中村天風の死因。食事法&若い頃の活動。見事な最期、弟子たちの著作が話題

明治から昭和にかけて、思想家・実業家・ヨガ行者などとして活躍した中村天風(なかむら てんぷう)。

インドでヨガ修行に励み、「天風会」で心身統一法を普及させ、健康的に長寿を全うした生涯でした。

92歳で世を去った際の死因は何だったのか確認し、食事法について見ていきましょう。

また若い頃の活動、最期の様子、弟子たちによる著作をチェックします。

中村天風のプロフィール

本名:中村三郎

生年月日:1876年7月30日

死没:1968年12月1日

身長:不明

出身地:豊島郡王子村(現在の東京都北区王子)

最終学歴:福岡県立修猷館高等学校中退、コロンビア大学基礎医学部で短期講習を受講

中村天風の死因は肺がん

天風は健全な心身の状態を保ち、幸福な人生を歩む方法「心身統一法」を後進に教えていました。

心と身体は1つであり、いずれの状態も健全にすることを重視していたのです。

実際に天風自身も、92歳で世を去るまで健康的な生涯を送り続けました。

惜しくも100歳に到達できなかった理由は、肺がんを患ったためです。

かつて帝国陸軍で高等通訳官として勤務していた1906年には、肺結核を患ったことがありました。

どうやら体質的に、肺を患いやすかったようですね。

晩年は末期の肺がんに苦しみながらも、導師らしく穏やかに最期を迎えたとのこと。

見事な最期の様子については後述しますので、先に天風がどんな食事法を実践していたのか見ていきましょう。

中村天風の食事法は、シンプルなものを少量食べる

天風が語る健康の秘訣は、「血液をきれいにすること」でした。

きれいな血液を作るためには、「植物性の食べ物を多く摂り、よく咀嚼すること」が大切だそうです。

ヒマラヤで修行中は、1日に1回しかご飯を食べさせてもらえなかったといいます。

米は寿命を縮めるとされ厳禁でした。

代わりに、水に漬けてふやかした稗を、バナナの葉に載せて食べていたそうです。

主食の稗と合わせるおかずは、ゆがいた芋やゴボウでした。

調味料は一切使わず、自然のものを自然なまま食べるのが主流だったのです。

修行を経た天風は、理想的な食事法を確立。

彼が提唱した食事法は、
「アルカリ性のもの、生の果物や野菜を多く摂り、牛や豚など四つ足類の肉はなるべく食べない。腹八分目を心がけてよく噛む」
というものでした。

さらに、
「食欲をそそられたときではなく、空腹を感じたときだけ食べる。毎食、5時間以上の間隔を空ける」
ことも大切だそうです。

脂質が多いものを食べすぎず、食事のときは笑顔で機嫌の良い状態でいることも重要です。

シンプルで少量の食事を心がけることこそ、最大の健康法ということですね。

なかなか難しいかもしれませんが、ぜひ実践できそうなものから取り組んで、健康的な心身を目指してみてはいかがでしょうか。

中村天風、気性が荒かった若い頃の活動

天風は幼少期から英語が堪能で、柔術にも優れた文武両道の人材でした。

1892年に右翼団体「玄洋社」の頭山満の元に預けられ、16歳で帝国陸軍の諜報員に任命されました。

気性が荒い天風は、満州で鉄橋を爆破したり、馬賊と斬り合ったりと活躍。

日露戦争後は帝国陸軍で高等通訳官となりました。

若い頃は暴れ馬のような人物だったことがうかがえますね。

この時期に肺結核を患ったことがきっかけで、弱った心身を鍛錬する方法を模索すべく渡米しました。

コロンビア大学で、自身の病の原因を探るために自律神経系の研究に取り組みます。

しかし思うような成果は挙げられませんでした。

アメリカからの帰途、インドのヨガ行者・カリアッパ師と出会い、弟子入りしました。

その後は2年半もの間、ヒマラヤの高峰カンチェンジュンガ山麓のゴーク村で修行に励みます。

修行によって結核は見事完治し、悟りを得ることにも成功したとされています。

きっと修行によって、若い頃の気性の荒さも治り、人格者として見事な成長を遂げたのですね。

中村天風の見事な最期

天風は最期も見事なものでした。

末期の肺がんで苦しみながらも、自宅で自然な死を迎えることを選びました。

周りを囲む弟子たちには、痛みや苦しみを感じさせない穏やかな表情を見せていたそうです。

痰が絡まった際は苦しげな表情を見せたものの、吸引が終わると、穏やかな表情に戻ります。

微笑みながら「皆、ありがとう」という言葉を残し、安らかに息を引き取りました。

心身を統一させ、苦痛をも浄化させたような、穏やかな表情で旅立ったのです。

理想的かつあっぱれな最期ですね。

弟子たちによる著作『中村天風を学ぶ』

天風の弟子には、医療従事者が数多くいました。

ニッポン放送「テレフォン人生相談」の回答者だった医療評論家の故・森田浩一郎さんも弟子の1人だったそうです。

また医学博士の稲松信雄さん、医師の松本光正さん、翻訳家の遠藤靖子さんの3人は、代表的な弟子たちでした。

3人は『中村天風を学ぶ:三人の弟子が語る「泰然自若」の生き方』という共著で、師の教えを伝えています。

生前の天風から直接教えを受けた3人の話は非常に貴重です。

怒りや苛立ちといった負の感情をコントロールする方法や、泰然自若と生きる方法を学ぶことができます。


忙しい日常生活の中つい言動がとげとげしくなっていた人は、本書を読み、一度落ち着く術を模索してみるのがおすすめですよ。

松下幸之助や大谷翔平選手も影響を受けたとされる天風の思想。

天風関連の書籍を手に取り、前に進むための正しい方法を模索する時間を作ってみてくださいね。

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