代でも有名な芸能人へ続いている、華麗なる一族といえますね。

加山雄三と岩倉具視の娘たち

加山さんは元女優の松本めぐみさんとの間に、2女をもうけました。

長女はタレントの梓真悠子(あずさ まゆこ)さんです。

慶応義塾大学在学中にスカウトされ、21歳でNHK大河ドラマ『毛利元就』で芸能界デビュー。

大学卒業後は一般男性と結婚し、2児をもうけたものの、2011年に離婚しました。

特技は料理で、クッキングサロンを主宰する料理研究家としても活躍しています。

加山さんの次女は、女優の池端えみさんです。

2003年のドラマ『さとうきび畑の唄』や、テレビCMに出演するなど活動していました。

俳優業のダニエルさんという男性と南仏ニースで結婚し、今はニューヨークに在住しているとのこと。

真悠子さん、えみさんは、岩倉の来孫にあたります。

ちなみに岩倉の娘も、明治時代に華やかな世界で活躍していました。

岩倉の三女・戸田極子(とだ きわこ)は、優雅な物腰の美女で、明治10年代の鹿鳴館時代に有名な女性でした。

岩倉が妻の中でもとくに愛していた槇子の娘で、母親から美貌を受け継いで成長しました。

華族で大垣藩戸田家の当主・戸田氏共(とだ うじたか)と結婚し、戸田伯爵夫人となります。


美しいだけでなく英語とダンスに堪能で、陸奥宗光(むつ むねみつ)外交官の妻・陸奥亮子と共に「鹿鳴館の華」と称されました。

女好きとして有名な伊藤博文から関係を迫られ、スキャンダルが報じられたこともあります。

岩倉の家系には、鹿鳴館の貴婦人や女優など、相当な美貌の持ち主が多いといえますね。

岩倉具視の家系図まとめ

芸能人も入り混じる、華麗な家系図を持つ岩倉家。

家系図を調べていると、女優の井川遥さんも岩倉家の家系図に連なっていることがわかりました。

井川さんの夫はファッションデザイナーの松本与(まつもと あとう)さん。

松本さんは岩倉のひ孫であると同時に、西郷隆盛や徳川家康の系譜松平家の血も継いでいます。

非常に華やかな家系といえますね。


井川さんは名家の子孫と結婚し、悠々自適に暮らしているのでしょう。

政治や芸能など多方面で活躍する一族だからこそ、今後も著名な子孫がでてくる可能性が高いでしょう。

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