心身統一合氣道の創始者であり、合気道界のカリスマとして名を馳せた藤平光一(とうへい こういち)さん。
亡くなって10年以上が経ちますが、実力はどれほど高かったのか、合気道の師範のスキルを調査しました。
併せて妻の情報、車椅子生活、死因、晩年の様子など、私生活の詳細も解説します。
藤平光一のプロフィール
「どんな大きな人間でも心を動かせば投げることができます」藤平光一十段 #合気道達人語録 #心身統一 https://t.co/XK3mlsEkHN pic.twitter.com/zbyZbuos6J
— 本庄合気会 (@HonjoAikikai) June 13, 2022
本名:藤平光一
生年月日:1920年1月20日
死没:2011年5月19日
身長:162cm
出身地:栃木県
最終学歴:慶應義塾大学経済学部
藤平光一の実力は高く合気道のカリスマとして活躍
藤平さんは合気道の世界では伝説的な存在ですが、意外にも幼少期は病弱でした。
身体の弱い息子を心配した父親は、彼に柔道を教えることにしました。
こうして藤平さんは9歳のときから柔道の稽古に励み、15歳で黒帯を許されます。
翌年に慶応義塾大学予科に進学したものの、柔道部で胸を殴打して、肋膜炎を患ってしまいました。
1年間の休学を余儀なくされたとき「自分は身体と心が弱すぎる」と思い悩んだそうです。
身体が徐々に衰弱していく中、精神面を強くするため修行に取り組むことを決意しました。
禅や呼吸法を体得する中で肋膜炎は見事に完治。
19歳で合気道の開祖である植芝盛平に入門し、合気道にのめり込んでいきました。
1969年には植芝から、合気道の最高段位・10段位を許されます。
藤平さんは存命中に合気道で10段位を許された、唯一の人物となりました。
師匠から厚い信頼を寄せられていたのですから、若い頃から非常に実力が高かったことは間違いありません。
植芝が創設した「公益財団法人合気会」で師範を務めていた藤平さんは、相当な実力者である後輩・阿部正さんに挑まれて勝利しています。
同じく師範にもなった実績のある阿部さんは、酒の勢いに任せてヤクザと喧嘩したり、機動隊一個連隊を壊滅させたりしたという伝説の持ち主です。
欧州では道場破りに来た武道家に、体格で不利であったにもかかわらず連続で勝利し、フランスで合気道の教官になるほどの強者でした。
しかし藤平さんは、実力ある阿部さんに挑まれた際に勝ったのです。
大東流・菅沢恒元先生より呼吸法の解説を受け、クンバハカという言葉で思い出して藤平先生の『氣の確立』を読み直しました。
愛弟子だからこその植芝開祖の神格化とは異なる姿、人間的な姿も描写されています。
また、予定調和の型稽古についての苦言も。
お薦めの書籍です。#藤平光一 #氣の確立 pic.twitter.com/8yRZQDoQ5G— ヤマティ家の合氣精進 (@aiki_shoujin) June 27, 2021
このエピソードだけでも藤平さんが圧倒的な実力を持つ、合気道のカリスマであったことがわかりますね。
藤平光一には妻がいて息子・藤平信一をもうける
藤平さんには妻がいたことがわかっていますが、一般人のため詳細はわかりません。
生前の藤平さんを知る人によると、彼は静脈注射を打つとき一点をじっと睨んでいたそうです。
外界に「気」を送っているつもりだったのですが、付き添いの女性は彼の様子が「怖い」と言って、病室を出て行ってしまいました。
のちにこの女性が正妻となったのだそうです。
奥さんの名前や生年月日、経歴などは一切わからず、恋愛結婚だったのかお見合い結婚だったのかも不明です。
ただ妻がいたことは事実で、心身統一合氣道会会長を引き継いだ息子の藤平信一さんをもうけています。
【調子いい!が続く姿勢と呼吸の整え方】
心身統一合氣道の関連書籍、またまた登場❗️
昨年4月にNHKのあさイチに藤平信一会長が出演して話題になった「合気道的生活術」を、さらに詳しく知り、実践して日常生活に役立てたい方々に絶賛オススメの一冊です。(僕はまだ読んでません😅) pic.twitter.com/DKtICjzwyj— 心身統一合氣道☆近藤裕一郎【神社で合氣道】 (@yuuyuugenki) February 23, 2022
信一さんは1973年8月18日、東京都で生まれ、東京工業大学生命理工学部(現在の生命理工学院)を卒業しました。
わずか2歳の頃から父に合気道を教わり、慶應義塾の合気道部の指導者となりました。
2007年に父から心身統一合氣道会を継承したのちは、企業や団体、学校などで指導や講演を行っています。
【何度も読み返している本:『氣の呼吸法』『心を静める』】
もうボロボロになっちゃってますが、合氣道十段で心身統一合氣道創始者の藤平光一氏と、同会会長であるその息子さん・藤平信一氏の本。
どちらも心身一如、心の乱れを静める意識の向け方や呼吸法、正しい姿勢について書かれた本 pic.twitter.com/I4Adenh6B2
— Daisuke Iwata (@dskiwt) December 9, 2021
カリスマの息子もやはりカリスマだったのですね。
藤平光一は後年、車椅子で生活
合気道の師範として名を馳せた藤平さんですが、晩年は車椅子生活を送っていました。
病気を患い、脊椎を痛めた結果、思うように身体を動かせなくなってしまったのです。
結果的に亡くなる4年前には息子の信一さんに心身統一合氣道会を継がせることになりました。
藤平光一の死因は肺炎、晩年も病身ながら活動
2011年5月19日、藤平さんは肺炎により91歳でこの世を去りました。
「お別れの会」は築地本願寺で行われ、日本だけでなく世界各界から参列者が集い、カリスマの死を惜しみました。
藤平さんは病気を患い、車椅子を動かしながらも、晩年も後進の育成に尽力していたそうです。
1990年には生家がある栃木県芳賀郡に520畳の天心館道場や宿泊研修施設を開設。
ここに世界各国から門弟が集まっただけでなく、スポーツ団体の講習なども盛んに行われるようになりました。同施設の開設によって、スポーツ業界全体の活性化に貢献したのです。
1997年には息子の信一さんを内弟子として迎え入れ、10年後には先述の通り心身統一合氣道会の2代目継承者に任命しました。
息子に会を継がせたのち、自身は第一線から退いて、合気道が発展する様子を見守り続けたのです。
藤平さんは合気道で重要な精神エネルギー「気」ついて、
「人間の潜在力を引き出し、健康を見守り、不運を幸運に変えるすばらしいもの」と語っています。
単に身体を動かすだけでなく、精神を鍛錬し、相手と「気持ち」を「合わせて」行う奥深い競技なのです。
藤平さんは国内外に合気道のすばらしさを伝え続け、後進を育て上げた見事な師範でしたね。
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