立松和平の息子と娘は作家、千葉雄大は従甥。死因は多臓器不全。妻と知床での活動

ニュース番組の旅コーナー「こころと感動の旅」に出演し、やわらかい語り口で親しまれた立松和平(たてまつ わへい)さん。

小説家として活躍しましたが、息子もまた作家活動に励んでいるようです。

立松さんの息子の詳細、従甥である俳優の千葉雄大さんとの詳しい関係を見ていきましょう。

併せて死因の多臓器不全、妻の詳細、知床での活動についても確認し、立松さんの生涯をひも解きます。

立松和平のプロフィール

本名:横松和夫

生年月日:1947年12月15日

死没:2010年2月8日

身長:不明

出身地:栃木県宇都宮市

最終学歴:早稲田大学政治経済学部

立松和平の息子は作家・横松心平。娘は絵本作家の山中桃子

立松さんの息子は、1972年生まれの作家・横松心平さんです。

「林心平」のペンネームで、1,000冊以上の書評を書いてきました。


最近は本名の「横松心平」名義で、書評YouTubeチャンネルを開設し、主にミステリー作品を紹介しています。

また7人の子供との暮らし、自家製酵母パン作りなどの日常生活について、SNSで発信してきました。

2016年には父との親子リレー形式でつづったエッセイ『振り返れば私が、そして父がいる』が出版されます。

全集「立松和平全小説」の巻末エッセイを集めたもので、さらに立松さんの自伝も収録予定でした。

しかし彼が2010年に急死したため、横松さんが息子目線で父の仕事を見つめ直した文章を収録しました。

多忙な立松さんは家族を省みないこともあったようで、親子は一時疎遠になったといいます。

しかし横松さんは、「今では自分にも子供ができ、親子関係を見つめ直す機会を持てて良かった」と語りました。

立松作品の集大成を完成させた結果、ようやく亡父の愛情を理解できたのかもしれません。

ちなみに横松さんの妹は、絵本作家の山中桃子さんです。

1977年に生まれ、女子美術大学デザイン科を卒業後、デザイナーとして活動しながら父の作品に挿絵を描いてきました。

父との共作絵本『田んぼのいのち』と『牧場のいのち』で、「ブラティスラヴァ世界絵本原画」ビエンナーレに入選。

さらに天井画家としても活躍し、東京都新宿区の寺院・観音庵本堂の天井画を手がけています。

映画『ぐるりのこと』(08年)では、劇中に登場する天井画の原画も担当しました。

また彼女の夫は、俳優の山中聡さんです。

俳優一家である山中家は、立松さんの家系図に花を添えています。

従甥は千葉雄大、家系図に俳優が多数

山中聡さんと、兄で同じく俳優の山中崇史さんは、立松さんにとって義理の息子たちにあたります。

さらに立松さんの従甥は、イケメン俳優の千葉雄大さんです。

俳優業のほか、映画『ピーターラビット』で主人公の吹き替えにも挑戦し、活動の幅を広げています。

俳優や声優として第一線で活躍する千葉さんですが、彼の母の従兄弟が立松さんでした。

さらに立松さんの妻は、大正期の演劇界で活躍した劇作家・小山内薫の孫です。

立松家はさまざまな形で複数の演劇・芸能人とつながっている、華やかな一族といえますね。

死因は多臓器不全

小説や紀行文の執筆、自然環境保護活動に邁進した立松さん。

晩年まで溢れるバイタリティーを武器に、精力的に活動していました。

しかし2010年1月、体調を崩し都内の病院へ入院してしまいます。

2月8日に多臓器不全により62歳の若さで急逝。

仏教に関心を抱いていた彼は、月間「大法輪」に長編『良寛』を連載中でしたが、絶筆となってしまいました。

多臓器不全の原因は感染症や外傷などさまざまで、誰もがなり得る危険な病気です。

免疫力の低下により重症化しやすいため、多忙な立松さんは疲労が溜まっていたことで、深刻化してしまったのかもしれません。

立松和平の妻は横松美千絵

立松さんの葬儀では、妻の横松美千絵さんが喪主を務めました。

美千絵さんは先述の通り、劇作家・小山内薫の孫です。


1946年に小山内の息子・小山内徹の娘として生まれ、1970年に『早稲田文学』編集室で立松さんと知り合います。

翌年に結婚し、夫が亡くなるまで39年共に暮らしました。

作家の心平さん、絵本作家の桃子さんという才能ある子供たちをもうけ、孫9人に恵まれました。

もっと長く夫に寄り添いたかったはずですが、きっと今も子供たちと孫たちに囲まれ、満ち足りた生活を送っているのでしょう。

知床の大船頭への取材や自然保護活動

立松さんは各地で取材を重ね、詳細な紀行文を執筆してきました。

とくに知床は、彼にとって特別な地だったようです。

オホーツク海の大船頭・大瀬初三郎さんに取材を重ね、『知床に生きる 大船頭・大瀬初三郎とオホーツクの海』を執筆します。

立松さんは20年近くかけて知床を訪れ、大瀬さんの言葉に耳を傾けてきました。

船頭の言葉から鮭や鱒、動物たち、草木、潮、流氷などの自然を守り続ける大切さを実感したのでしょう。


『知床の四季を歩く』をはじめ知床関連の著作を残し、自然環境保護活動を続けた立松さん。

2005年に世界自然遺産に登録された知床の環境を守るため、立松さんの意志を継いだ人々は今も活動を続けているのでしょう。

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