鈴木いづみの名言。娘の鈴木あづさ、死因について。アラーキーとコラボ&経歴まとめ

寺山修司主宰の劇団「天井桟敷」の女優・脚本家を経て、小説家として活躍した鈴木いづみ(すずき いづみ)さん。

『声のない日々』や『魔女見習い』などの小説を残しましたが、36歳の若さで亡くなりました。

名言をまとめつつ、娘の鈴木あづささんの情報、死因の詳細を確認します。

併せて、写真家の「アラーキー」こと荒木経惟(あらき のぶよし)さんとのコラボ写真集の内容をチェック。

最後に経歴をまとめます。

鈴木いづみのプロフィール

別名:浅香なおみ

本名:坂本いづみ

生年月日:1949年7月10日

死没:1986年2月17日

身長:不明

出身地:静岡県伊東市

最終学歴:静岡県立伊東高等学校

鈴木いづみの名言

いづみさんは1970年、『声のない日々』で文學界新人賞候補となって以来、時代を代表する小説家として活躍しました。

70年代の寵児として扱われている小説家ですが、現代を生きる私たちの胸にも刺さる名言を、数多く残しています。

中でもSNS上で多くの人が感銘を受けている様子の言葉は以下です。

「人の一瞬一瞬なんていうのは絶対取り返せない」

一度きりの人生を悔いなく生きることの大切さが感じられます。

だからこそいづみさんは「冗談すらマジメに」やるつもりで生きていたそうです。


自分がやったことに対して、後で「こうすれば良かった」と悔いることがないよう、一瞬を全力で生きるべきということですね。

自伝的小説『ハートに火をつけて!だれが消す』では、より刹那的な感情を重視していたことがうかがえる一節があります。

「たのしいといいんだけど。とりあえず今夜だけでも」

サックス奏者の阿部薫さんとの結婚生活をモチーフに、薬と音楽に溺れた自堕落な生活の様子をつづりました。

いづみさんは将来を考えるよりも、今この瞬間を楽しむことを大切にしていたとがうかがえます。

刹那的な感情だけを重視したくなる気持ち。

先行きが不透明で将来に不安を抱える現代の若者も、多くが抱いているかもしれませんね。

また筆者にとって印象的だったのは『犯罪者的想像力の男』の一節。

「社会に適応できる人間には虚無のにおいを感じる」

「社会不適合者」という言葉が浸透して久しいですが、うまく社会に溶け込めない不器用な人の方が人間らしいということでしょう。

「成功者よりも、永山則夫のような犯罪者」に魅了されると続けています。

いづみさんは巨万の富を得た成功者より、死刑囚の心の方が、まだ人間らしさを失っていなかったように感じていたのです。

賛否両論ある意見とは思いますが、閉塞感漂う現代において、同じような考えに至る人は決して少なくないでしょう。

いづみさんは、あらゆる時代の人が共感できる言葉を紡ぐ才能に長けていたのですね。

鈴木いづみの娘・鈴木あづさ

いづみさんはサックス奏者の阿部さんとの間に、鈴木あづささんという娘をもうけています。

あづささんは1992年、両親のことを描いた稲葉真弓さんの実名小説『エンドレス・ワルツ』に対し、民事訴訟しています。

まだ10代の若さで、両親に対するプライバシー侵害と名誉棄損を訴えたのです。

強く知的な女性であることがうかがえますね。

早稲田大学を卒業後は、日本テレビ放送網の報道局で取材経験を重ねました。

NNN北京支局の中国特派員を経て帰国し、「深層NEWS」のキャスターとしても活躍します。

2021年に小説『蝶の眠る場所』で、「水野梓」名義で小説家デビューを果たしました。

母譲りの文才を活かして活躍し始めたのです。

また母のアンソロジーを編集し、文遊社から『いづみ語録』を出版しました。

若くして亡くなった母の想いを引き継ぎながら、活躍していることが分かりましたね。

鈴木いづみの死因は首吊り自殺

いづみさんはまだ幼かったあづささんの目の前で、首吊り自殺をしました。

晩年は健康を損ねてしまい、生活保護で生活するようになっていたそうです。

絶望的な気持ちになってしまったのか、再起することなく、1986年年2月17日に自殺。

幼い娘の目の前で自ら命を絶つとは、衝撃的な行動ですね。

そのときあづささんは、母に対してどのような感情を抱いたのでしょうか。

母が目の前で命を絶った残像が残り、トラウマを抱えたとしても不思議ではありません。

それでもあづささんはアンソロジーの編集を含め、母の活動を後世に伝え続けています。

貧しい生活の中で自分を捨てた母を恨むこともなく、力強く育ってくれたのはせめてもの救いかもしれません。

鈴木いづみとアラーキーのコラボ

いづみさんはアラーキーの愛称で知られる、世界的な写真家・荒木経惟さんとコラボをしています。

肉感的ないづみさんの身体は、ヌード写真が得意な荒木さんにとって最高の被写体だったはず。

いづみさんの死後に発表された写真集『私小説』では、生命力に満ちた彼女の肉体を確認できます。

アンニュイで陰鬱な雰囲気の女性かと思いきや、写真集で見せた姿は非常に明るく、エネルギッシュでした。

人知れず抱えていた闇と闘いながらも、優れたアーティストと仕事する時間は、楽しく充実していたのではないでしょうか。

自殺という手段で亡くなったことを知った上で『私小説』を開くと、人間の心の複雑さに想いを至らせずにいられません。

鈴木いづみの経歴まとめ

いづみさんは読売新聞記者だった父・鈴木英次さんの娘として生まれました。

高校時代は文芸部に所属し、卒業後は伊東市役所に勤務します。

すぐに退職すると上京し、「浅香なおみ」名義でピンク映画の女優として活動しました。

ポルノ映画『処女の戯れ』でデビュー後、寺山修司主宰の「天井桟敷」の舞台『人力飛行機ソロモン』に出演します。

1971年に「天井桟敷」で「鈴木いずみ前衛劇週間」を開催し、自作の戯曲を上演しました。

女優と脚本家として活動しながら小説を書き続け、『声のない日々』が文学界新人賞候補になります。

小説を書く女優は珍しかったため話題となり、1975年に「SFマガジン」で初のSF小説『魔女見習い』を発表。

SF作家として活躍を始めました。

私生活では1973年にフリージャズのサックス奏者だった阿部さんと結婚し、娘のあづささんをもうけます。


4年後に離婚すると、直後に阿部さんが、薬物の過剰摂取により29歳で急死しました。

結婚生活がうまくいかず、かつて愛した人は亡くなり、自身の健康もむしばまれた晩年。

絶望の果てに選んだ悲劇的な最期も相まって、今も根強いファンから愛され続けている女性だったことが分かりましたね。

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