2008年に3ピースロックバンド・andymoriのボーカル・ギターとしてデビューした小山田壮平(おやまだそうへい)さん。
andymoriはデビュー当初、コアな音楽ファンを中心に反響を呼びました。
2014年に解散する頃には、武道館でライブを開催できるほどに、幅広く人気を獲得。
andymoriの解散以降は、ソロアーティスト、及び4人組バンドALのボーカル・ギターとして活動しています。
小山田壮平さんと言えば、なかなかショッキングな話題で報じられる事が多い方です。
そんな小山田さんの話題の中から、亡くなられたお姉さんの事、父親と噂される小山田圭吾さんとの関係。
通われていた早稲田大学時代や、高校時代のことも織り交ぜ、お伝えします。
小山田壮平のプロフィール
生年月日:1984年(昭和59年)6月17日
出身地:福岡県飯塚市
最終学歴:早稲田大学卒業
亡くなった姉への想いを込めた楽曲「PEACE」
小山田さんには咲子さんという、3歳離れたお姉さんがいらっしゃいました。
咲子さんも壮平さんと同じく早稲田大学に通われており、特に文才に長けておられました。
高校時代から詩や短歌が新聞に掲載されたり、2000年にはACC学生CMコンクールのラジオ部門で大賞を受賞されています。
そんな咲子さんは2005年、写真家であり探検家の石川直樹さんとアルゼンチンの旅行中、乗車していた車が横転し、24歳という若さで帰らぬ人となりました。
突然、しかも海外の地でお姉さんを失ったショックは想像できません。
andymoriには2011年に発表された「PEACE」という曲があり、歌詞全体を見ると、身の回りの大切な人に、普段は言えない本当の気持ちをストレートに綴った歌詞です。
その歌詞に「姉さん 会いたいよ いつでも思ってるよ」という一節があります。
もともと文学的な歌詞を書かれる小山田さんだけに、ストレートな表現が余計にリアリティーを増して聞こえます。
咲子さんが亡くなった後の2007年、咲子さんが綴っていたブログをまとめた書籍、「えいやっ! と飛び出すあの一瞬を愛してる」が出版されています。
書籍の元になったブログには、上京して来た壮平さんに関して、「どうか東京で危ない目に遭わずに過ごしてほしい。東京中の人全員が、彼に優しくしてほしい。」と書かれていました。
「PEACE」の歌詞と、咲子さんのブログの言葉。
壮平さんと咲子さんが、どれだけお互いを想い合っていたかが感じられますね。
小山田壮平の父は小山田圭吾?そうだとしたら実家は?
小山田壮平さんがミュージシャンとして頭角を現すと、小山田圭吾さんが父親なのでは?と噂になりました。
結論から言いますと、小山田壮平さんの父親は小山田圭吾さんではありません。
同じミュージシャンである事や、珍しい苗字である事が噂の原因になったのではないでしょうか。
どちらも草食系的なルックスをされていて、系統としては似ていなくもない、というのも要因としてはあったかもしれませんね。
ちなみに、小山田壮平さんのご実家が現在どちらにあるかはわかりませんが、出身地は福岡県飯塚市です。
幼少期のご実家に関しては、「絵に描いたような田舎の風景。」とインタビューで語られていました。
小山田壮平は早稲田大学の卒業生
小山田壮平さんは早稲田大学を卒業されています。
学科までは公表されていませんが、いわゆる高学歴ロッカーになりますね。
小山田さんは早稲田大学在学中に、インドで一人旅をしていたそうです。
andymoriの1stアルバムに収録されている「Life is party」の歌詞にもインドが登場します。
インドに対しては特別な関心をお持ちなようです。
2021年のインタビューでも、「面白い国は他にもあると思うけど、特にインドは強烈。」とおっしゃっています。
高校は福岡大学附属大濠(おおほり)高等学校という、偏差値が70近い進学校に通ってらっしゃいました。
やはり、高学歴ロッカーと呼んでも差し支えない様子ですね。
高校時代のエピソードとしては、演劇部に所属し、脚本を書いて、演出までされていたそうです。
その頃から多彩な才能を、すでに開花させていたのですね。
ちなみに、同高校出身の著名人としては、漫才コンビ博多華丸・大吉の華丸さんや、俳優の池松壮亮さんがいらっしゃいます。
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