直江 大輔(なおえ だいすけ)さんは怪我などを乗り越えて一軍で活躍する選手に成長しました。
自身の人気が高まるにつれて父親の存在も広く話題になり、先祖についても歴史上の人物として有名な直江兼続との関係が取沙汰されているそうです。
今回は直江さんの父や先祖、彼女の有無についてチェックしていくことにします。
直江大輔のプロフィール
本名:直江 大輔 (なおえ だいすけ)
身長:185cm
出身地:長野県長野市
生年月日:2000年6月20日
投球・打席:右投右打
ポジション:投手
所属球団(国内):読売ジャイアンツ (2019~)
直江大輔の父は松商学園高校のエースとして活躍
直江大輔さんは松商学園高校時代に甲子園へ出場した経歴を持っています。
大輔さんはダブルエースとして活躍をしましたが、父親の晃(あきら)さんは同じ松商学園高校の大エースとして春夏合わせて甲子園に3度も出場をしていました。
直江大輔の父・晃さん「菅野さんみたいな大投手になって」…手記 https://t.co/o5HfsGyki6 #巨人 #ジャイアンツ #giants pic.twitter.com/OYY9uIKbtH
— スポーツ報知 巨人取材班 (@hochi_giants) August 23, 2020
晃さんは甲子園で2勝を挙げただけでなく、1985年11月に開催された「第16回明治神宮野球大会・高校の部」でチームを優勝に導いた実力派として知られています。
高校卒業後は社会人野球(富士重工)に進んで憧れのプロ入りを目指したものの、残念ながらヒジの故障などもあってユニフォームを脱ぎました。
プロ入りの夢は息子の大輔さんが代わりに叶えたことになりますが、晃さんは野球の道を強要したわけでもなく、いざ始めてからもスパルタ指導はしていません。
もちろん、親としては同じ道を進んでくれることは嬉しかった反面、地元で「直江の息子」として大きなプレッシャーを掛けられることを心配していたそうです。
結果として晃さんの心配は杞憂に終わりましたが、叶わなかった夢を託すよりも子供の心配をする優しい父親であることが伺えるエピソードでした。
直江大輔の先祖は直江兼続ではなかった
この項目では直江大輔さんの先祖にまつわる噂を見ていきましょう。
長野という地域性や「直江」姓から戦国時代の武将・直江兼続が先祖という噂が一部で広がっていますが、調べてみると両者の間に血縁関係は無いと判明しました。
直江兼続は戦略眼や独特な兜が有名なだけでなく、最近では歴史ゲームや大河ドラマの影響もあってイケメンキャラが定着。
直江兼続公兜(愛染明王前立兜(あいぜんみょうおうまえだてかぶと))
直江兼続は、戦国時代から江戸時代前期にかけての武将。上杉氏の家老
上杉神社所蔵、米沢藩上杉家の家老、直江山城守兼続の所用
直江兼続公の甲冑は、前立てに瑞雲に愛染明王を表す「愛」の字が添えてある pic.twitter.com/cZGR4cSj0v
— ゆう✨光の射す方へspoon✨プラス縁ある方へ✨新時代へ✨✨✨激動期のりきりましょう✨ (@Y21436500) August 7, 2019
戦国武将の中でも高い人気を誇るので先祖だとすれば大きな話題になりますが、残念ながら直江兼続の家系は息子の景明(かげあき)が早世したことで途絶えています。
また、直江兼続は樋口家から養子に入った経緯があるので、大輔さんが歴史上の直江さんと繋がったとしても直接的な血縁や先祖という間柄になることはありません。
大輔さんは好きな武将として直江兼続を挙げていますが、当時としては珍しく側室を持たなかったという誠実な面もシッカリと見習って欲しいところですね。
直江大輔に彼女の噂は無し
直江大輔さんほどのイケメンでジャイアンツの一員であれば女性が放っておかないところですが、幸か不幸か彼女と言われるような存在は見つかっていません。
コロナ禍で人出が少ないことやマスク着用により顔がバレにくい事情もありますが、まだまだプロとしては半人前なので恋愛をしている余裕は無いでしょう。
ただ、プロ入りをする前から支え続けている女性が居るパターンは往々にしてあるので、単純にファンや週刊誌にバレていないだけという可能性もあります。
この手の話は女性ファンからすると非常に難しいところですが、仮に最愛のパートナーの支えによって活躍ができているとすれば認めるほかはないでしょうね。
ちなみに、好きなタイプは”頼れる人”なので年上の女性が良いかもしれません。
直江大輔は中学時代にも全国大会へ出場
最後に直江大輔さんが中学時代にも全国大会へ出場した件を見ておきます。
野球選手の紹介でよく聞くのは”甲子園出場”ですが、直江さんの場合は高校だけでなく長野市立柳町中学校(中野シニアクラブ)時代も全国大会に出場していました。
直江さんが出場した大会について具体的な紹介はありませんでしたが、リトルシニアというジャンルだと「日本リトルシニア全国選抜野球大会」と考えられます。
調べてみると、2015年3月に行われた大会の中に「草津 対 中野」というカードがあったので、時期的に見ても直江さんが出場した大会である可能性が高いでしょう。
残念ながら選手名の記載もなく試合自体も大敗というものでしたが、大きな大会に参加できたことは直江さんにとって良い経験になったことは間違いありません。
中学や高校時代から培ってきた経験は心と体に染みついているので、得難い貴重な過去をプロの世界で上手く活かすことが出来れば道は自ずと開かれるでしょう。
関連記事
沼田翔平の彼女は橋本奈々未ではない。球界屈指のイケメン、高校のエースだった兄について
コメント