詩『火を焚きなさい』で知られる山尾三省(やまお さんせい)。
家族と屋久島の廃村に移住し、自給自足の生活を送りました。
今回は、創作と耕作に明け暮れた彼を支えた家族について見ていきましょう。
子供と妻の情報、家族への遺言、屋久島での生活、部族活動の詳細を順に確認します。
山尾三省のプロフィール
本名:山尾三省
生年月日:1938年10月11日
不明:2001年8月28日
身長:不明
出身地:東京都千代田区外神田
最終学歴:早稲田大学第一文学部西洋哲学科中退
山尾三省の子供は3人。妻は山尾春美
三省と屋久島での生活を共にしたのは、3人の子供たちと妻でした。
子供たちは長男の海彦さん、次男の閑さん、長女のすみれさんです。
『森の時間海の時間 屋久島一日暮らし』は、三省の詩集を妻のエッセイと共に再編集した作品。
同作の詩には、3人の子供たちがいずれも実名で登場します。
子供たちは三省にとって、詩作のインスピレーションをもたらしてくれる重要な存在だったのでしょう。
彼には養子を含めて9人の子供たちがいました。
かわいい子供たちの存在は詩作の源泉であると同時に、人里離れた村での暮らしを支えてくれる支柱だったのでしょう。
彼は前妻と死別したのち、1989年に春美さんという女性と結婚しました。
春美さんは1956年生まれで山形県出身です。
横浜市内の養護学校に勤務中、三省さんと知り合いました。
結婚後は夫と屋久島へ移住し、自然の中で田畑を耕し、必要なものを手作りする生活を送りました。
故 山尾三省さんの詩に妻の春美さんが短文を付けた詩文集『屋久島だより』(無明舎出版)を読了。前作『森の時間 海の時間』から7年、三省さんが亡くなってから15年経ったとのこと。
またいつか屋久島へ行ける日が来るだろうか。 pic.twitter.com/zHCCzdEmUM— 庄内ドキュメンタリー映画友の会 (@dokitomo) January 14, 2017
夫の死後は養護学校で非常勤講師として勤務。
その傍ら「屋久の子文庫」という活動を通し、地域の子供たちへ読書の楽しさを伝えています。
経済的な競争、物質的な豊かさから解放され、野山で自然と共に生き続けた山尾一家。
子供たちや妻は一般人のため、2023年現在どのように過ごしているのか、詳しい情報はわかりません。
きっと三省と共に過ごしたかけがえのない時間を胸に、彼のスピリットを引き継ぎながら、自然と共に暮らしているのでしょう。
山尾三省、晩年につづった家族への遺言
三省は自然の中で暮らしながら、家族に向けたメッセージを、詩の形で残しました。
代表作『火を焚きなさい』は、巻風呂を沸かしている子供たちに向けた詩です。
“人間は 火を焚く動物だった(中略)火を焚くことができれば それでもう人間なんだ 火を焚きなさい”
自然と共に暮らす子供たちに向けた素朴な言葉が、消費社会で忘れられた営みの尊さを伝えていますね。
晩年の三省は詩だけでなく、家族へ「遺言」と称してつづった散文を残しています。
それが「子供達への遺言・妻への遺言」です。
両親から遺言状を受け取らなかったという三省は、自身が末期がんに侵されていることを知り、家族に遺言をしたためました。
遺言といっても、資本主義とは無縁の彼は、相続や遺産などについて書いたわけではありません。
第1の遺言は、生まれ故郷にある神田川の汚染された水を、飲める水に再生させたい。
第2の遺言は、原発をはじめ核エネルギー装置を廃止させたい。
そして第3の遺言は、武力と戦争を永久に放棄させたい、というものでした。
「われらの日本国憲法の第9条をして、世界の全ての国々の憲法第9条に組み込まさせ給え。武力と戦争の永久放棄をして、すべての国々のすべての人々の暮らしの基礎となさしめ給え。(子供達への遺言・妻への遺言)」
敬愛する詩人 山尾三省さんの伝言
— furu (@Rc50S) May 14, 2019
妻子に向けた遺言とは思えませんが、自然環境保護と恒久平和こそが、家族の幸せにつながると考えていたのでしょう。
三省は強いメッセージを遺言に込めました。
いずれも「不可能」と言われればそれまでです。
しかし彼のような生き方をできる人が増えることで、人間と自然の共存がうまくいく日が来るかもしれません。
新型コロナウイルス感染症が流行後、地方へ移住し、自然と共に暮らし始める人が多くなってきています。
三省の生き方と遺言を忠実に実行できなくても、自然災害を減らすために行動する人は今後も増えていくでしょう。
彼は家族の幸せを願いながら、天国から現代社会の行く末を見守り続けているのかもしれません。
山尾三省は屋久島に永住
三省は1938年に東京の神田で生まれ、早稲田大学文学部西洋哲学科を中退しました。
1973年にインドとネパールの聖地を巡礼し、帰国後の1977年に家族と屋久島へ移住しています。
聖地巡礼中に資本主義社会ではなく、自然の中で命の根源や自然とのつながりに触れたいと感じたのでしょう。
屋久島に移住後は家畜の世話や畑仕事に励みつつ、自然を讃える言葉を詩やエッセイに託します。
原生林の伐採には反対の意を表し、メッセージ性も感じさせる作品を多く残しました。
また縄文杉の姿を『聖老人』という詩に描き、老木を心のよりどころにして生きていたそうです。
屋久島の山中に一人の聖老人が立っている
齢およそ七千二百年という
ごわごわとしたその肌に手を触れると
遠く深い神聖の気が沁み込んでくる
聖老人
あなたは この地上に生を受けて以来 ただのひとことも語らず
ただの一歩も動かず そこに立っておられた—山尾三省「聖老人」https://t.co/881Ax6Nvip
— 野草社 (@yasosha_books) August 27, 2020
ただし1993年に縄文杉が世界遺産に認定されると、縄文杉と決別します。
妻の春美さんは「縄文杉だけを特別扱いする風潮に疑問を感じたのでしょう」とコメント。
どんな植物にも平等に命があることを、静かに訴え続けた生涯といえますね。
三省は2001年に胃がんで62年の生涯を終えるまで、屋久島に暮らしました。
大自然の中で永住する道を選んだ彼のメッセージは、環境破壊と自然災害の中で生きる現代人に大きな問いを投げかけ続けています。
山尾三省は屋久島移住前に部族活動を展開
三省は屋久島に移住する前の1967年、社会変革を目指すコミューン活動を展開していました。
翌年には国分寺にある10畳のアパートでコミューン「エメラルド色のそよ風族」を開始。
ヒッピー文化に影響を受けた「部族」として、過度な文明化を批判し、自然と共に生きる道を選んだのです。
4月20日(月)まで
「詩人・山尾三省展」を
店内ギャラリーで開催しております。店頭販売中の雑誌スペクテイター
「日本のヒッピームーブメント」にも
山尾三省氏「部族」での記事が! pic.twitter.com/7JzSMR8lXS— 本のお店スタントン (@BooksStanton) April 15, 2020
部族からは、長沢哲夫さんやナナオサカキさんら、詩作の傍ら自然保護を実践する人々が誕生しました。
本日、7月29日付の朝日新聞夕刊にて、山尾三省、ナナオサカキ、長沢哲夫ら「部族」の詩人たちが紹介されました!
Flying Booksの詩集出版レーベルSPLASH WORDSでは2003年以来、長沢哲夫さんの詩集を6冊手掛けてきました。
Amazon等では購入できないので、こちらで改めてご紹介させていただきます。 pic.twitter.com/08EZu0Wb34— Flying Books (@Flying_Books) July 29, 2020
部族活動自体は長続きしませんでしたが、出身者たちは各々のやり方で当初の意志を貫き続けました。
部族解散後、屋久島での永住を選んだ三省。
彼の姿勢は、電気や水道に頼らない田舎での暮らしを選んだ若者たちをはじめ、現代人に確かな影響を与えています。
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